5 見えない設定とつながる風
人との関係は、いつ始まって、いつ終わるのか。
それを正確に説明できる者は、きっといない。
理由があって近づくこともあれば、理由もなく離れていくこともある。
そしてときには――
気づいたときには、もうそこにある関係もあるのだ。
飯野と龍星は単なるクラスメートではなく、親友と言えるほど親しい仲だった。中等学校に入ってすぐに飯野の方から声をかけてきて、つきあいが始まった。
「医者になりたいんだ」
中等部一年の頃から、飯野はそう言っていた。そして、両親ともに医者の龍星も当然医者になると思ったのか「医学部に進んでも、よろしく頼むぜ」などと言ってきた。
龍星は特に医者になりたいと思っていたわけではなかったが、両親もそれを願っていたし、飯野がそう言うのならそれもいいか……と、思っていた。
だが……。
飯野の「適性検査結果」に「医師」の文字はなかった。
一番上に書かれていたのは「教師」。
飯野は適性検査の前に、必死に勉強していたから、学力では差がなかったと思う。
飯野の結果に「医師」がなかったのは学力以外――性格とか、手先の器用さとか――が原因だったのだろう。
だが、飯野はそうは思わなかった。
龍星と違って、自分は親が医師でないからだ……とか、終いには「龍星の親が裏から手を回したんじゃないか」とさえ、言うようになった。
飯野は適性検査委員会に異議申し立てをしたが、却下され、教育学部に進学を余儀なくされた。
龍星の「適性検査結果」には、もちろん「教師」もあった。だが、飯野につき合って自分の進路を変える気にはなれなかった。
龍星が医学部に進むことを決めた日、飯野は「二度と俺に話しかけるな」と龍星に言い放ち、二人の関係はそこで終止符を打った。
ユニバーシティーでは、学部が違えば顔を合わすことはまずない。たまに、食堂で姿を見かけたり、廊下等ですれ違ったりしたが、飯野は完全に龍星を無視していたし、龍星の方から彼に声をかけることもなかった。
そんな飯野が、今日龍星に声をかけてきたのは、教育学部の青たちと一緒にいたからにほかならないだろう。
学部が違うことで友情を終わらせてしまった相手が、自分と同じ教育学部の学生と友好関係を作っていることが、飯野には解せなかったのだろう。
龍星との関係は、飯野が一方的に切ったものだということを棚上げして……。あるいは、すっかり忘れてしまっていたのかもしれないが。
ただ、龍星は気づいてしまった。
飯野とつき合っているとき、自分はどこか無理をしていた。
だが、青たちとの関係にはそれを感じない。おそらく、意識せず、自然に始まった関係だったからなのだろう。
「青くーん。龍星さーん」
しばらくして、三帆と春比古がやってきた。もちろん、飯野はいない。
「見ててや。よう飛ぶようになったで」
青が折り紙の飛行機を、やってきた三帆たちのほうに飛ばす。
それは、すーっと綺麗な動きで、三帆の足元に着地した。
「ほんと! すごい」
三帆がそれを拾って、青のほうに飛ばす。
龍星が完璧に調整した紙飛行機は、同じように綺麗な動きで、青の足元に落ちた。
はしゃいでいる三帆と対照的に、春比古は浮かない顔をしていた。
「飯野になにか言われた?」
木陰に座っていた龍星の隣に座り込んだ春比古が盛大なため息をついたのを機に、尋ねてみた。
青と三帆は、少し離れたところで楽しげに紙飛行機を飛ばしている。
「……いや、そうじゃないんですけど……。飯野先輩のこと、僕、尊敬してたんですよ。研究熱心で、すごく真面目で……。なのに、あんなふうに考えていたなんて……」
「あんなふう?」
「レベルがどうとかってことです。人間にレベルがあるなんて考え、僕は好きじゃない。特に、それが『適性検査結果』で決まるなんて考えは……」
「そうよ! 失礼しちゃうわよっ!」
いつの間にか来ていた、三帆が同調する。
「私は、先生になりたいから『教育学部』なの! あんな考えの人が教師だなんて、信じられない! あんな人に教わる生徒がかわいそうよ!」
全身から怒りがあふれている感の三帆を、龍星がなだめる。
「あれは飯野の本心じゃないよ。僕がいたから、少し意地になっていただけだと思う」
「龍星さんと、飯野先輩って……」
どういう関係なんですか? と聞こうとした春比古の言葉を、青が遮った。
「あー、喉乾いたな。春比古、なんか、飲みもん買うてきてや」
そのタイミングに、龍星はほっとする。
「パシリかよ……」
春比古は文句を言ったが、いつものことなのか苦笑しながら立ち上がる。
「あ、じゃあ、私はレモンティー」
三帆が、当然のことのように注文する。春比古はそれにうなずき、
「龍星さんは?」
と聞いてきた。
「え? いいの?」
「ついでですから」
「じゃあ、ウーロン茶を……」
「ウーロン茶にレモンティー。青は?」
すると、青はまた、いたずらっ子の顔になった。
「悪魔と地獄と天使がいっぺんに味わえるヤツ。恋はいらない」
「…………分かる言葉で言ってくれ」
