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ダンジョン保険の例外案件係に左遷された俺、【真贋鑑定】で業界の闇を全部暴く  作者: 夜摩 高嶺
第一部『例外案件係の査定員』

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第8話「残響に残る声」

「今日は、あたしが視る番」


 早乙女が、ダンジョンの入口で、短くそう言った。


 翌朝、九時四十分。池袋東口から三キロ、南池袋第二ダンジョン、第四層。岩礁クラン所属の戸川悠平が、付与刀を暴走させた事故現場。庁の立入制限が、昨日の午後に解除されたばかりだった。


 辰巳耕司との面会は、急遽、明日に延期された。理由は、辰巳側からの申し入れ。

 蓮田はその一本の電話を受けた後、すぐに早乙女とわたしの現場再訪を指示した。「先に、現場を視ておけ」。昭和の稟議書的な語順で、彼はそう言った。


「二十四時間、過ぎてません?」


「ギリギリ。事故から五日経ってるけど、現場保全で庁が魔素濃度を固定してる。閉鎖エリアだと、残響の劣化が極端に遅くなる」


「どのくらい保つの」


「最大七日。初耳だと思うけど、公表してない技術情報」


 早乙女は、首元の魔素濃度計コインを、シャツの中にもう一段、深く押し込んだ。



 第四層分岐点。


 ここが、戸川の付与刀が暴走した場所。岩盤の一部が黒く焼け、床のコンクリートに放射状の焼け跡が残っていた。

 破片の一部は、庁の証拠保管庫に移送されているが、現場の痕跡自体は、そのまま残されている。


 早乙女は、焼け跡の中心で、両膝をついた。


「【残響追跡】」


 いつもより、低い声だった。


 岩盤の表面に、薄い青の膜が広がっていく。光の粒が、散在して、やがて三つの人影を形作った。——戸川悠平。そして、戸川の左右に、もう二人。


「三人、いた?」


「書類では、単独戦闘、って書いてあった」


「嘘だ」


 早乙女の声は、確信を帯びていた。


 光の中の、左側の影は、小柄な男。背丈百七十。右手に大剣を構えていた。

 右側の影は、それより長身、百八十を超える。全身鎧、両手に双刃槍。いずれも、戸川より装備が重く、格上の戦力。


「左、大剣。右、双刃槍。この二人、同時に同じパーティーで動いたっていう記録、岩礁の申告には一切ない」


「誰ですか」


「装備の影シルエットから、見当はつく。左が、副代表の薄井達郎。右が、辰巳耕司本人」


 クランの中核二人が、末端の戸川と同じ現場にいた。そして、書類から消されていた。


 早乙女の指先が、空中をなぞる。光の粒が、三人分の動きを再生し始めた。


 戸川が、付与刀を構える。薄井が、その後ろに立つ。

 辰巳が、さらに後ろ、岩陰に隠れる位置。ミノタウロス種が、通路の奥から現れる。

 戸川が、前に出て斬りかかる。刀身が、途中で青白い光を噴き上げ、暴走する。

 戸川が、弾き飛ばされる。薄井は、後ろに飛び退く。辰巳は、岩陰からさらに奥へ下がる。


「戸川一人に、突っ込ませてる」


「意図的な……」


「ええ、意図的な囮、犠牲の配置」


 早乙女の指が、光の再生を、ミノタウロスが倒れるところまで進めた。倒したのは、薄井だった。

 大剣の二撃で、首を落とした。


「戦闘は、薄井が決めてる。辰巳は、後ろで見てる」


「戸川は、囮役として、破損前提で突入させられた」


 書類上、戸川は『単独で戦闘し、装備が暴走して破損し、本人は軽傷』という物語になっていた。

 実際は、クランが組織的に、戸川の装備を破損させ、保険金を請求するという、計画的な詐欺。違法素子X型を装着させたのも、破損させやすくするため、だったのかもしれない。



 光の再生が終わる寸前、早乙女の指先が、止まった。


 画面の隅で一瞬だけ、別の残響が薄く重なっていた。五日前のものではない、もっと古い、ほとんど消えかけた残響。長期閉鎖エリアだからこそ、辛うじて残っていた、古い魔素の痕跡。


