3 月明かりと遺された言葉
思いがけないかたちで、話は少しだけ遠くへ飛んでいく。
それが冗談なのか、それとも――本気なのかは、まだ誰にも分からない。
青との再会は、『予定』よりもずっと早くやってきた。
翌月曜日の昼休み。
ユニバーシティーの食堂で、龍星が昼食のトレイを手に席を捜していると、かなり遠い窓際の席から、声がかかった。
「龍星! こっち! こっち、空いとるで!」
やたらに通りのいい声は、かなり騒がしい食堂の中でもはっきりと聞こえ、学生たちの注目を浴びている。
どうしていいかわからなくて龍星が固まっていると、聞こえなかったと思ったのか、青の声はさらに音量を増した。
「龍星! こっち! こっちやて!」
これ以上注目を浴びるのが耐えられなくて、龍星は分かったという印に、軽く片手をあげた。
そのまま、何人かの学生の注目を浴びながら窓際の席に行く。
青は、四人がけの席に三人で座っていた。向かいの二人は、友だちらしい。
ほかに座るところがないので、龍星は向かいの二人に会釈して、青の隣に座った。三人ともまだ食事の途中だった。
「B定食か? うまい?」
青が、龍星のトレイを覗き込んで尋ねる。
「まだ、食ってないよ」
笑いながら、箸を取る。
青の前にはカレーライス。向かいの二人の前にはA定食があった。
「味見してええか?」
青はそう言うと、龍星の答えを待たずに豚肉のショウガ焼きをひとつ手で摘んで口の中に入れている。
「まあまあうまいやん。今度、これにするかな?」
悪びれずにそんなことを言われてしまえば、文句も言えない。曖昧に笑っていたら、青の正面に座っていた女子学生が声をかけてきた。
「青君のお知り合いですか?」
黒くてまっすぐな髪の毛を肩まで垂らした、目の大きいかわいい顔立ちの学生だった。
「友だちや。柏木龍星」
龍星が答える前に、青が答えてしまう。しかし……自分たちはいつ「友だち」になったのだろう。昨日のあの邂逅は、青にとって「友だち」になるには充分な時間だったのかもしれないが、自分にとっては……と、龍星が考えていたとき、
「ええと……僕たちよりも年上……ですよね?」
正面に座っていた男子学生が、遠慮がちに訊いてきた。無造作に見えていて、実は調えられている茶色い髪。二重の目はまつげも長く印象的だが、少し上向きの鼻と、やや厚めの唇が彼の顔を愛嬌のあるものに変えている。
「たぶん……。五年生ですから」
「あ、じゃあ……」
女子学生の方が、目をきらきらと輝かせる。
教育学部は、四年で卒業となる。五年生まであるのは、医学部、法学部をはじめとしてわずかしかない。
「……医学部です」
隠すほどのことでもないのであっさりと告げると、女子学生は息を飲み、男子学生は、
「優秀なんですね」
と、青と同じような感想を漏らした。
「教育学部と、大差ないですよ」
彼らはたぶん青と同じ学部だろうと考えて、そう答える。
「えー! 全然違いますよ~」
女子学生の反応に、答えたのは青だった。
「オレもそうゆうたんやけど、龍星はそういうことにこだわらん質みたいや」
「青と友だちになるくらいだもんな」
「なんや、それ」
「心が広いってこと」
「そうそう、僕たちって心が広いよな?」
男子学生が隣の女子学生にふると、女子学生はケラケラと笑いながらうなずいた。
「うん。広い広い」
親しげに笑っている二人の様子を見た龍星の口から、意識しないままに質問が飛び出る。
「二人はもしかして『恋人』同士?」
「え!?」
龍星の質問に、笑い合っていたふたりが同時に振り返る。
「あ、ごめん。プライベートな詮索をするつもりはなかったんだけど……」
なんで、こんなぶしつけなことを聞いてしまったんだろう……と、龍星の頬がわずかに赤らむ。
いつもなら、こんな質問は絶対にしないのに……。青の隣に座っていることで、微妙に影響を受けたのかもしれない。
けれども、龍星が思っていたほど、前の二人は驚かなかったらしい。青で慣れているのかもしれないが……。
「ああ、かまいませんよ。でも、僕たちは『恋人』じゃないです」
すると、青がいたずらっ子のような目で笑って言った。
「おまえらが恋人同士やとしたら、アフロディテとヘパイストスやな」
「???」
言われた意味が分からないのか、二人とも顔を見合わせて曖昧に笑う。
「彼は人好きのする顔立ちだと思うけど? ヘパイストスは失礼だろ」
意味が分かった龍星がそうたしなめると、青は満足そうに笑った。
そんな青と龍星の顔を見比べて、女子学生がおずおずと尋ねる。
「もしかして、今、青君が言った言葉の意味、分かったんですか?」
「アフロディテとヘパイストス? うん、分かったけど……」
