14 ずれる関係と禁忌の定義
「知らなければよかったこと」を、知ってしまったとき、人は、それでも“正しいまま”でいられるのでしょうか。
龍星が見てしまったもの。
そして、それによって揺らぎはじめた価値観。
この回から、物語は少しずつ、“日常”から外れていきます。
そして……気づけば龍星は、図書館から少し離れた公園のベンチに、一人で座り込んでいた。
いろいろなことが頭の中をぐるぐるとして、うまく整理ができない。
ただ……心臓が嫌な感じでドキドキと打っている。
もちろん、図書館から走ったせいだけではない。
男同士のキス……。
ふざけてキスしていた……とは、とても思えなかった。間違いなく、二人は「恋人同士」だ。
それが分かれば、一樹の不機嫌の意味も分かる。
関係をひた隠しに隠さなければならない二人には、デートの機会も少ないだろう。それを、龍星が邪魔するかもしれない……と一樹は考えたのだろう。
あるいは……もし、龍星も同性愛者ならば、一樹にとっては「恋のライバル」になる。それを、心配したのかもしれない。
それにしても……と、龍星は思う。あれを見たのが、自分でなかったら……大変なことになるのではないか……と。
自宅に戻ると、めずらしく母親が家に帰っていた。
「ただいま」
リビングにいる母と妹に声をかけたが、それに対する返事はなく、代わりに、
「分かったわよっ! 自分の部屋で見るわよっ!」
という妹の文香の怒鳴り声がした。
文香は、リビングを飛び出す。バタバタと廊下を走る足音に続いて、自室のドアを乱暴にバタンと閉める音がした。
リビングのソファーに座っていた母は、はあっとため息をひとつついた。
「文香、どうかしたの?」
向かいのソファーに腰掛けた龍星が声をかけると、母ははじめて龍星の存在に気づいたように目をぱちぱちとした。
「ああ、龍星、お帰りなさい」
「ただいま。それで、文香は?」
「今日、図書館で借りてきた映画をリビングで見たいって言って……」
「映画?」
「いつものヤツよ」
母が、苦々しげに言う。
「……ああ」
詳しくは分からないが、文香が好んで借りる映画の傾向は分かる。おそらく、恋愛映画……それも、どちらかといえば悲恋物が好きなのだ。
医師の両親は、休日でも家を空けていることが多い。文香は、いつもリビングの大画面で、そういった映画を見て、もらい泣きしている。
「私は、そんなつまらないものは見たくないって言ったら……あの通り」
母は、洗練された仕草で肩をすくめる。
ショートヘアは腕のいい美容師がカットしたもので、彫りが深くはっきりとした顔立ちは化粧を施さなくても充分に美しい。龍星のような息子がいる歳には見えない……と言われるのが、母の自慢だ。
もちろん、医師としての腕もいい。
そんな母に、文香の趣味は理解できないらしい。
「あの子、いつもあんな映画ばっかり見てるの?」
母は心配……と言うよりは、軽蔑に近い口調で龍星に尋ねた。
「いつも……ってわけじゃないよ。成績は悪くないんだから、かまわないんじゃない。趣味で何しようと」
少しだけ不快になって、龍星は席を立つ。
龍星の紙飛行機も、この母には、ずいぶんと馬鹿にされたのだ。止めさせられなかったのは、学校の成績が良く、医学部でもいい成績を収めているからだ。
文香も、成績は悪くない。今は医学部の一年生。成績はいい方だと聞いている。母は、これ以上、何を望むというのだろう。
「まあ……そうね」
母は気まずそうに言い、モニターのスイッチを入れた。ニュースが流れはじめた画面を、母はぼんやりと見ている。
「じゃ……」
龍星は、母を残してリビングを出た。
まっすぐに自分の部屋に行こうとして……やはり、文香の様子が気になった。リビングの大画面で映画を見られなくて拗ねているだけならいいが。
母に、何かもっとひどいことを言われた可能性もある。
龍星は、文香の部屋のドアをノックした。
「文香」
声をかけると、すぐにドアが開いた。
「お兄ちゃん」
不機嫌そうだった顔が、龍星を認めると明るくなる。
ドア近くに立つ文香の肩越しに、パソコンのモニターが見える。やはり、恋愛映画を見ていたらしい。
「映画見てるなら、邪魔しないよ」
龍星が出ていこうとすると、文香が腕を掴んで引き留めた。
「いいの。ママが寝てから、リビングの方でもう一度見るから」
文香は、リモコンで映画の再生をストップする。
龍星は部屋に入って、ひとつだけの椅子に座る。文香はベッドに腰を下ろした。
「何か言われたの?」
