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8 音と宇宙

生の演奏を聴いたとき、人はなぜ感動するのでしょうか。

その理由を言葉にしようとしたとき、かえって分からなくなることもあるのかもしれません。


第8話は、そんな「感動の正体」と、少しだけ縮まる距離の話です。

「理由?」


「うん。僕、生の演奏って聴くのははじめてだったんだ。はじめて生演奏を聴いたから感動しているのか、それとも、一樹さんのギターが特別だったのか……どっちだか分からない」


「なんや、そんなことか……」


 青はぷっと吹き出した。


「なに笑ってるんだよ」


 人は真剣なのに……と龍星が不満を表情に表すと、青は、


「ごめんごめん。けどな――」


 と、ようやく笑いを収めた。


「そんなん、どっちでもええやん。理由はどうあれ、龍星は一樹さんのギターに感動した。コンサートに来て良かった……そう思たってことやろ?」


「うん」


「それだけでええんやないの? 難しいことは考えんでも」


「そうかな」


 確かにそうかもしれないが……自分で自分の気持ちがきちんと解明できないのは、どことなく居心地が悪かった。


「青君、椅子の片付け手伝って。そっちの君も」


 龍星と青に声をかけたのは、喫茶店のマスターでもある畑中(はたなか)満男(みつお)だった。年齢はおそらく五十代半ば。接客業らしい柔らかな物腰の、落ち着いた雰囲気の男性だった。髪の毛は半分白髪になっているが、太ってもいず、姿勢も良い。


「オッケ」


 青が立ち上がり、龍星もそれに習った。

 パイプ椅子は近くの初等学校から借りているそうで、連休明けに返すから……と、喫茶店の裏手にある倉庫の中に積み上げられた。

 反対に、倉庫にしまわれていたテーブルを並べると、そこは完全にふつうの喫茶店に姿を変える。もう、コンサートの名残はどこにもない。


 演奏者である一樹も、いつの間にか姿を現し、椅子の片付けをもくもくと手伝っている。三帆や青は一樹にねぎらいの言葉をかけていたが、龍星はどうやって声をかけたらよいか分からずにいた。