春比古がため息をついたが、青はケラケラと笑って答えを言わない。
「コーヒーだよ。砂糖抜きの」
龍星が説明してやると、春比古と三帆がまた顔を見合わせた。
「なんで、わかったんです?」
「なんか、そんな言葉があったんだよ。うまいコーヒーは、悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で、恋のように甘い……とかなんとか……」
「正解!」
青が嬉しそうにぱちぱちと拍手をする。
「あのな、普通にコーヒーって言えよ」
春比古は、ぶつぶつ言いながら、飲み物の自販機に向かう。
「手伝うよ」
龍星はそのあとを追った。四人分の缶飲料を一人で持つのは大変かもしれない……と思ったからだ。
二人で飲み物を買っていると、春比古がふいに言った。
「やっぱり、龍星さんてすごいですね……なんて言うか……こう格が違うって感じ」
「はあ?」
言われて意味が分からずに思わず問い返すと、春比古は自分の分らしいココアのボタンを押しながら言った。
「わけのわかんない青の言葉もちゃんと分かって、それをあっさり解説してくれるし。頭がいい医学生なのに、気取らずに、こうして飲み物買うのも手伝ってくれるし」
「……べつに……普通だろ」
自分の飲むものを自分で買いに行くのは当たり前のことだし、青の言葉の意味も……。
「青の言葉が分かるのは……たぶん、読んでいる本の傾向とかが似ているってだけだと思う」
もちろん、同じ本を読んでも、同じ部分を憶えているとは限らないから、それだけ二人の感性は近いのかもしれないが……。
「でも、それを憶えてるんだから、記憶力がいいってことですよね」
なにがなんでも、龍星を優秀な人間にしたいらしい春比古に、それ以上抵抗しても無駄な気がして、龍星は曖昧に笑ってやり過ごした。
青たちの所に戻ると、三帆が鞄からなにかを取り出していた。
「今度の日曜に、一樹さんがギター弾くんやて」
戻ってきた春比古に、青が説明する。
「一樹さんが?」
「そう。整理券、もらってきたから」
三帆が、取り出した物は、数枚のチケットとチラシのようなものだった。それを一枚ずつ青と春比古に渡す。
「サンキュ」
「おおきに……え? 全部新曲なん?」
青が、チラシに目を通して尋ねる。
「そう。マスターは『人気のある曲は一度弾いた曲でも、入れたら?』って言ったんだけど、一樹兄さんは、今回は全部新曲にするって」
「そりゃ、楽しみやな」
「龍星さん、音楽とかに興味あります?」
三帆が、チラシを龍星に差し出した。
受け取って見ると、『ギター・コンサート 演奏・二ノ宮一樹』と書かれ、さらに曲名らしきものが並んでいる。
日付は数日後の日曜日。場所は『喫茶・ブルーベリー』とあった。
「このひと、三帆ちゃんのお兄さん?」
訊いてしまってから、苗字が違うことに気づく。事情がある――両親が離婚とかしているのなら、失礼だ……と慌てて取り繕おうとしたが、それは龍星の杞憂だった。
「ほんとの兄じゃないんです。幼馴染みって言うか……。家が隣同士で、親同士が仲が良くて家族ぐるみでつき合っていたから。小さい頃から『一樹兄さん』って呼んでて、そのくせが抜けなくて……」
三帆が照れくさそうに笑う。
「ああ……そうなんだ」
「一樹兄さん、その『ブルーベリー』って喫茶店でウェイターをしてるんです。それで、第二日曜だけ、コンサートを開いてるんです」
「趣味がギターなんだ」
「ええ。それが、今ではけっこう評判で。お客さんが入りきらないから、整理券出してるんですよ」
三帆の声は、ちょっとだけ自慢げだった。
「……すごいんだね」
「一樹さんのギターはすごいんやで。龍星もコンサートに行ったらええよ。整理券、あるやろ? 三帆ちゃん」
「うん。龍星さん、よかったら、来てください」
三帆がチケットを差し出す。
「いいの? 欲しい人がほかにもいるんじゃないの?」
整理券が出るほどのコンサートなら、聞きたくても聞けない人もいるのではないだろうか? そう龍星は思ったが、
「これは、龍星さんの分です。そう思って、兄さんにもらったから、だいじょうぶですよ」
と、三帆に言われてしまえば、受け取るしかなかった。それに、青が「すごい」と言うギターを聞いてみたい気もした。
「じゃあ、いただくよ。ありがとう。楽しみにしてるよ」
受け取ると、三帆は嬉しそうな顔でうなずいた。
「はい!」
「だけど……」
その時、春比古が遠慮がちに口を開いた。
「チケット、かなりの争いになってるって聞いた。一樹さん、『超限度』に、気をつけないと……危ないかも」
かつて、強く結ばれていたはずの関係は、ある日を境に、あっけなく途切れた。
けれど今、龍星のそばにあるのは、理由を必要としない、穏やかなつながりだ。
それがどれほど脆く、どれほど尊いものなのか――
まだ、誰も知らない。
そして、その関係さえも揺るがすかもしれない言葉が、
静かに姿を現した。
――「超限度」。




