21 触れられるものと封じられた歴史
当たり前だと思っていたことが、ある日、静かに崩れることがある。
それは大きな音を立てるわけでもなく、ただ、問いとして心に残る。
――この世界は、本当にそうなのか。
「いいえ。そうじゃありません」
「じゃ、なんだ?」
「あなたの考えを聞きたいと思ったんです」
「聞いてどうする?」
グラス越しに、一樹が龍星を睨んだ。
視線の強さに、背筋に戦慄が走る。だが、ひるんではいられない。
「協力できることがあれば、協力したいし……」
「協力ねぇ……」
一樹は、はっきりとせせら笑った。
「一医学生に、なにができる? 法律を変えることが、できんのか?」
「……出来ません……。少なくとも、今すぐには……」
「だったら、なにもできないのと同じだ。俺にはもう、時間がない。あと三年……いや、二年と七ヶ月だ」
つまり、それが一樹が三十歳になるまでの時間……と言う意味なのだろう。
「でも! なんとか時間を稼ぐなり、ごまかすなりすれば……。例えば……っ」
あなたと三帆ちゃんの両親のように……と言いかけて、龍星はあわてて口を噤んだ。家庭の問題は、軽々しく口にするべきではない。
だが、一樹には龍星の言おうとしていることが分かってしまった。
「俺の親父たちのように……か? あんな暮らし、俺はしたくないし、青にさせるつもりもない」
苦々しく言うと、一樹はまたグラスにウィスキーを注いだ。
「でも……。あなたや青にもしものことがあったら、たくさんの人が悲しむ……」
ほかにどうしようもなくて、そう言うと、一樹は微かに声を立てて笑った。
「おまえ、一番下手」
「え?」
「俺のこと、説得しようとしたヤツは何人もいたけどな……おまえが一番下手だよ」
「あ……」
言われてみて、はじめて自分の馬鹿さ加減に気づく。
亜依だって、三帆だって……知っているのなら春比古も、そしてたぶん満男も……一樹を説得したに違いない。
彼らができなかったことを、龍星ができるはずがない……そのことに、ようやく気づいた。
「マスター」
一樹が、カウンターの中で片付けものをしていた満男を呼んだ。
「こいつに、例の話、してやって」
満男は一瞬ためらったが、一樹の顔を見て、小さくため息を吐いた。
「……わかった」
カウンターから出てきた満男が、一樹と席を交代する。
「まず、マスターの話を聞け。俺の考えは、そのあとだ」
「一番下手」とけなしながらも、自分の考えをちゃんとに伝えようとしてくれる。龍星は、そこに一樹の誠実さを感じた。
彼がしようとしていることは、一見ただの無茶に見えるが……そうではないのかもしれない。
ふたたびカウンターに腰掛けた一樹の横顔を見つめながら、龍星はそんなことを思っていた。
「今年は何年だった?」
向かいに座った満男がふいに尋ねる。
「あ……新暦二三五年ですけど……」
反射的に答えてしまってから、いったいそれが一樹のことと何の関係があるんだ? と満男の顔を見た。
龍星の反応は予想内だったらしく、満男は落ち着いた声でさらに問いを続ける。
「そう。新暦二三五年。その『新暦』ってどういう意味?」
「ええと……新暦元年に、母星から完全に独立した……ということだと思いますが……」
初等学校の最終学年頃に、歴史の授業で教わることだ。
「母星から独立。独立した理由は? そして、今『母星』はどうなってる?」
「もともと独立する予定で、独立できるだけの環境が整ったから……じゃないんですか? 母星の方は……独立したときに完全に交流を絶ってしまったから、どうなっているかは分かりません」
少なくとも、歴史の授業ではそう教わった。
「どうして、交流を絶つ必要があったんだろう?」
「それは……物理的に、遠くに離れすぎたから……ではないんでしょうか?」
母星はある……。だが、誰も行ったことはないし、母星から来る人間もいない。交信もしない。どこにあるかも、今は定かではない。
大量に残されている映像だけが、母星が想像上のものではなく、確かに存在したものであることを証明している。……それが、この世界に住む人間の常識だった。
