2. 転生前の記憶
――ドンっ!!
と鈍い……音だか衝撃だかわからないものが私を襲った。
尋常ではない痛みの後、感覚は消えていく。
聞こえるのは、まわりの騒音と救急車のサイレン。
そして、子供の鳴き声だけが耳を掠めていった。
休日の昼下がり。
私を育ててくれた祖母の一周忌を終え、家路を辿っていた。
祖母には感謝している……。
噂で。私の物心つく前に、母親を追い出したという過去を聞いてしまってから、どことなく一線引いていた。
そのせいか、葬儀の日ですら涙は出なかった。
頼れる親族もなく、残された奨学金や医療費の支払い。希薄な人間関係の職場に、何の楽しみもない自分。取り留めもないことを考えながら、ただ歩いていた。
目の前の、横断歩道の信号が点滅を始める。
コートの下は、喪服に慣れないパンプスだったので、走るのは諦めた。すると、小さな男の子が私の横を慌てて走り抜けた。
何気なく見送ろうとした、その時――。
車がスピードを上げ、少年に向かって突っ込んだ。
たぶん。
客観的に見ていたら、最近増えたアクセルとブレーキの踏み間違えの痛ましい事故……それで終わっていたかもしれない。
私はそこへ向かって飛び出していたのだ。
(――死にたくない)
今まで、そんなこと考えたこともなかった。
ただ生きていくのが当たり前だった。時がくれば人は死ぬ。でもそれは、まだまだ先だと思っていた。
(もっと何かをしておけば良かった)
全ては、もう遅いのだ。
途切れる意識はそう言っている様だった。
◇◇◇◇◇
『……痛い。
痛い、痛い、痛いっ――――!!』
ガバッと起き上がると、見慣れない豪華な部屋のソファーの上だった。
第二王子アルチュールに、この部屋使うよう言われた事を思い出す。軽くお腹を満たした後、侍女を下がらせ色々と考えていたら、つい眠ってしまったのだ。
侍女は私を気遣い、鎮静作用のあるハーブティーを用意したのだろう。
(痛みは……ない)
額の汗を拭い、体を動かし再度痛みがないことを確認する。
あの痛みが本物で、今こうして生きている。改めて私は転生したのだと実感した。
(あの子、助かったよね?)
大きな泣き声が聞こえたから、きっと大丈夫だろう。
視線を上げると、もう外は薄暗くなっている。
もうすぐ、夕食の支度を終えた侍女がやって来る頃かもしれない。
ぐるっと部屋を眺めれば、花瓶に美しい花が飾られていた。さすが手入れが行き届いている。
(今まで花なんて飾ったことないわ……)
自分で考えた物語なのに、実際の環境で経験した事のないことばかり。なんだか滑稽だった。
(んな悠長に、感傷に浸っている場合じゃなかった!)
あれの効果が切れる前に、何としても寮に帰らねばならない。
魅了魔法がかけてあるお菓子……かなり適当に考えた設定で、食べた者はリディに魅了される。
薬品ではなく、リディが祈りながら作るとそうなるのだ。
ただ、持続性はあまりない。こまめにプレゼントをして、対象に食べさせ続けなければいけないのだ。微妙に残念なアイテム。
(だって……少しくらいの粗がないと、ジョセフィーヌがリディの尻尾を捕まえられないもの)
だけど今、効果が切れられたら困る。
私のせいでストーリーが変わってきているし。王子に魔法を掛けたのだ。バレたらこのまま投獄される、なんて事にも成り得る。
取り敢えず、残っているかもしれない物の証拠隠滅と、逃亡先の確保。
これから、私……いや、リディの存在無しでも、ジョセフィーヌとアルチュールをハピエンにする方法を考えなければ。
(よし! 逃げよう)
侍女に紙とペンを用意してもらい、メモを残して夜中に出てしまおう。学園は王都にあるから、頑張れば朝までに辿り着ける。
幸い魔法の世界なのだ。覚えてない転生チートもきっとある。リディは、ジョセフィーヌを嵌める為に神出鬼没だったのだから。
すっくとソファーから立ち上がると、扉の前まで移動する。この部屋の位置がわからないのだ。今のうちに出口を探しておかないといけない。
少し屈んで、そー……っと扉を開き顔だけ出してみる。
――バチっ! と誰かと目が合ってしまう。
最悪のタイミングだった。
「あ、リディ様! もう、お加減は良いのですかっ?」
こちらを見ていた赤髪の騎士風の男が、肩を揺らしながら近付いてくると、明るく大きな声で言った。
「あ、はい! ……あの、こちらで何を?」
「もちろん、リディ様の護衛です! どちらか行かれますか? どこへでも、私がお供いたしますので安心して下さい!」
任せておけと言わんばかりに、ドンと胸を張る。
「ま、まあ! それは、ありがとうございます。頼りにしています、ね」
引き攣りそうになりながらも、リディらしい笑みを浮かべパタリと扉を閉めた。
ずるずると座り込むと、はぁー……と溜め息を吐く。
(私……監視されてる? いや、まさか)
本来なら、まだ何も疑われていない時期のはず。赤髪の騎士は、リディに好感を持っているのか随分と親しげだった。
けれど、そんな人物に覚えがない。
リディはジョセフィーヌと違い、滅多に宮殿に来ることはないのだ。騎士の知り合いなんて、まだ居ないに等しい。
(でも、赤髪にあの雰囲気……)
モブにしては男前すぎるような気がした。