2 偽りの空と月明かり
少しずつ、世界の違和感が顔を出しはじめます。
何気ない会話の中に、当たり前のようでいて、どこかおかしなものが混ざっている――そんな空気を感じてもらえたら嬉しいです。
今回も、ゆっくりお付き合いください。
ゆっくりと顔を上げた青は、にやっと笑うと、その紙飛行機を手に取った。
起きあがり、地面に座り込んだ青の呼吸はまだ荒い。それでも、龍星の方を見てもう一度笑いかけ、龍星に向かって紙飛行機を飛ばす。
だが、不慣れな青の飛ばした飛行機は、龍星の時のような弧は描かず、フラフラと漂い、青と龍星のちょうど真ん中にぱたっと落ちた。
「悪りぃ、壊してしもうたかな?」
龍星に向かって投げられた言葉は、激しい踊りの余波か、まだかすれていた。
「そんなに柔じゃないよ」
龍星も笑いかけ、飛行機を拾ってから青のそばまで歩いて行く。
「ダンスは君の『趣味』?」
「せや」
言いながら、青はコンポのスイッチを切り、近くに置いてあったバッグからスポーツタオルを取り出す。
そのまま、もとの場所に座り込み、身体の汗を拭いはじめた。
「なんか……すごいね」
「すごい?」
「うん。ダンスなんて見たことがなかったけれど、なんか……こう……魅いられた」
思ったままを口にすると、青はふっと笑った。
「おおきに」
芝生に座っている青を見下ろしながら話を続けるのを居心地悪く感じた龍星は、青の隣に腰を下ろす。
風に乗って、青の汗の匂いが鼻をかすめる。体育会系のノリや、スポーツの類が苦手な龍星だったが、特に嫌悪は感じなかった。
「週末はいつもここで練習してるの?」
龍星が尋ねると、青はくすっと笑って、なにやら意味の分からないことを言った。
「人生と違うて、時間はあるからな」
「人生?」
聞き返したけれど、青はくすっと笑っただけで、説明しようとしない。……その時、龍星の頭にひとつの言葉が浮かんだ。
ずいぶん前に読んだエッセイ集……たぶん、名言の類を集めたものだったと思うが……それに書かれていた言葉を。
『人生とは、稽古する時間もなしに、われわれが役を演じなければならない芝居だ』
確か、そんな感じだったと思う。
「ダンスは、稽古することができるってわけだ。ぶっつけ本番の人生と違って」
名言から類推した考えを口にすると、青は心底驚いた顔で、目を見開いた。
「え? 違ってた?」
「いや……あってる」
青はうつむくと、くすくすと笑う。
「なに?」
「はじめてなんや。オレの意味不明の言葉を、ちゃんと理解してくれる人」
「偶然だろ」
確かに、あの格言を知らなければ、言葉の意味は分からなかっただろう。一度読んだきりの言葉を何故そんなにはっきり憶えていたのか……。それはその言葉が印象的だったからで、それを口にするのだから、青も同様だったのだろう。
もしかしたら、興味の方向性が一緒なのかもしれないな……などと龍星が考えていたら、青が問うた。
「龍星……さんの『趣味』は紙飛行機?」
龍星が手にしたままの紙飛行機に青が視線を落とす。
付け足されたように「さん」に、龍星はくすっと笑う。
「龍星でいいよ。無理に『さん』をつけなくても」
「いや、一応年上だから、つけなあかんかな~思うて」
汗を拭き終わった青が、ふわりとシャツを羽織った。
「たかだか二歳。差のうちに入らないだろう?」
それこそ、体育会系なら一年の違いでも「先輩・後輩」と差をはっきりさせるのだろうが、龍星はそれが好きでない。
学年が違ったとしても、同じ学生同士。大差はないと思う。
「そうか。なら、龍星、紙飛行機が趣味?」
「そうだな。けっこう面白いんだ。いろいろ工夫することで、滞空時間が長くできたり、遠くに飛ばすことができたり……」
「飛ばし方にもコツがあるんやろ? 同じ飛行機なのに、オレが飛ばしたときは、ちっとも飛ばへんかった」
「そうだね。まあ、座ったままじゃ、無理だよ」
プロペラのない紙飛行機は、やはりある程度高い位置から飛ばす必要がある。
「ふうん」
「やってみる?」
龍星が差し出した紙飛行機を、青は一瞬ためらった後、手に取った。
芝生から立ち上がり、構えて……飛ばす。
「……あかん」
フラフラと落ちた飛行機を拾いに走りながら、青はぼやいた。
「やっぱり飛ばへん」
「コツを教えようか?」
飛行機を手に戻ってきた青を見上げる。
「いいん?」
「うん」
それからしばらく、紙飛行機の飛ばし方を青に講義した。
なんで、こんな所で紙飛行機講座をしてるんだろう……と、龍星は自分でも不思議に思う。初対面の相手と、こんなに親しく話すことは、今までにはなかったことだ。
だが、青にとっては日常茶飯事なのか、違和感なく、龍星に話しかけてくる。
「風向きは……こっちに向かって飛ばしてええん?」