昨夜、公園で言った『人生云々』の名言よりは、よほどポピュラーだと思ったのだが、やはり分からなかったらしい。
「つまり、青はなんて言ったんです?」
男子学生が尋ねる。彼には悪い気がしたが、青が言ったことだから……と、龍星は説明しようとしたが……。
「ああ……つまり……アフロディテとヘパイストスって言うのは、美女と……」
どうしても、その次の言葉が言えずにいたら、青がさらっと言ってしまう。
「醜男のカップルの代表みたいなもんや」
一瞬の間をおいて、男子学生叫ぶ。
「青!」
それを、青はケラケラと笑う。
「けど……はじめてよね。青君のわけのわかんない言葉を理解する人って」
「僕たちの周りで、分かるヤツはいないもんな」
女子学生の言葉に男子学生もうなずいている。
この二人もカップルではないが、女子学生が青の恋人というわけでもないようだった。
「やっぱり、医学部通うような人は頭がいいのね」
たとえ話がひとつ分かっただけで、その評価は気恥ずかしくて、龍星は話題を変えた。
「ええと、君たちは同期生?」
尋ねると、女子学生がうなずいた。
「そうです」
「ああ……じゃあ、二人とも教育学部」
分かり切ったことをもう一度確認したのは、褒められたことの気まずさが残っていたからだ。
「おまえら、自己紹介もまだやで」
カレーを食べ終わってスプーンを皿の上に置いた青が、二人をちらりと睨んだ。
「あ……」
「すいません」
二人は、青に言われてはじめてそのことに気づいたのか、慌てて自己紹介をする。
「教育学部三年の河野春比古です。ええと、季節の春に比べるに古い……で『春比古』です」
「同じく、藤崎三帆です。字は……」
説明するのが面倒だったのか、三帆は持っていたスケッチブックを掲げて見せる。そこには学籍番号とIDナンバーとともに、「藤崎三帆」と名前が書かれていた。
「僕はこの字です」
それに習って、龍星も自分のノートの表紙を見せる。
「へえ、かっこいい字なんですね」
これまた、青と同じ反応。教育学部の特性なのか、それとも、青という存在が周囲に及ぼす影響なのか……。そんな物思いを破ったのは、三帆だった。
「青君と龍星さんて、どこで知り合ったんですか?」
興味津々という感じで訊いてきたが、それも無理はない。同じユニバーシティーとはいえ、学部が違えば接点はほとんどない。
「公園や。オレがダンスしている公園。そこで龍星は紙飛行機飛ばしてたん」
「紙飛行機? それって、こういう……?」
春比古が、レポート用紙を一枚破って紙飛行機を作る。一番簡単なタイプのものだ。
「ちゃうちゃう。龍星のは、もっとこう……精密で、かっこええんよ」
「模型飛行機ってこと?」
三帆の質問に答えたのも、龍星ではなく青だった。
「ちゃうねん。模型飛行機は、プラスチックや木材も使うねん。けど、龍星のは紙だけでできてるん」
まるで、自分の手柄のように語る青に、龍星は苦笑してしまう。昨日聞いたばかりのことを、まるでずっと昔から知っていたことのように語れるのは、一種の才能かもしれない。
「どんなんだろう。見てみたいな」
言いながら、春比古がレポート用紙の紙飛行機を通路に向かって飛ばす。
ぞんざいに作られたそれは、十センチも飛ばずに龍星の足元に落下した。それでも、春比古は特に落胆した様子ではない。紙飛行機が飛べる距離はこんなものだ……と予測していたように。
龍星は、身をかがめて落ちた紙飛行機を拾う。
「あ、すいません」
春比古が手を差し出してきたが、返さずに真正面からその紙飛行機を見る。やはり、胴体がねじれている。
胴体のねじれをなおし、両方の翼を同じ厚さに調整する。さらに、エルボンを少し上に折り曲げる。
「窓、開けて」
窓際に座っている青に言う。
青は、龍星がしようとしていることが分かったらしい。にやっと笑うと、食堂の窓を全開にした。
風が吹き込んでくる。
その風に乗せて、紙飛行機を外に向かって飛ばす。
いつもの――飛行機を飛ばしたときの周囲の音が遠のく感覚――。
春比古が飛ばしたときとは比べものにならない美しい形で、紙飛行機は外へ飛び出していく。そのまま、食堂脇の道路を越え、その向こうの花壇も越えて、さらに向こうの木の根元に、紙飛行機は優雅に着地した。
四人の視線は紙飛行機に留まり、誰も、すぐには言葉を発さなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
青の語る言葉は、軽口のようでいて、どこか引っかかるものになればと思い書きました。
そして、紙飛行機。
あの場に残った沈黙が、次の話へどうつながるのかも楽しんでいただけたら嬉しいです。




