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歴代天皇即位の軌跡  作者: じゅう
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朱雀天皇と平新皇

 寛明親王は醍醐朝の皇太子であった保明親王、慶頼王が相次いで亡くなったために巡ってきた3人目の皇太子であった。寛明親王の母の藤原穏子は近親者に次々と先立たれたために菅原道真の祟りを恐れ、幼き親王を宮廷の奥の部屋で何重にも張り巡らせた几帳の中で育てた。育ち盛りの幼児をそのような環境に置いてよい影響はなかっただろう。あまり体の強い子ではなかったようだ。また、優しい穏やかな性格であったと伝えられているが、自我を出せないように育てられたというほうが正しいのかもしれない。

 親王が8歳のとき、醍醐天皇から譲位された(朱雀天皇)が、この年齢では政務は執れないので、藤原時平の弟の左大臣の忠平が摂政となった。

 天皇が即位してから数年の間に富士山の噴火や大地震といった災害が立て続けに起こった。これも菅原道真の祟りかと、若き天皇は怯えることになった。15歳になると元服して二人の后をもらうことになるが、子供はなかなか授からなかった。

 そんな折、はるか東国(関東地方)の一帯で大きな事件が起こる。「新皇」という新たな天皇を名乗る者が現れたのだ。


 下総国の平将門は桓武天皇の五世孫で、臣籍降下した平氏の一族だった。平氏一族は東国一帯の各地を国司として分け合って治めていたが、領地争いで小競り合いを繰り返していた。その中で平将門は軍事に才能を発揮して諍いに勝利していたのだが、敵対していた側のほうが朝廷とのつながりが深かったためしばしば反乱者の汚名を着せられていた。それでも朝廷は公平に両者を裁いていたのだが、終わらぬ争いに業を煮やした将門は、謎の巫女から「そなたに天皇の位を授ける」とお告げを受けたのをよいことに「新皇」を名乗り東国の支配者として君臨することとした。これは朝廷からも明らかに謀反であるとされ、平将門は新皇即位から2ヶ月後には討ち取られた。


 天皇は東国の平将門の乱、そしてほぼ同時期に起こった瀬戸内の藤原純友の乱に心を痛め、自然災害と合わせて、これらは自分に徳がないためだろうかと悩んだ。天皇は19歳になったが忠平の摂政を解任すると即座に関白に任命しそのまま政務を任せ続けた。

 世継ぎの皇子も生まれず、天皇は自信を喪失していった。やむをえず皇太子には同母弟の成明親王が立つことになった。

 そんなある時、天皇は少し母に甘えたくなったのか穏子のところに遊びに行く。穏子は「あらまあ立派な姿になって」と喜んだが、続けて「成明(なりあきら)のそんな姿も見てみたいものだねえ」と言ったことが天皇の心にチクリと刺さった。母上はもう私に天皇を辞めて成明に位を譲れと言いたいのだろうか。そう考えた天皇は譲位を決意した。譲位後も朱雀天皇は村上天皇からの太上天皇(上皇)の尊号を辞退しようとしたぐらいだった(最終的にはしきたりだからと受け入れた)。

挿絵(By みてみん)


 その後、上皇は穏子から「そんなつもりで言ったのではありませんよ」とフォローされ、それならばもう少し頑張るべきだったと後悔することになる。


 

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