11 オケアノスと籠鳥
檻の中にいると知りながら、なお空を仰ぐ者がいる。
手を伸ばしても届かぬと分かっていても、それでも、そこに何かを見出してしまうからだ。
閉ざされた世界の中で、芸術は慰めでしかないのか、それとも――
これは、叶わぬものに魅せられた者たちが、それでも目を逸らさずにいようとする、ほんのひとときの記録。
意味はもちろん……分かった。けれども、それにうなずくことは……自分を『籠鳥』と認めることは……どうしても龍星はできなかった。
翌日の月曜日――月に一度の三連休で休日だ――龍星は図書館を訪れていた。
この世界では、芸術家という職業はは認められていない。けれども、芸術そのものを否定しているわけではなかった。
むしろ、精神の安定のために、音楽や演劇映画等を鑑賞することは勧められている。
そうした作品は、すべて図書館に所蔵されていて、住人は自由に借りることができる。
自宅で観ることもできるし、図書館の鑑賞室で楽しむこともできる。だから、龍星は時々ここに来る。
その日、龍星はもう何度目になるか分からない映像DVDを借り出した。初等学校の頃、偶然借りてから、定期的にそれを借りている。
ときどき、無性にそれが見たくなる。空が偽物だ……と感じてたまらないときは特に。
昨日、青と空の話をしたせいか、今朝も起きるなりそれが見たくなって、図書館にやってきた。起きてすぐ……といっても、昨夜遅かったせいで昼過ぎまで寝過ごしてしまい、来たときにはすでに午後になっていたが。
「満室ですか……」
案の定、図書館の個人鑑賞室は満室だった。
「自宅貸し出しになさいますか?」
図書館の職員が尋ねる。
もちろん、家で見ることも出来る。だが、龍星は首を横に振った。
「いいえ、鑑賞室が空くまで待ちます」
「分かりました。それでは予約を入れておきます」
職員が言い、龍星は待合室のソファーに腰掛けた。
この映像は、大きな画面で見たかった。家にも大画面テレビがあるが、今日は休日。両親と妹がいる。彼らの前でこの映像を見ることはためらわれたし、自分の部屋のパソコンでは、画面が小さすぎる。
ヒマつぶしに借りた本のROMを端末機に入れて、読み始める。そうして三十分も過ぎた頃、
「あれ~? 龍星やないか?」
声をかけられて顔を上げると、ソファーの近くの自販機で青が飲み物を買っていた。
「ああ、青も来てたんだ」
図書館は、全部で五館ある。ユニバーシティーの近くに本館。そして、分館が四つ。龍星が来たのは自宅に近い分館で、青の最寄りもここになるのだろう。
「こんな所で、なにしてるン?」
「空き待ち」
「ああ……満室なんや……」
青はつぶやき、龍星の膝の上に置かれているDVDを見る。
「それ、見たいん?」
「うん」
「長さはどのくらいや?」
「六十分くらいだけど……?」
青の意図が分からないまま、答える。
「六十分か……」
青は壁に掛かっている時計を確かめ、しばらく考えていたが、龍星の顔を見るとニコッと笑った。
「したら、オレの部屋で見たらええよ。今んとこ一人やし」
『今のところ一人』という言葉にひっかかったが、それを問い返すことはしないで、龍星は断りの返事をした。
「悪いよ。なにか見てるんだろ?」
「どうしても見たいってもんやないし。七時までだったら、ディスプレイ、好きに使うてええよ」
今度は『七時まで』という言葉にひっかかる。
「けど……」
龍星がなおもためらっていると、青は膝の上からDVDをひょいと取り上げた。そして、
「龍星、なに飲む?」
と、自販機を指す。
「あ……コーヒー……」
反射的に答えてしまうと、青は自販機からコーヒーを買い、
「行こ」
と、鑑賞室の方にどんどん歩いていってしまう。龍星は、慌てて職員に空き室待ちのキャンセルを申し出て、青のあとを追いかけた。
個人鑑賞室は、一人用と二人用がある。もっとたくさんの人数で使える鑑賞室もあるが、そちらは予約が必要となる。
青が借りていたのは二人用だった。
正面に大きめのディスプレイが配置され、両脇にスピーカー。二人がけのソファーの前に、小さなテーブルがある。
『今んとこ一人』と『七時までなら』の言葉を合わせれば、七時になると誰かが来るのだと簡単に予測できる。
今は三時だから、もちろんDVDを見る時間は充分あるが……。
入った部屋のディスプレイでは、映像が流れていた。ポーズもかけずに、青は飲み物を買いに出たらしい。
テーブルに飲み物を置くと、青は映像を止めるためにリモコンを手に取った。
「あ、いいよ。それが終わってからで」
