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4 遺された言葉と見えない設定

 風は、ただ吹いているものだと思っていた。

 誰もがそう信じて、疑うことなく日々を過ごしている。

 けれどもし、それが「決められているもの」だとしたら――。

 目に見えないものほど、人は疑わない。

 そして、疑わないまま築かれていく関係もまた、同じなのかもしれない。

「……すごい」


 最初に言葉を発したのは三帆だった。


「せやろ? けど、龍星の紙飛行機は、もっとすごいんやで」


「なんで、青が自慢するんだよ」


「ええやん。オレが龍星と友だちになったから、おまえら、こんなすごいのみられたんやで?」


「何だよ、その理屈は……」


 自分の話なのに、自分を置き去りにして会話が進んでいる。それなのに、そんなに悪い気はしない……そんな自分の感情に戸惑い、龍星が口にした、


「今日のこの時間の風の『設定』が、紙飛行機に合っていただけだよ」


 この一言が、和やかな場の空気を一変した。


「『設定』って……」


 春比古と三帆が、顔を見合わせる。


「そうかもしれませんけど、ふだん、そんなこと考えて生活なんてしてませんよね」


「……ああ、そうだね」


 またやってしまった……と思いながら、言葉を濁す。ほとんどの人間にとって、天気も風も、毎日変わるもの。明日の天気はわからないもの……なのだ。

 すると、青が、妙に鋭い視線を龍星に向けてきた。


「もしかして、龍星の頭の中には、全部入ってるん? 天気や風の『設定』が」


 そんなはずないだろう、と答えるべきなのだろうと思いながら、それでも、何故か嘘はつけなかった。


「……おおよそは」


 春比古と三帆が息を呑む。

 彼らとの関係もこれで終わるかもしれない……。そう、龍星が覚悟を決めたとき、青がいきなり、表情と口調を元に戻した。


「やっぱ、医学部に行くようなヤツの頭の出来はちゃうんやなぁ。今度、明日の天気が知りたくなったら、龍星に訊けばええってことやな」


 便利な友だちができて、ラッキーだぞ、おまえら、と続けて言われ、三帆と春比古が引きつった笑顔を見せた。


 微妙な雰囲気のまま昼休みは終わり、青達は午後の講義に向かった。

 午後一番の講義は休講だった龍星は、そのまま食堂に居残った。

 さっきの紙飛行機は、まだそのままの場所に落ちている。

 そして――。


 風は止んでいた――設定通りに。


 さっき、青が開けた窓を閉める。窓の外の空気も、食堂の空気も変わりはない。空気は清浄機で常に快適に保たれるから。


 ――風も、天気も、本来は「設定」されているものだ。


 政府のサイトにアクセスすれば、その内容を知ることができる。だが、わざわざ確かめるものはほとんどいない。


 天気は天気、風は風――。


 誰もが、それを「ただそこにあるもの」として受け止めている。

 他の人と同じように、そう思えたなら、自分はもっと生きやすかったのかもしれない……と、時折、龍星は考える。こんな日は、特に。


 食堂で青に声をかけられて以来、龍星はほとんど毎日、青たちと一緒に昼食をとっていた。

 龍星が意識してそうしたわけではない。青たちが先に食堂に着ていれば、必ず大声で、しかも手まで振って呼ばれる。そこまでされて、断る理由もなければ、隣に座るしかない。

 龍星の方が先に着ていれば、青が必ず見つけて、いつの間にか隣に座っている。龍星が誰かといれば遠慮したのかもしれないが、あいにくと、龍星には昼食を一緒にとるような友人はいない。


