9 宇宙とギター
同じ音でも、どこで聴くかによって、まったく違って感じられることがあります。
それが気のせいなのか、それとも本当に大切な違いなのか——。
第9話は、「音が存在する場所」と、それを守ろうとする人たちの話です。
「……なんかあってん?」
春比古はうつむいてしまったが、亜依は楽しげにみんなを見回した。
「うちの道場に、最近、春比古が入門したのよ」
「で、亜依さんに投げ飛ばされちゃったとか?」
三帆が興味津々と言ったふうに尋ねる。
「ふつうなら、初心者なんか相手にしないんだけどねー。春比古がどうしてもって言うから」
「秒殺……とか?」
三帆の問いに亜依は答えなかったが、ふふふ……と笑った様子からすると、当たらずといえども遠からず……らしかった。
「入れなかったお客さん、たくさんいたんですか?」
赤い顔のままうつむいている春比古が気の毒で、龍星は話題を変えた。
「けっこういたね。最近は、整理券ないと入れないってこと、みんなが分かってきたから、当日に来て入れない人は少なくなったけど。整理券が品切れになっちゃってからも、かなりの人がもらいに来てたから……」
「なんか……申し訳ないかも。入れない人がたくさんいるのに、僕なんかが……」
苦労なく入ってしまって……と言いかけた龍星の言葉を遮ったのは一樹だった。
「龍星は、俺のギターをちゃんと聞いてるから。これからも、おまえの分は三帆に預けとく」
「あ……」
一瞬なにを言われたか分からず戸惑った龍星だったが、言葉の意味が分かると、嬉しさがこみ上げてきた。
「……ありがとうございます」
「やっぱり、会場を変えた方がいいんじゃない?」
と言いだしたのは三帆だった。
一樹は途端に不機嫌な顔になる。
「その話は、何度もダメだといったはずだ」
「だけど、会場を学校の体育館とかにすれば、一度にたくさんの人が入れるし」
「学校の体育館」と聞いた瞬間、龍星は「それは違う」と思った。なぜだか分からないが、一樹のギターは、この場所……この喫茶店の空間が似合っている気がしたのだ。
「どうしてダメなのよ?」
三帆はぷうっとむくれた。
「ギターの音は、そんなに大きくない」
「そんなの、マイクをそばに立てればいいだけじゃない」
「俺は、嫌だ」
「だけど、そうすれば、もっとたくさんの人が一樹兄さんのギターを聞けるし……。そうなれば、転売屋の心配もないでしょう?」
確かに、三帆の言い分にも一理ある。おそらく、三帆はチケットのトラブルから、一樹の「趣味」が規制を受けてしまうことを怖れているのだろう。
一樹は、不機嫌な顔をしたまま答えない。ほかの誰もが口を開けず、その場に気まずい雰囲気が流れる。
「今日はじめて来た僕が、こんなことを言うのはなんだけど……」
全員がいっせいに龍星を見た。
みんなの視線を少し痛く感じながら、龍星は言葉を続けた。
「確かに、一樹さんの『趣味』が規制を受けるようになるのは僕も嫌だ。でも、『体育館』というのも違うと思うんだ。僕は音楽に詳しくないし、耳だっていいほうじゃないから、生の音と、マイクを通した音がどう違うのか……なんて分からないけど……。一樹さんのギターは、だだっ広い『体育館』には似合わないと思う」
「似合わない?」
聞き返したのは、一樹本人だった。
「あの……広い場所がダメって言うんじゃないんです。でも、体育館は……明るすぎるって言うか……。ほら、どうしても、そこにいる生徒の名残が見えるでしょう?」
問いかけに頷いてくれたので、ほっとして話を続ける。
「それが、一樹さんの世界に入り込むのを邪魔する気がする。『体育館』だったら、『宇宙空間』は感じられなかったんじゃないかって……思う……んです」
つい夢中になってまくし立ててしまったことに気づいて、語尾が少し曖昧になる。いつもなら、こんなに自分の考えを主張するような会話はしない。
飲み慣れない酒を飲んだから、少し酔ってしまったのかもしれない。
「……はじめてでも、分かるヤツには分かるんだな」
一樹はそんなふうに龍星の言葉を評した。
それを聞いて、三帆の表情が強張る。それを救うように、亜依が言った。
「私には、三帆ちゃんが心配する気持ちも分かるわ。『趣味』を規制されちゃったら、コンサートどころじゃないもの」
「体育館でやるくらいなら、やらない方がいい」
吐き捨てるような一樹の言葉に、三帆がびくっと肩を揺らす。
「そんな、極端なこと言うんじゃないの」
亜依がやんわりと一樹をたしなめる。
「まあ、『体育館じゃダメだ』っていう、一樹の気持ちも分かるけど……」
「どっちなんだよ」
「とりあえず、転売屋が出ないように私とマスターとでがんばるわよ。それから、なんとか二回公演ができないかどうか、ちょっと調べてみる。それで、様子を見るってことでいい?」
