1 紙飛行機と偽りの空
はじめまして、またはお久しぶりです。
今回から、新作SF小説『雲を恋う―閉じられた世界で、僕は本物の空を目指す―』を連載していきます。
舞台は、厳しく管理され自由のない世界。
職業も、恋愛も、程度「決められた」世界で、ひとりの青年が「本当に望むもの」に気づいていく物語です。
これまでの作品とは少し毛色が違いますが、楽しんでいただければ嬉しいです。
紙飛行機は、綺麗な弧を描いて宙を飛んだ。
青い空を流れるように飛ぶ白い紙飛行機は、とても美しかった。
例え、それが……偽物の虚空でも。
「それ、模型飛行機?」
後ろから声をかけられて、はじめて、その青年がすぐ近くにまで来ていたことに気づいた。
自分が、飛行機を飛ばすことにそれほどまでに夢中になっていたのか……と、柏木龍星は、心の中で苦笑した。
見たことのない青年だった。
狭い世界だから、すれ違ったことくらいはあるかもしれないが、とりあえず記憶にはない。
「模型飛行機じゃない。紙飛行機」
自分よりいくつか年下だろうと踏んで、丁寧語は使わなかった。
「紙飛行機? 模型飛行機とどこがちゃうん?」
聞き慣れない言葉に眉をひそめながら、それでも龍星は説明した。
「模型飛行機は、プラスチックや木材も使ってる。これは紙だけでできているから」
「へえ! それ、紙だけでできてるン?」
青年は、心底驚いたような声を上げ、龍星の手の中の飛行機をしげしげと見ている。
龍星は黙ってそれを、青年に差し出した。
「ホントや。全部紙でできとる。すごいわ」
青年は紙飛行機をあちらこちらの角度から眺めながら、いちいち驚きの声を上げている。壊さないように慎重に扱っているのが感じられて、龍星はこの青年に少しだけ好感を持つ。
「おおきに」
礼の言葉らしいそれを言って、青年は龍星に紙飛行機を返した。
「紙飛行機ゆうたら、点数が悪かったテスト用紙、こーやって折って……」
一番簡単な紙飛行機を折る仕草を、青年はやって見せた。まるで、パントマイムのように上手だった。
「こう、窓から飛ばしてしまうヤツ、あれしか知らんかったわ」
「テストを窓から飛ばしたら、まずいだろう」
「その通り。あとで、センセにごっつ怒られた」
ケラケラと青年は笑う。
確かに面識はないはずなのに、ひどく馴れ馴れしく話しかけてくる。
どちらかといえば、人付き合いの苦手な龍星にはできない芸当だ。……そんなことを考えていたら、その考えを見透かしたように、青年はふっと笑うと言った。
「オレは、城下青。教育学部の三年生や」
学部も学年も違えば、知らなくても当然だな……と思う。ユニバーシティーのキャンバスですれ違ったことくらいはあるかもしれないが。
向こうに名乗られてしまったら、自分も名乗らないわけにはいかない。龍星は仕方なく自己紹介をした。
「僕は柏木龍星。医学部の五年」
「医学部? 頭いいんやな」
小さく口笛を吹いて、そんなことを言う。
「べつに、教育学部と大差ないだろう」
「大差あるって。オレの適性検査結果に『医師』はなかったし。クラスでも、一人いればいい方やろ? 『医師』の結果が出るヤツ」
「……そうかな……」
「ま、オレは、先生目指していたから、それがあってほっとしたけどな」
「先生になりたかったんだ……」
「そうや」
確かに、この人懐こさと明るさは、教師向きかもしれない……と思う。
龍星自身は、医師になりたいと思ったことは一度もない。適性検査結果の一番上に『医師』があり、父親も医師だったから、医学部に進んだまでだ。
ふいに、この青と名乗った青年に興味がわいてきた。
あらためて、その姿を確認する。――今までは、ろくに顔も見ていなかった。
身長は、一七五センチある龍星よりも、十センチくらい低い。だが、姿勢がとてもいいせいで、あまり小さく感じられない。 髪は白に近い金髪。脱色していることは、眉毛やまつげが黒いことから分かる。瞳の色は明るい茶色。色白で肌は綺麗だ。そして……ひどく整った顔立ちをしていることに気づいて、龍星は驚いた。
童話の中の王子さまが現実に現れたら、こんな感じなのかもしれない。それに今まで気づかなかったのは、彼の態度や口調がひどく庶民的だったからだ。
ふと、さっきひっかかっていたことを思い出す。
「名前……どんな字を書くの? 『あお』ってめずらしいよね」
「色の『青』。けど、あんたの名前もあんまりないと思うけど。『りゅうせい』て、どうゆう字?」
「ああ……。ドラゴンの龍――難しい方の――それに、星」
「へえ、かっこいい名前やな」
「書くのに時間がかかるよ」
そう言うと、青はケラケラと笑った。
「そらそうや。……そこの広場、ちょっと借りてもいいか?」
青が指したのは、龍星が紙飛行機を飛ばしていた場所につながっている広場だ。
「借りるもなにも、ここは公共の公園だから」