「そのへんの歴史はね……事実とは違うんだ」
「違う?」
思ってもみなかった言葉に、龍星は息を呑んだ。
「その時の政府がね……事実を隠した。それだけじゃなく、人々の記憶も封印した」
「封印?」
そんなことが、本当に出来るのだろうか? 自分の中の常識が、揺らぐのを感じる。
その思いは、口に出さなくても満男に伝わった。
「例えば、外科的な手術をするとか、催眠術をかけるとか……そういう方法じゃない。長い時間をかけて、事実を封印した。つまり、そのことに関する資料をすべて消去して、さらにその時代に生きていた人間には、自分の知っている本当のことを子孫に伝えることを禁じる。そうすれば、歴史は作り替えることができる」
新暦になったのが二三五年前。そのころに生きていた人間は、みな死んでいる。彼らが誰にも事実を伝えなければ、それは歴史として残らない。
「でも、本当のことを伝えようとする人だっていたんじゃないですか?」
「もちろん、いたよ。でも、表立って、それをすれば罪に問われる。だから、彼らは、密かにそれを伝え続けるしかなかった。証拠を残さないために口伝で、子孫に伝え続ける。秘密を守り続けるために、一子相伝で。彼らは自分たちを『語り部』と呼んでいる」
「もしかして、それが……」
「そう。僕が『語り部』だよ」
静かに告げられた言葉は、それが淡々としていた故に、かえって重く感じられる。
「でも……」
龍星は胸にわいた疑問を口にした。
「一子相伝なら、伝えるのはマスターの子ども一人だけ……なんじゃないんですか?」
一樹は知っている様子だったし、今、龍星にも話そうとしている。それでは「一子相伝」にならない。
「僕は子どものできない体質でね。だから、代わりに一樹に伝えたんだけど……人選を誤ったかもしれないね」
満男は苦笑しながら、一樹の方を見る。
一樹はカウンターに座ったまま、シニカルな笑みを浮かべる。
「謝ってはいないさ。『語り部』の役目は、ただ伝えるだけじゃないだろ? 必要なときが来たら、真実を公にする……そういう役目もあっただろ?」
「確かに……そうなんだけど……」
満男は表情を曇らせる。
「今」がその時だという、確信が持てないのだろう。
「公にするかどうかはともかくとして、俺は『語り部』としてのもうひとつの役目は果たせない。子どもを作るつもりはないから……龍星なら口は堅そうだし、ちょうどいいんじゃねえか?」
かなり重要なことを、軽い口調で言われて、龍星はあわてる。
「ちょっと待ってください。それを聞いたら、僕は『語り部』にならなくちゃいけないんですか?」
そんな重大な責任を負わされるのなら、簡単に話を聞くことは出来ない。よく考えなければ……と思っていると、満男がふっと微笑んだ。
「一樹、柏木君をからかうんじゃないよ」
「え?」
「ごめんね。驚かせて。柏木君を『語り部』にってのは、一樹の冗談だから」
「あ、そうなんですか」
それを聞いて龍星が感じたのは、安堵よりも、落胆。龍星自身、それを意外に思ったのだが……。
そんな龍星の気持ちを知ってか知らずか、満男は話を続ける。
「一樹に出会って……。彼がやろうとしていることを知った時点で、真実を公にする時期が来ているんじゃないかって思ったんだ。だから、一樹に伝えた。……青君や亜依ちゃんにもね……」
「青も……知ってるんですか?」
「ああ」
返事をしたのは一樹だ。
そんなことを一言も言ってくれなかった青に、少しばかりの恨みを感じる。だが、それ以上に、感じているのは――失望。……自分は、選ばれたわけじゃない。
そんな自分に苦笑し、代々語り伝えられた「真実」は、一人で背負うには重すぎる……と、自分をなだめた。
「マスター、前置きはそのくらいにして、そろそろ本題に入れよ」
「ああ、そうだね」
一樹に促されて、満男は「真実」を語りはじめた。
「この世界はね……。かつては『三年コロニー』と呼ばれていたんだ……」
選ばれたかったわけじゃない。
それでも――
選ばれなかったと知った瞬間、心は少しだけ揺れる。
次に問われるのは、「知ったあと、どうするか」だ。




