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歴代天皇即位の軌跡  作者: じゅう
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伏見天皇~後伏見天皇

 熈仁(ひろひと)親王が即位(伏見天皇)したのは23歳の時。院政は親→子の流れであるので後深草上皇が政務を執ることになった。亀山上皇はこれを機に出家し法皇となる。武士の間で流行している禅宗に興味を持ち自分でも本格的に学ぼうと思ったのだ。後宇多上皇は政務を離れたがそのぶん学問に集中することにした。

 天皇の即位と共に、西園寺実兼は娘の鏱子を中宮として差し出す。実は後宇多天皇の在位中に鏱子を后にという縁談が持ち上がっていたのだがそれを見送っての入内だった。この実兼の後深草上皇びいきに陰口を叩く者もいた。

 天皇は他にも何人かの后を迎えたが、第一皇子の胤仁(たねひと)親王を産んだのは五辻経子だった。五辻家は藤原氏だが、藤原氏の中では格下である。そこで、胤仁親王を鏱子の養子とした上で親王を皇太子とした。西園寺鏱子はこの時まだ18歳で今後子供を産むチャンスはいくらでもあったはずなのに(ただし実際には鏱子が子を産むことはなかった)、このように慌ただしいことをしたのは、天皇が自分の直系の子孫を嫡流にすべく一刻も早く立太子したかったからだと思われる。

 だが、案の定というべきか天皇のこの行動に激しく怒りを燃やす者が現れた。

 ある晩、天皇の御所に武装して馬に乗った武士の集団が押しかけ、近くにいた女官を脅して天皇の寝所を訊き出しそこへ踏み込んだ。だが天皇は中宮のところに行っていたため寝所は空だった。もちろん女官はそれを知っていたのでわざと教えて逃げる時間を稼いだのだ。そして彼らは警備の兵に囲まれて自害する。彼らの所持品から調べるに、犯人は亀山上皇派の人間、いや、黒幕は亀山法皇自身ではないかと噂された。しかし亀山法皇は私はやってないという宣誓文を書き、何より後深草上皇が「弟がそんなことをするはずがない」と庇ったためそれ以上の追及は無く終わった。

 鎌倉はこの事件を受け、今後は天皇の位は後深草天皇の子孫の「持明院統」と亀山天皇の子孫の「大覚寺統」から交互に出し、10年くらいで交代するようにと調整した(両統迭立)。

 後深草上皇は院政を2年ほどで停止し出家する。天皇自身の政務経験を積ませてやりたいという考えからのようだった。

 天皇は勉強熱心で書道に長けた人物で、鎌倉の信用が落ちかけてきた時期であったこともあって朝廷の政治的権威をある程度取り戻すことに貢献した。

 それから約十年後、天皇は予定通り胤仁親王に譲位し(後伏見天皇)、自らは上皇となって院政を敷いた。両統迭立の原則から、後宇多上皇の皇子である邦治親王が皇太子となる。だが大覚寺統派から譲位を急かされ4年の在位で譲位することになった。

挿絵(By みてみん)

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