僕に断る必要はないだろう? と答える。
「おおきに」
そう言うと青は、広場の真ん中に歩いていった。その時、はじめて青がミニコンポを手にしていたことに気づいた。
イヤホンで聴くオーディオプレイヤーを持ち歩く者は少なくないが、スピーカーがついている物を外に持ち出すことはめったにいない。
いったい、なにをはじめるんだろう……と、龍星は紙飛行機を手にしたまま、青のすることをぼんやりと見ていた。
ミニコンポを広場の隅に置くと、青は羽織っていたチェックのシャツを脱ぎ捨てた。現れた上半身は、上着を着ていたときの華奢な印象を裏切る見事な筋肉がついていた。ほっそりとした身体に、薄い筋肉。
柔らかい素材のボトムは、ぴったりと足に貼りついていて、そこにも同様の筋肉がついていることが見て取れた。
青は、広場の中央に進み出ると、ストレッチをはじめた。どうやら、これからなにか運動をするらしい。
広場に設置されている監視カメラをちらっと見上げる。運動をする学生と、紙飛行機を飛ばす学生。問題視されることはないはずだ。
いつまでも見つめているのはおかしな気がして、龍星は青に背を向けると、ふたたび紙飛行機を飛ばし始めた。
青かった空は、少しずつ夕焼けの色に染まりはじめている。
明日は晴れるという設定は、龍星の予想通りだった。なまじ、記憶力がいいから、天気の変化のパターンが予測できてしまう。明日の天気を思い悩む、そんな楽しみを得ていたのは、いったい何歳の頃までだったろう。
そんなことを思いながら、龍星は白い紙飛行機を赤い空に飛ばした。
紙飛行機はいつものように綺麗な流線型を描いて飛んだ。
着地した紙飛行機を拾い、また飛ばし……それを数回くり返したとき、背後からかすかに聞こえる音楽に振り返った。
青が広場の隅に置いたコンポから音楽が流れているらしい。スピーカーが青の方に向いているので、龍星の所までははっきりとは聞こえないが、クラシック音楽のようだった。
メロディラインはよく分からないが、刻まれるリズムだけはこちらに伝わってくる。
なぜなら、そのリズムに合わせて、青の両足がステップを踏んでいたからだ。
前後に交差された両足は、一定のリズムで芝生を踏み、そして離れていく。その足の動きとはべつに、両腕はしなやかに上下する。龍星は、青の肩幅が思っていたより広いことに気づいた。それでいて、腰は細い。
足のリズムの単調さとはまるで別物の柔らかい動き。高く掲げられ、降ろされ……胸の前でクロスし、空を掴むように伸ばされる。
その両手が、まるで誘うように龍星のいる方に伸ばされる。
刹那、龍星の鼓動がひとつ、ドクンと刻む。
もちろん、青は龍星に向かって手を差し延べたのではない。単に踊りの振り付けのひとつ。その証拠に、青の目は龍星を捕らえていない。
それでも、龍星は紙飛行機を飛ばすことも忘れて、青に見入っていた。
踊りは、ほんの少しずつ、動きを大きくしていく。
一箇所にいただけの青が、円を描くような動きを見せる。ステップを踏むだけだった足が、高く掲げられる。自身の頭を越すほどに伸びた足は、ゆがみのない直線。
音楽も大きくなっているのか、メロディが耳に入ってくる。どこかで聞いたことのあるような気もしたが、クラシック音楽に詳しくない龍星には分からない。
踊りはますます激しくなっていく。
何回も回転し、高くジャンプする。どんなに高くジャンプしても、着地はゆるがない。そのまま流れるように次の振りを繰り出していく。
青が回転するたび、髪の先から汗が飛び散る。裸の胸に流れている汗が、夕方のわずかに残った光を受けて、きらきらと光る。
「綺麗だ……」
龍星は、自分でも意識しないうちにつぶやいていた。
ダンスになど興味のない龍星は、学生時代、ダンスの授業を受けた友だちの発表会に義理でつき合ったくらいだ。その時は、面白いとも、綺麗だとも思わなかったのに、青の舞踏は美しいと思った。
やがて、青の踊りの激しさは頂点を極める。ほとんど無表情で踊っていた顔に、満足そうな……そして、得意そうな笑みが浮かぶ。
ふと、衝動に駆られ、龍星は紙飛行機を手にした。青のいる方に向かって構える。
音楽はクライマックス。青はひときわ激しいジャンプを数回した後、パタンと地面に伏せる。音が消えるとともに、青も地面に静かに伏せた。
ちょうどその時、伏せた顔の目の前に龍星の飛ばした紙飛行機が滑り込むように着地した。
第一話を読んでいただき、ありがとうございます。
紙飛行機とダンス、そして少しだけ不思議な世界の空気感を感じていただけたら嬉しいです。
ここから、龍星が少しずつ「自分の意思」を持っていく過程と、この世界の仕組みについても描いていく予定です。
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