「うん。しばらくは設定変わらないと思うから、こっち向きで大丈夫」
この時刻の風は、しばらくは変化がないはずだと思ってそう言ったが、青は、首をかしげた。
「なんや、設定って。つまり、向かい風やろ?」
「……そうだね」
まただ……と、龍星は思った。周囲の人間は、自分ほど「設定」を気にしていない。風は風として受け止めている。それをつい、忘れてしまう。
「それで腕全体を使って押し出すように……そっと」
言葉を続けると、青は素直に頷いた。
「……押し出すように……そっと……」
青が飛ばした紙飛行機は、ふわりと舞い、すーっと芝生に着地した。
「お、さっきより、ずっと遠くに飛んだで!」
青は喜々として、飛行機を取りに行く。そして、そこからまた飛ばす。
「あかん、今度は全然や」
「さっきと向きが違うんだから、風向きをよく見ないと……」
そんなふうに、何度も飛ばしているうちに、空は月明かりに変わっていた。今夜は三日月。月の形は変わるけれど、夜の明るさはほとんど変わらない。新月の闇は、犯罪を助長するというデータがあるせいらしい。
「やった。飛ぶようになったで!」
やがて、青はコツを掴んだのか龍星と同じまではいかないが、かなり上手に飛ばせるようになった。
月明かりだけの夜の公園で、喜々として紙飛行機を取りにいく青の姿は、絵本の登場人物のようだ。
紙飛行機を手に戻ってきた青に、ずっと気になったことを聞いてみる。不思議に思いながらも、あまり親しくない相手にぶしつけな質問はできないと思っていた。けれども、紙飛行機講座をするうちに、そんな遠慮も薄れてきていた。
「あのさ……さっきから気になってたんだけど」
「なに?」
質問しながら、これが逆なら、青はすぐに尋ねてきただろうな……などと龍星は思う。
「青の言葉遣い……ふつうと違うよね?」
「ああ……これは、関西弁ゆうんや」
「カンサイベン?」
耳慣れない言葉だったから、そのままくり返してしまう。
「せや。関西弁。関西弁を使い続けるっちゅうんが、オレの家のきまりなんや」
「家のきまりって?」
ずいぶん変なきまりだと思い、問い返す。
「あー、オレのご先祖さま……ここに来た、えらい昔の人が『関西人の誇りを失わないために、関西弁を使い続けること』って遺言を残したってん」
「ここに来た……」
つぶやいた声は、青の耳には届かなかったらしく、話を続けている。
「関西人っちゅーのも、オレにはよー分からんし、家のきまりなんてわざわざ守ることもないとは思うんやけど、ちっちゃい頃からこの言葉でしゃべってきたよって、今さら変えるのもヘンな気がしてな。オレのゆーてること、わかりにくいか?」
真顔で訊かれて、龍星は思わず首を横に振っていた。
「そんなことはないよ。変わっているけど、言ってる意味は分かる」
「そっか。なら、よかった」
ほっとしたように笑った顔は、月明かりでもはっきりと見えた。
「友だちとかは、なんにも言わないの?」
「最初はみんな、『なんやそれ』って顔するけどな、すぐに慣れる」
「ああ……そうかもね。僕も、もう慣れたから」
「早っ!」
青は、ケラケラと笑った。
確かに、慣れるには早いかもしれないが、ふつうの言葉を話している青を想像できないな……と龍星は思った。
「すっかり遅くなっちゃったね。そろそろ帰るよ」
「ああ、いろいろおおきに」
青は礼を言うと、紙飛行機を龍星に返した。
龍星は、それをスーツケースにしまう。
「へえ、たくさんあるんやな」
そのスーツケースを覗き込んで青が言う。
スーツケースの中には、型の違う紙飛行機が、半ダースほど入っている。
「うちにはもっとたくさんあるよ」
言いながら、スーツケースのふたを閉める。
青は、肩からドラムバックを提げ、手にミニコンポを持っていた。
「家はどの辺?」
「うちは、桜町」
「なら、反対方向やな。オレは紫陽花町やから」
確かに、桜町は公園の東側。紫陽花町は西側にあたる。
「じゃあ……」
「うん。さいなら」
青は、公園の西側出口に向かって走り出す。
何とはなしに見送っていたら、ふと立ち止まり、振り返る。
「またな」
自分に向かって、ぶんぶんと手を振っている青に、龍星は苦笑しながら手を振り返した。
そして、「来週末も、この公園に来るだろうな」と、思う自分を意外に思っていた。
第2話を読んでいただき、ありがとうございます。
龍星と青の距離が少しだけ縮まりました。
同時に、「同じものを見ているはずなのに、少しだけ違う認識をしている」――そんな違和感も出てきたかと思います。
この世界のこと、そして二人の関係は、これから少しずつ明らかになっていきます。
もし気になる点や好きな場面があれば、ぜひ教えていただけると嬉しいです。
次回もよろしくお願いします。