亜依はそう一樹と三帆に尋ね、二人は黙ってうなずいた。
「けど、一樹も気をつけてよ」
亜依が一樹に釘をさす。
「気をつけるってなにを?」
聞き返した一樹は、分かっていてわざと聞き返しているふうだった。
「とりあえず、仕事はサボらない。平日、人目のあるところでギターを弾かない」
「はいはい」
一樹は、からかう口調で返事したが、亜依はひるまなかった。
「ただでさえ、一樹は睨まれてるんだから、素行には十分注意してよ」
「一樹さんが睨まれてるって?」
龍星は、隣の青に小声で尋ねる。
「ああ……一樹さんがウェイターやってることで少し……」
「ウェイターがなにかまずいの?」
青に尋ねた質問の答えは、亜依から返ってきた。
「一樹は成績優秀だったのよ。『適性検査結果』には、法律家も医師も、教師も選択肢にあった。それなのに一樹は進学しないで、中等学校を卒業と同時にウェイターになった」
「でも、ウェイター……サービス業も選択肢にあったんなら、何の問題もないんじゃ……」
と正論を返しながらも、龍星は、めったにないことだよな……と頭の中では思っていた。
「適性検査結果」にある職業の中からなら、なにを選んでもかまわない……それはあくまでも建前だ。たいていの人間は、上の方に書かれた職業の中からどれかを選ぶ。
それが暗黙のルールだから、下の方に書かれている「サービス業」や「工員」を選べば「なにを考えている?」と他人に問われる結果になる。
「まあ……原則はそうなんだけど……」
亜依は言葉を濁す。
「中等学校にいる頃から、コンサートはしてたからな。それに、親は裁判沙汰を起こしてるし」
投げやりな口調で龍星が言う。
「え?」
「裁判沙汰」という穏やかでない単語に、龍星は思わず聞き返してしまう。言ってしまってから、プライベートに立ち入りすぎたかと後悔してうつむいてしまった龍星を救うように三帆が言った。
「一樹兄さんのお父さんとうちのお父さん……ちょっとトラブルがあって……。その時、弁護をしてくれたのが亜依さんが勤めている法律事務所の所長さんで……」
「……そうなんだ」
「ああ……だから、俺がやばくなったら、今度も頼むぜ、亜依センセ」
一樹がからかう口調で言う。だが、口調と違って目は真剣だった。
亜依は、その一樹の目をまっすぐに見返す。
「私にだって、出来ることと出来ないことがあるのを、忘れないで」
「ああ……分かってる」
一樹もまた、亜依をまっすぐに見返してそう答えた。
「辛気くさい話はそれまで。ぱーっと飲もうで」
と青が言ったのがきっかけとなり、深刻な話はそこまでで、そのあとはそれなりに賑やかな宴会になった。一樹は無口だったが、機嫌がよくなると歌を口ずさんだりする。
青はテーブルを端に寄せて場所を作り、そこで踊る。
三帆は余ったチラシを龍星に押しつけ、「紙飛行機!」と注文をつける。
龍星は酒に弱い方ではないが、自分がけっこう酔っていることを自覚していた。「うまく作れるかな……」とつぶやきながら作った紙飛行機は、それでもすーっと部屋を横切り、カーテンにあたって落ちた。
「へぇ~、よく飛ぶね~」
マスターが感心したように言う。
青が窓際まで飛んでいき、紙飛行機をこっちに向かって飛ばす。龍星がコツを教えたおかげで、青が飛ばした紙飛行機も部屋を横切り、龍星の目の前に飛んできた。
それをもう一度飛ばす。
今度の紙飛行機は、半回転しながら飛び、青が伸ばした手のすぐ前でUターンして龍星の手元に戻ってきた。
「なんや、けち!」
文句を言う青に、龍星は笑って見せた。
「私も!」
手を差し出した三帆に、その紙飛行機を乗せてやる。
Uターンの技術などない三帆と青は、部屋の端と端でその飛行機を飛ばし合い始めた。
龍星がもうひとつ作った紙飛行機は、出来上がったと同時に一樹が取り上げて、窓のほうに向かって飛ばした。それは、ちょうどそこにいた青が拾い、一樹に向かって飛ばし返す。
そんなふうに紙飛行機で遊んでいる中、今まで亜依と世間話をしていたらしい春比古の、かなり酔った声が響いた。
「だから、亜依さん、僕と結婚しましょ」
第9話をお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、コンサートの在り方をめぐって、それぞれの立場や考え方が少しずつ見えてきた回でした。
一樹のこだわり、三帆の不安、そして龍星の率直な感覚——どれも間違いではないからこそ、簡単にはまとまりません。
そんな空気を一変させたのは、やはり春比古でした。
彼の一言が、この先どう波紋を広げるのか(あるいは何も残さないのか)、次回もお付き合いいただければ嬉しいです。