と、龍星が言ったのは、本来の借り主である青に遠慮したのが半分、あとの半分は、青が見ているものがなんなのか知りたかったからだ。
「え? べつにええんよ。これはもう何回も見とるし」
「僕のこれも……」
龍星は、青が無造作にテーブルに置いたDVDを指す。
「もう何回も見てるから」
「ふうん。ま、ええか。時間はあるし」
青はリモコンをテーブルに戻し、ソファーに腰を下ろした。
その隣に龍星も腰を下ろす。
画面の映像は、舞踏だった。男性のダンサーが一人で踊っている。裸の上半身に、黒いタイツ姿。
その振り付けを、龍星は見たことがあった。
「これ、もしかして、青が公園で踊っていた?」
「せや」
青は簡潔に答え、そのまま画面を見つめる。
その目は、真剣そのものだった。青は、いつもどこか冷めたような、軽い雰囲気をまとっている。ちゃらんぽらんとかいい加減というのではないが、何をするにも全力を出し切らない七〇%くらいの力加減でやっている感じがするのだ。
けれども、今の青は違う。画面を食い入るように見つめる目は熱を帯びていて、時折、まるで自分も踊り出しそうに手や足をびくっと動かす。
もっとも、龍星にとって、そんな青ははじめてではなかった。
公園で出会ったあの時も、青はこうだった。今と同じ真剣なまなざしで、踊っていた。その後の軽いつきあいで忘れてしまっていたが、これが青の本来の姿に思えた。
龍星は、ダンサーが踊っている画面ではなく、それを見ている青を見つめてしまっていた。だが、そんな自分に気づき、慌てて画面に目を戻す。
龍星が自分を見ていたことに気づいていたのかいないのか、そのタイミングで青が声を発した。
「このダンサー、オレが一番尊敬してる人やねん」
「そうなんだ」
さっきはチラッとしか見なかったダンサーを、あらためてきちんと見る。鍛えられている身体には、薄い筋肉が綺麗についている。髪は薄い茶色。派手な舞台用のメークで素顔は分からないが、たぶん彫りの深い端整な顔立ちだと思われる。
年齢は……二十代後半くらいだろうか。もちろん、とうの昔に亡くなっているだろうが……。
男性ダンサーが一人きりで踊っていると思っていたが、そうではなかった。せり上がった円形の舞台の上にいる彼がソリスト。その円を取り囲むように二十人ほどのダンサーが踊っている。
龍星がそれに気づかなかったのは、曲のはじめの頃、周囲のダンサーたちが動いていなかったからだ。
曲が進むにつれて、周囲のダンサーも少しずつ動き始める。最初はゆっくりとわずかな動きで。次第に曲が激しくなり、それに伴って中央のソリストも、そして周囲のダンサーたちの動きも激しくなっていく。
足が何度も高く跳ね上がる。今まで押さえていた分を爆発させるかのような、軽やかなジャンプ。水の中を泳いでいるよう見える流麗な動き。
そして、何かを求めるように何度も手をさしのべたあと、ソリストは舞台の中央に身を沈める。それと同時に、周りで踊っていたダンサーたちも、彼を取り囲むように舞台に身を投げ出す。
ふーっと、隣の青が息を吐いた。ずっと息を詰めて見ていたのかもしれない。
「……すごいね」
いろいろな意味をこめて、龍星が青に声をかける。映像の中のソリストもすごかったが、それを食い入るように見つめていた青の真剣な表情の方が、龍星の心にはより深く印象を残している。青自身は気づかないだろうが。
龍星の言葉に、青はただうなずいただけ。
沈黙に耐えきれず、龍星はめずらしく饒舌に話を続ける。
「最初、一人だけで踊ってると思ったよ。だけど、周りにたくさんいたんだね」
「ああ」
「もしかして、青も、あんなふうに踊りたい?」
「あんなふうて?」
映像が終わってからはじめて、青が龍星の方を見た。
「だから、あんなふうに、たくさんのダンサーに囲まれて、真ん中で……さ」
すると、青はひどく皮肉な顔つきに変わった。
「ここでは無理やろ」
第十一話をお読みいただき、ありがとうございました。
この回では、「籠鳥」という言葉と、青の見る“踊り”を重ねています。
どちらも、外に出られないまま、それでも外を求めてしまう存在です。
芸術は、この世界では「許された娯楽」でありながら、同時に「職業としては否定されている」ものでもあります。その矛盾の中で、青が何を思い、龍星が何を感じ取るのか――その一端が、少しでも伝わっていれば嬉しいです。
そして、「ここでは無理やろ」という言葉の先にあるものが、これからの物語にどう影を落とすのか。引き続き見守っていただければ幸いです。




