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歴代天皇即位の軌跡  作者: じゅう
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安徳天皇①

 言仁(ときひと)親王が即位した(安徳天皇)のはわずか3歳のとき。摂政には平氏と繋がりの深い近衛基通が就いたが実質的な最高権力者は天皇の外叔父となった平清盛だ。高倉天皇は上皇となったが政務を執ることはなく和歌を詠んだり美しい后たちのもとへ通ったりして心を癒した。

 天皇の即位直後から動乱が巻き起こる。源頼政が後白河法皇の子である以仁(もちひと)王に掛け合い、平氏討伐の令旨(命令書)を全国各地の源氏に送ったのだ。頼政は源氏でありながら清盛と敵対することがなかったので朝廷でそこそこの地位にいたのだが、息子が平氏から屈辱的な扱いを受けたことで恨みを持っていた。また以仁王は天皇の子でありながら平滋子(高倉天皇の母)の圧力で親王宣下を受けられず「親王」ではなく「王」のままであったため、これまた平氏に恨みを持っていた。

 この令旨はすぐに清盛に知られることとなり、以仁王と頼政は三井寺に逃げ込む。そしてそこの僧兵たちに協力を取り付け戦の準備をした。だが、戦に関しては全くの素人である以仁王は平氏軍の攻撃には敵わず、頼政と共に戦の中で傷を負い亡くなった。このとき以仁王の子(本名不明)は平氏の追手から北陸地方へと逃れた。

 清盛は、以仁王の件が収まると、以前から計画していた摂津国(現在の兵庫県)の福原への遷都を開始する。宋(そう)との貿易に便利な土地で、軍事的な拠点としても有利な土地だったためだ。だが、高倉上皇は遷都先で病がちになり京に戻りたがった。公卿たちや寺社からも京に戻してくれという声が非常に多かったため、半年後には京へ還都することとした。このグダグダが平氏の斜陽を表しているかのようだった。

 そして、以仁王は亡くなっても令旨を受け取った源氏武者たちは平氏討伐の機会を伺っていた。

 かつて平治の乱で捕らわれ、伊豆に流されていた源頼朝が口火を切って挙兵、続いて木曾からは源義仲が挙兵する。

 平氏と源氏の戦は源氏が有利に進めた。そして京の近くでも反乱が起こったことにより既に64歳だった清盛のストレスはピークに達し、突如高熱を出して倒れこみ、それから数日で亡くなってしまう。この清盛の死は源氏に勢いをつけることになり、様子を伺っていたその他の武士たちも源氏に加勢するようになった。

 清盛の後を継いだ宗盛は、後白河法皇の幽閉を解いて公卿や寺社との融和を図り、その代わりに平氏を官軍に、源氏を賊軍にする令旨を求めたがその交渉はなかなか巧くいかなかった。

 やがて俱利伽羅峠の戦いで義仲軍に大敗し、さらに義仲軍が京にまで攻めてくることを知った平氏はついに京を発ち西国へ逃げることを決める。このとき主要な皇族も一緒に連れていくつもりだったが、法皇は平氏のその企みを聞きつけると一足早く逃げ出して鞍馬寺に身を隠した。摂政の近衛基通は天皇に付き添うつもりでいたが、直前に考え直し京に残った。

 平氏一族は天皇と(皇太子にするつもりで)天皇の異母弟の守貞親王を連れ、三種の神器も持ち出して出発する。将来の巻き返しを考えて権威の象徴がどうしても必要だったのだ。

 残された公卿たちはこれからどうしようかと相談した。

挿絵(By みてみん)

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