尋ねると、文香は母と同じ仕草で肩をすくめた。
「いつものことよ。くだらない映画を見たり、小説読んでいるヒマがあったら、医学書でも読みなさいって……」
予想通りの言葉に、龍星は苦笑する。
「仕事が趣味の人だから……」
「だからって、私にそれを押しつけないで欲しいわよっ!」
思い出したのか、文香はまた険悪な表情になる。
龍星は、こんなふうに母とぶつかったことがない。趣味に文句を言われてからは、母には紙飛行機を見せないし、話もしない。
「お兄ちゃんは? 今日はどこで紙飛行機飛ばしてきたの?」
文香には、何度か紙飛行機を飛ばして見せたことがある。すぐに飽きてしまったが、少なくとも母のように「くだらない」とは言わなかった。
「いや、今日は図書館でDVDを見ていた」
言った途端、一樹と青の映像がよみがえり、胸がちくりと痛む。
「ふうん」
だが、文香は龍星のかすかな表情の変化を読み取れるほど敏感ではなかったし、龍星の見たDVDにも興味はないらしい。
「私も図書館で見たかったんだけど、鑑賞室満員だったから」
文香は悔しそうに唇を噛む。そして、
「せっかく、借りてきたのに……」
まるで、愛しい恋人を撫でるように、DVDのパッケージを撫でた。
パッケージでは、金髪の青年が胸の開いたドレスを着た少女を抱きしめていた。
「恋愛映画?」
訊かなくても分かるが、話を続けるために龍星は尋ねた。
「うん。素敵なのよ~。身分の低い青年が、豪華客船に乗るんだけど……そこで……」
嬉しそうにストーリーを語りはじめる文香にストップをかける。
「まだ見てないんだろ?」
「借りるの三度目だもん」
文香はけろっとして言う。
母が呆れた気持ちも少し分かったが……文香を笑えないな……と思う。自分も「龍星祭」を何度も繰り返して見ているのだから。
「それでね……その豪華客船に、貴族の女の子が乗っていて……」
文香は、目をきらきらさせて話を続ける。
こうなってしまったら、中断はできない。龍星は、最後までつき合う覚悟を決めた。
文香の趣味は、読書と映画鑑賞。
春比古のように、趣味がないから「読書」と答えているのとは違う。恋愛小説や映画に限られているが、その量はそうとうのものだ。
恋愛がらみの小説ならなんでも読むが、特に「悲恋もの」が好きだという。
「ハッピー・エンドは薄っぺらな気がするのよねー」
と言うのを何度も聞いた。
身分の違いや、家同士の確執等で愛し合っているのに結ばれない恋人同士……というストーリーに魅力を感じるらしい。
「障害を乗り越えて、恋愛を貫こうとしたのよ。素敵でしょ?」
ふいに、文香の言葉が耳に響く。
ほとんど右から左へ聞き流していた映画のストーリーの中で、その言葉だけが、龍星の心に届く。
「障害?」
「うん。今のこの世界じゃ、あんまりないでしょ? 恋愛は基本的に自由だし。だから、こういう……身分違いとか、禁断の恋とか……そういうのに憧れるのよね」
「いや……」
「え?」
文香に聞き返されて、龍星は言おうとしていた言葉を胸の中で止める。
龍星は言おうとしたのだ。「今でも、禁忌の恋はあるよ」と。許されていない、同性愛なら……と。
「なんでもないよ。あとでリビングでこれ、見るんだろ?」
「うん。ママが寝たらね」
「僕も一緒に見ようかな」
「え? お兄ちゃんが?」
「ああ。邪魔か?」
「そんなことない! 一緒に見よう!」
文香は、嬉しそうにはしゃいで、手を叩いた。
そんな仕草は、ひどく子どもっぽい。およそ、トップクラスの成績を収めている医学部の一年生とは、見えないだろうな……と、龍星は思った。
自分の部屋に戻ると、龍星はパソコンを立ち上げた。
そこから、過去の教科書を呼び出す。
同性愛は、この世界では「禁忌」だ。法律で禁じられている。
この世界では、それが正しいことだと教えられてきたし、疑いを持つこともなかった。
――ほんの数時間前までは。
ただし、医学的に「トランスジェンダー」と診断されれば、特例が発動する。その診断を下すのは医師。
なので、いわゆるLGBTQは、医学部の必修科目となっている。
――龍星は履修済みだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
この回は、龍星にとっての「転換点」です。
これまで“当たり前”だと思っていたことが、少しずつ揺らいでいきます。
そしてその揺らぎは、やがて彼自身の選択へと繋がっていきます。
次回、さらに物語は核心へ。
引き続き、お付き合いいただけたら嬉しいです。