 最初のうちはぎこちなかった春比古や三帆も、日を重ねるうちに、青と同じように接してくれるようになった。

 とはいえ、青たちとの繋がりは、昼休みだけだ。一緒に昼食をとって、次の講義まで無駄話で過ごす。

 それが楽しい……とまでは感じていなかったが、彼らは龍星が黙っていても特に気にする様子もなく自分たちでおしゃべりに興じているので、嫌だとも思わなかった。


 そんなふうに半月ほど過ぎた頃。

 その日はめずらしく、三帆から端末にメールが入った。昼休みに食堂で会いたい……というものだった。

 といっても、もちろんふたりきりではない。三帆のメールの宛先には、青と春比古のアドレスも入っていたから。

 いつものように、青と春比古を交えた四人で昼食をとる。

 三帆が、わざわざメールを入れた理由を話そうと口を開きかけたとき、ふいに声をかけられた。


「柏木じゃないか」


 声だけでそれが誰かが分かった。そして、背筋に怖気が走る。すぐに振り向けずにいると、青がそんな自分をじっと見つめていることに気づいた。

 ようやく、龍星が振り向くことが出来たのと、声の主に春比古が声をかけたのは同時だった。


飯野(いいの)先輩」


「……久しぶり……」


 龍星が声を絞り出すと、飯野はにやっと笑って近づいてきた。


「変わった取り合わせだな。こいつら、教育学部のヤツらだろ? しかも三年?」


「はい。三年です」


 春比古が言うと、飯野はああ……となにかを思い出したように言った。


「笹沢ゼミにいたヤツか。たしか……河野?」


「はい。その節は、いろいろお世話になりました」


 春比古が、礼儀正しく頭を下げる。


「ええと……春比古君、知り合い?」


 三帆が春比古の肩をつつく。


「教育学部の先輩だよ。今年卒業した、飯野先輩」


「そうなんですか。教育学部三年の藤崎三帆です」


「藤崎さんね」


 飯野が視線を三帆から青に移す。

 けれど、青はそっぽを向いたまま、飯野に視線も合わせようとしない。いつもは愛想がいいのにヘンだな……と思っていると、春比古が取りなすように言った。


「こいつも、教育学部三年です。城下って言います」


「ふうん」


「先輩は確か、中等学校に就職されたんですよね?」


「ああ」


「……どんな感じですか、中等学校って?」


 三帆が興味津々といった感じに尋ねる。自分の将来にも関わることだから、気になるのだろう。


「ああ……まだ研修中だからな。今のうちに、論文をひとつ仕上げちまおうと思ってな」


「それで、大学に?」


「教授に相談があったんだ」


「論文ってことは、管理職を目指されてるんですか?」


「まあな」


 ちょっと自慢げで、龍星は鼻持ちならないものを感じたが、三帆は気づかなかったらしい。


「今は、研修期間中ですよね?」


 そう尋ねる三帆に、飯野は得意げに説明する。

 管理職になるには論文が必要で、審査に通っていれば、あとは経験年数で昇進が決まる。

 そんなことは、飯野に教えられなくても、教育学部の三帆達には分かっているだろうに……と、龍星は心の中で思う。

 それは、春比古も同じだったのかもしれない。


「聞いたことがあります。研修中に論文を書いてしまうのは、管理職を目指す者には合理的な方法だって」


 わずかなトゲを含んだ言葉に、飯野は気づかない。


「そりゃあ、教師になる限りは、その頂点を極めたいからな」


 飯野は、それを質問した三帆ではなく、龍星を見て言う。


「龍星さんとお知り合いですか?」


 飯野の視線に気づき、春比古が問う。


「ああ。中等学校の時のクラスメートだ。な、柏木?」


 「クラスメート」という表現に飯野の意志を感じる。だが、龍星はうなずくことでそれをさらりと流した。


「で、河野たちと柏木の関係は?」


「友だちや」


 今まで、ずっと黙っていた青が口を開いた。


「友だち? 医学部と教育学部で、しかも歳だって違うのにか?」


 明らかに見下している飯野の口調に、三帆と春比古も眉をひそめる。


「友だちになるンに、学部や歳は関係ないやろ?」


 青が飯野の顔を見て言う。青が、飯野の顔をまともに見たのは、このときがはじめてだった。


「へえ~、そうですかね」


 真剣な口調の青に対して、飯野はわざとバカにしたような口調で返す。


「柏木、こいつらはおまえを友だちだと思ってるらしいけど? おまえの方はどうなんだ? 友だちか?」


「……友だちだよ……三人とも」


「お優しいことで。自分よりレベルの低い人間でも、慕ってくる者は受け入れるってか?」


「教育学部が、医学部よりレベルが低いなんて、思ったことはないよ」


 それは、龍星の本音だったのに、飯野は嫌な高笑いをした。


「そんなはずないだろう。『適性検査』にいくつの『適職』が書かれているかで、人間の価値は決まるんだ。そうだろ? おまえだって……」


 飯野が青の肩を掴む。


「もし、『適性検査結果』に、『医者』や『法律家』があったら、そっちに進んでいたろ?」


 だが、青はそれに答えなかった。


「せや、龍星」


 と、鞄から折り紙で作った紙飛行機を取り出す。


「これ、うまく飛べへんのや。調整してぇな」


「……うん」


 受け取って、折り紙のバランスを見る。


「バランスは悪くないけど……」


「けど、全然ダメなん」


「……テスト飛行してみないと、なんとも言えない」


「じゃ、テスト飛行しよ」


 言うなり、青は龍星の腕を取って立ち上がった。


「龍星とオレの食器、片付けといてな」


 青は春比古と三帆に片手で拝むような仕草をすると、二人の返事も待たずに龍星を連れて食堂を出て行った。


 あっけにとられている飯野を残して。


 食堂前の広場で紙飛行機のテスト飛行をしながら、龍星は青が自分を助けてくれたんだな……と思った。

 飯野との間の気まずい雰囲気を察して、自分を食堂から連れ出してくれたのだろう。外に出ても、青は飯野のことはなにひとつ口にしなかったけれど。

 風は止んだ。

 設定された通りに。

 けれど、人と人との距離は、そんなふうにはいかない。

 近づいた理由も、遠ざかる理由も、誰かが決めてくれるわけではない。

 だからこそ、その関係に名前をつける瞬間は、ほんの少しだけ、怖くて――そして、確かなものになる。

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