第4章【協和音】第二部 音探し
中学三年生の一年は驚くほど早く過ぎていった。
気付けば受験の季節になっていた。
教室の空気も少しずつ変わる。
これまで騒がしかったクラスメイトたちも進路の話をするようになった。
放課後の教室。
窓の外では運動部が練習している。
響と薫はいつものように並んで座っていた。
「薫はやっぱり進学校?」
響が聞く。
薫は頷いた。
「うん。先生にも勧められてるし。」
「まぁ、お前頭いいもんな。」
「響は?」
「島の方の工業高。」
薫が少し驚く。
「あの高校治安があまりよくないって話しだけど大丈夫?」
「大丈夫だろ。」
窓の外を見る響。
二人が同じ高校へ進むことはない。
その事実を口には出さなかったが、少しだけ寂しさがあった。
だが、それ以上に二人は信じていた。
学校が変わったくらいで終わる関係ではないと。
春。
それぞれ別の高校へ進学した。
薫は進学校へ。
響は海を挟んだ向こう側の島にある高校へ。
向かいの島までは短い時間だがフェリーに乗り見える風景、海の匂い、感じる風全てが響には心地よかった。
高校生活は思っていたより気楽だった。
中学時代のように周囲の目を気にする必要もない。
似たような人間が集まっていたからだ。
良くも悪くも自由だった。
入学して数日後。
昼休み。
クラスの男子が突然言った。
「バイトしようと思うんだけど、人数募集してるらしくて誰か一緒に面接行くやついる?」
数人が興味を示す。
響も何となく顔を上げた。
「どこ?」
「知らん。」
「知らんのかよ。」
教室が笑いに包まれる。
「まぁ行けば分かる。」
そんな軽いノリだった。
放課後。
数人で自転車を走らせる。
辿り着いた先は島の中でも大きいスーパーだった。
店長らしき男性が出てくる。
仕事内容を説明する。
面接というより雑談だった。
慢性的な人手不足だったのだろう。
結局全員採用された。
響は鮮魚部門に配属された。
朝は学校。
放課後はスーパー。
夕方過ぎということもあり、まずは洗濯をする。
そして、翌日の刺身用のつまの準備、掃除といった簡単なものだった。
たまに割引シールも貼りに行く。
すると、おばちゃんが戻ってきて「これ貼って!」とシールを貼る前の刺身を出してくる事もあった。
最初は魚の匂いに顔をしかめたが、数週間もすれば慣れてしまった。
学校。
バイト。
遊び。
毎日が忙しかった。
だが不思議と充実していた。
そして高校一年の夏。
響の人生を変える出会いが訪れる。
中学時代、薫と出会い仲が深まって以来、響と薫はお互いの家を行き来するようになっていた。
その日もいつものように薫の部屋へ遊びに来ていた。
机の上にはお菓子。
CDプレイヤーからは音楽が流れている。
二人とも音楽は好きだった。
ただ、この頃の響にとって音楽は「聴くもの」でしかなかった。
曲が流れる。
ギターソロが始まる。
激しく。
自由で。
まるで叫ぶような音だった。
響は思わず呟く。
「このギター、かっけぇな。」
「だろ?」
薫が笑う。
響はしばらく音を聞いた後、何気なく言った。
「俺もギターやろうかな。」
薫が目を丸くする。
「おっ。」
響は真顔だった。
「モテそうだし。」
数秒の沈黙。
そして二人同時に吹き出した。
「それが理由かよ!」
「大事だろ。」
「単純すぎる!」
腹を抱えて笑う薫。
だが笑いながらも言った。
「でも似合うと思うよ。」
「何が?」
「ギター。」
響は少し照れ臭そうに視線を逸らした。
数日後の夕方。
学校から帰宅し、制服から着替えた。
そして財布をポケットへ入れると家を出た。
目的地は決まっていた。
町からは少し外れたところにある小さな楽器店。
古びた看板。
色褪せたポスター。
決して大きな店ではない。
だが不思議と目を引く店だった。
響は迷わず扉を開けた。
カラン。
鈴の音が鳴る。
木の香りがした。
壁にはギターやベースが並んでいる。
初めて見る楽器ばかりだった。
店内には静かな空気が流れていた。
カウンターの奥には一人の男。
「いらっしゃい。」
短い言葉。
響も軽く会釈する。
店内を見回る。
エレキギター。
ベース。
アコースティックギター。
どれも初めて触れる世界だった。
本当ならエレキを買うつもりだった。
テレビで見るミュージシャンはみんなエレキを持っていた。
ギターと言えばエレキ。
そんなイメージだった。
だが。
壁に掛かるアコースティックギターが目に入る。
響は立ち止まった。
しばらく見つめる。
ただ、気になった。
エレキは格好いい。
人気もある。
きっとみんな選ぶ。
だからこそ違和感があった。
みんなと同じ。
それがどうしても引っかかった。
響は昔からそうだった。
誰かが右へ行けば左へ行きたくなる。
決して反抗したいわけではない。
ただ同じが嫌だった。
目を閉じる。
数秒考える。
そして決めた。
「このアコギください。」
作造が顔を上げた。
「アコギ?」
「そう。」
「エレキじゃなくて?」
「アコギ。」
少しだけ沈黙が流れる。
やがて作造は小さく笑った。
「珍しいな。」
響は肩をすくめた。
「みんなと同じじゃ面白くないから。」
作造は何も言わなかった。
だが心の中では少し面白いと思っていた。
この少年の感性は普通の子とどこか違う。
そんな気がした。
会計を済ませるとケースを肩に掛けると店を出た。
その背中を作造はしばらく見ていた。
まるで突風のような少年だった。
ギターを手にした響は真っ直ぐ薫の家へ向かった。
玄関が開く。
薫の第一声は予想通りだった。
「えっ!?」
響はギターケースを見せる。
「買った。」
「エレキじゃないの!?」
「違う。」
「なんで!?」
響は笑う。
「みんなエレキだろ?」
「まぁ。」
「だからアコギ。」
薫は呆れながら笑った。
やっぱり響らしい。
心の底からそう思った。
その日から生活は一変した。
学校。
バイト。
ギター。
学校。
バイト。
ギター。
来る日も来る日も練習した。
指先は痛い。
コードチェンジは難しい。
思うように弾けない。
それでも楽しかった。
昨日できなかったことが今日できる。
その喜びは大きかった。
少しずつ曲が弾けるようになる。
少しずつ音が増える。
もっと上手くなりたい。
もっと弾きたい。
そう思っていた。
だが。
ある時から違和感が生まれ始める。
上達している。
確かに上達している。
しかし。
何かが違う。
何か足りない。
夜。
部屋で一人ギターを抱える。
弦を鳴らす。
また同じ音。
テレビで見たエレキギターのような激しいフレーズを、アコギで真似してみる。
最初は「おっ!」と思えた。
だが何度も弾くうちに、それすらも同じに聞こえてしまった。
もっと違う何かが欲しかった。
もっと自由な音。
もっと自分だけの音。
だが見つからない。
どれだけ練習しても。
どれだけ考えても。
答えは出ることはなかった。
やがて高校二年生になる。
部屋の隅にはギターケース。
以前ほど開かなくなっていた。
学校から帰る。
ケースを見る。
だが触らない。
蓋を開けようとしてやめる。
そんな日が増えていった。
ケースの上には少しずつ埃が積もる。
響は見て見ぬふりをした。
忘れようとしていた。
だが。
本当は忘れられなかった。
だから苦しかった。
答えの出ない音の壁が、響を先へ進ませてくれなかった。