 最後のテーブルを運び終えたときだった。


「ちょっと」


 聞き慣れない声に振り向くと、龍星に声をかけたのは一樹だった。


「……僕ですか?」


 周りに誰もいないのに、そんな確認をしてしまう。自分の馬鹿さ加減に顔が赤らむのを感じたが、一樹はなんとも思わなかったらしい。


「そう。悪いけど、こっち持ってくれ。一人じゃ運べねーんだ」


 一樹が指したのは、仮のステージを作っていた二メートル四方ほどの台だった。


「あ、はい」


 龍星は一樹に指示されるままに、台の片方を持ち上げた。

 二人で、台を倉庫にしまう。倉庫の壁に立てかけて、倒れないように固定すると、一樹ははじめて気づいたというふうに、龍星の顔を見た。


「……見慣れない顔だな」


「あ……はじめて……なんで」


「なのに、片付けまで手伝わされてんのか?」


 一樹が、無造作に長い髪をかき上げる。


「青……城下君たちの……友だちなんで……」


 兄弟のようにして育ったという三帆の名前を出した方がよかったか……と、すぐに後悔したが、一樹は「城下」で分かったようだった。


「ああ……三帆が言ってた、最近できた医学部の友だち……か?」


「それ、僕のことだと思います。医学部五年の柏木龍星です」


「そっか」


 うなずくと、一樹は倉庫の出口に向かった。龍星もそのあとを追う。


「どうだった?」


 出口付近で、振り向かないままに一樹が尋ねる。


「え?」


「俺の、演奏」


「あ……すごく……すごく、よかったです。こんなに感動したのは、はじめてです」


「ふうん……」


 本当の気持ちを言ったのに、言葉はどこか上滑りに聞こえる。一樹は社交辞令ととったかもしれない。


「あの……一樹さんの演奏を聴いていたら、自分がここにはいないような気がしたんです」


「ここにはいない?」


「ええ。ここじゃなくて、もっと広い……囲まれてない場所……たとえば、宇宙空間とか……そういった場所にいるみたいな、そんな錯覚がして……それで……」


 そのあとをどう続けていいかわからなくて、龍星が黙ると、一樹は振り返って、にやっと笑った。


「宇宙、ね……」


 そして、もう一度背を向ける。


「最近聞いた中じゃ、一番嬉しい褒め言葉だぜ」


 一樹はそれだけ言うと、倉庫を出て行った。

 自分の感動が本物だと信じてもらえたらしい。……龍星はそのことが嬉しくて、微笑が顔に浮かぶのを感じながら、一樹のあとを追った。


 店の中では、慰労会の支度が調っていた。

 円形テーブルの上に料理が並べられ、酒も用意されている。


「龍星、こっち!」


 青に呼ばれて、彼の隣に座る。反対隣は三帆、その隣が一樹。龍星の反対隣は春比古で、春比古の隣がマスター、そしてマスターと一樹の間には初対面の女性がいた。


「なんかあったんか?」


 青が龍星に尋ねる。


「なんかって?」


「なんや、嬉しそうやから」


「あ……べつに……」


 なにもないと言おうとする前に、一樹が口をはさんだ。


「俺のギターに感動したんだってさ、そいつ」


「それは、さっきも聞いたけど?」


「なんかしらねーけど、宇宙空間を漂っているような気分になったんだとよ、俺のギター聞いて」


 さっき言った言葉をそのままくり返されて、龍星は頬が赤らむのを感じた。


「へぇ。確かにいい表現かもしれないね。『宇宙空間』を漂う。一樹のギターは、そんな感じかもしれない」


 マスターがうんうんとうなずきながら、一樹のコップに酒を注ぐ。


「ずいぶん詩的な表現ね。文学部の学生さん?」


 一樹の隣にいた女性が聞いてきた。

 ストレートヘアを腰のあたりまで伸ばして、きっちりとスーツを着込んだ女性は、キリッとした顔立ちの美人。だが、身のこなしに隙のない感じから、かなり堅い仕事に就いていると思われた。


「龍星さんは医学部です。医学部の五年生」


 三帆が、訂正する。

 マスターともちゃんとあいさつしていなかったことを思い出して、


「柏木龍星です」


 と、自己紹介して頭を下げる。


「これからも贔屓にしてね」


 と、マスターが笑いかけてくれた。


「はい」


 うなずいた龍星に、一樹の隣の美人が自己紹介する。


「私は秋本(あきもと)亜依(あい)。弁護士してるから、なにか困ったことがあったら相談に来ていいわよ」


「はあ……」


 法学部も六年だから、この女性(ひと)は二十四歳以上ということになる。もちろん、女性に年齢を聞くような無謀な真似はしないが。

 一樹は二十七歳だと聞いていたので、彼の同級生かなにかだったのかもしれない……そんな予想を、龍星は立ててみた。


「それじゃ、乾杯しようか」


 マスターがグラスを手に取り、促す。


「オッケ」


「はーい」


 それぞれがグラスを手に取り、


「一樹のコンサートの成功を祝って……乾杯!」


「かんぱーい!」


 あちこちでグラスを合わせる音がして、全員がグラスの酒に口を付けた。

 ひとしきりお祝いや感想の言葉を言葉を交わしている間、龍星は春比古がいつもと少し違うことに気づいた。いつもと違い、視線に落ち着きがない。そして、その原因は、亜依にある――と。

 それに気づいた直後、春比古が心配そうにマスターに尋ねた。


「チケットのほう、だいじょうぶでしたか?」


「チケット?」


「この前のコンサートの時は、転売屋が出たって……」


「ああ……今日もいたけどね……亜依ちゃんが話をつけてくれたから」


「え!?」


 春比古が、亜依の顔を見る。

 亜依が、ふふっと笑う。どこか不敵な笑顔だった。


「『趣味』のコンサートのチケットを金銭でやりとりした場合の罪状について、ちょーっと説明してあげただけ」


「ははは……。そら、相手はびびったやろな」


 青はケラケラと笑ったし、ほかのみんなも笑ったのに、春比古はなぜか怒り出した。


「なんで、そんなあぶないことするんですか! 相手は犯罪者なんですよ? もし、居直られたりしたら……。怪我でもしたらどうするんです!」


 春比古の剣幕に、亜依はあっけにとられ、返事が出来ないでいた。


「亜依が、そこら辺のちんぴらに負けるかよ」


 ぼそっと言ったのは、一樹だった。


「あ、たしかに。亜依さんは空手の有段者やから、その心配はあらへんな」


「空手、なさってるんですか?」


 そう尋ねながらも、龍星はなんとなく納得していた。美人でほっそりとしているが、亜依にはまったく隙がない。空手の有段者と聞いても驚かない。むしろ、当然のような気がする。


「そう。弁護士だからってわけじゃないけど……一応、護身術ね」


 亜依はそう説明したが、春比古一人、まだ納得していなかった。


「いくら有段者だって、女の人なんだし、相手が複数だったら……」


 ぶつぶつ言う春比古に、亜依は呆れたように笑った。


「私だって馬鹿じゃないから、相手が複数なら無茶はしないわよ。それに……私の強いの、春比古は知ってるでしょ?」


 言われた途端、春比古の顔が真っ赤になった。

第8話、お読みいただきありがとうございました。

龍星にとってはじめての「生の音楽」と、一樹とのやり取りを中心に描いた回でした。

「宇宙」という言葉は、彼なりに必死に見つけた表現です。

そして後半では、新キャラクター・亜依も登場しました。

春比古の様子も含めて、今後の関係性にも少しずつ変化が出てきます。


次回もよろしくお願いします。


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