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淳和天皇
譲位されてイヤイヤ即位(淳和天皇)した大伴親王だったが、皇太子を決める段になって反撃する。
「恒世親王を皇太子に指名しようとしたが、固辞されたので嵯峨上皇の子の正良親王を皇太子とする」
これでは大伴親王を天皇にした意味が無い。嵯峨上皇は慌ててその立太子を辞退するという書状を天皇に送ったがそれは受け入れられなかった。
それでも嵯峨上皇はより尊い血統の皇子を天皇にすることをあきらめなかったようで、娘の正子内親王を皇后として娶らせた(高志内親王は早世しており、亡くなった後に皇后の称号を贈られている)。
天皇がここまで皇位を嫌がったのは朝廷の権力争いに自分や子供たちを巻き込みたくなかったからだと考えられている。しかし、こうして守った恒世親王は天皇が即位した3年後に22歳の若さで亡くなってしまう。ショックのあまり天皇はしばらくの間政務が手につかなかった。
それでも復帰後は真面目に天皇として仕事をした。右大臣の清原夏野の助けを借りながら朝廷の財政問題に取り組んでいる。
天皇は10年治世を行うと、正良親王に譲位した。
日本後紀の分はここまでです。
少し間を開けて、続日本後紀をベースにこの続きを書いていきます。