「待って」


「どうしました」


「これ、もっと古いやつが、うっすら視える」


 早乙女の視線が、岩盤の別の地点に移った。彼女の掌が、そちらに押し当てられる。


 新しい光の粒が、別の人影を描き始めた。——今度は、四人。うち一人は、警察官の制服、黒のパンツスーツ姿の女性。若い。二十五歳前後。


 早乙女の指先が、震えた。


「——あたしだ」


 その女性は、三年前の、早乙女灯里本人だった。今の彼女より、少し髪が長い。

 頬の線が、もう少し柔らかい。三人の男と対峙して、拳銃を構えている。


「……ここ、あたしが来た現場だ。三年前、最後の事件」


「事件、というと」


「違法素子密売の摘発。あたしが現臨で入って、被疑者三人を確保寸前までいった。でも、その直後、あたしが別件で証拠改竄の容疑をかけられて、現場から外された」


 光の中の、三人の男のうちの一人の顔が、わたしにも視認できた。——四十過ぎ、角ばった顎、首筋の火傷の跡。辰巳耕司、の、三年若い姿。


 早乙女の息が、短く止まった。


「あたしの拳銃、あのとき、辰巳のほうに向いてる」


「確保寸前、だったんですね」


「ええ。確保寸前で、あたしが『証拠改竄』の内部通報を受けて、現場を離脱させられた。離脱した瞬間に、辰巳は逃げて、事件は未解決になった」


「通報の、通報主は」


「……警視庁内部。当時の、上司」


 早乙女の声が、薄く、震えていた。——つり革を三回叩く癖は、膝の上の拳で、出ていた。


「あたしを冤罪で外したのは、辰巳を逃がすためだった、ってこと?」


「現時点では、状況証拠です」


「でも、視えた」


 彼女は、光の中の自分の姿を、もう一度、指でなぞった。光の指先に、彼女の指先が重なった。


「あのとき、あたし、捕まえられる距離にいた。——あと、三歩だった」



 光の残響が、薄れていった。


 第四層の、岩盤の焼け跡の上に、早乙女とわたしだけが、膝をついて残っていた。ダンジョンの湿った空気に、硫黄と焦げた付与素子の匂いと苔の匂いが混ざっていた。


 早乙女は、膝をついたまま、しばらく動かなかった。


 わたしは、彼女の肩に、手を置かなかった。代わりに、封筒から、水のペットボトルを一本、取り出して、彼女の隣に置いた。

 早乙女の好きなブランドのやつだった。シェルター行きの車の中で、助手席のドアポケットに三本、同じ銘柄が並んでいた。


「ありがとう」


「いえ」


「泣かないよ、あたしは」


「知ってます」


「でも、少し、黙らせて」


「はい」


 早乙女は、ペットボトルの蓋を、二度、回して開けた。蓋を開ける音が、第四層の湿った岩壁に、小さく反響した。



 三豊ビル北館に戻ったのは、十七時四十分。


 蓮田は、デスクで古い新聞の切り抜きをまとめていた。三年前の、違法素子密売摘発の記事。

 見出しには『摘発未遂、主犯逃走』、続報記事では『警視庁内部、証拠改竄疑惑、担当刑事を停職処分』。

 停職処分を受けた刑事の名前は新聞では伏せられていたが、初報の一段組に『早乙女刑事(当時二十五)』の名前が一度だけ出ていた。


「これ、読め」


「蓮田さん、調べたんですか」


「——辰巳が面会申し入れてきた時点で、調べた。お前らがダンジョンに潜ってる間にな」


 蓮田は、新聞を早乙女の方へ滑らせた。彼女は、受け取らず、ただ視線だけを落とした。


「記事、捨てないで、取ってあった」


「三年、ですか」


「この業界、いつか名前が上がってくるやつは、だいたい、三年以内に上がってくる。捨てない癖がついてる」


 蓮田は、マグカップを持ち上げて、ようやく、ほんの一口、口をつけた。冷めきったコーヒーのはずだった。

 彼は、小さく、顔をしかめた。


「早乙女」


「はい」


「明日、辰巳に会うのは、宇津木と俺でやる。お前は、外れろ」


「なぜ」


「お前がいると、辰巳は口を閉ざす。それと、お前の感情が、書類の色を見る邪魔になる。宇津木、そうだろ」


「はい」


 わたしは頷いた。


 早乙女は、しばらく黙って、それから、デスクの縁を、三回、叩いた。


「分かった。外れる。でも」


「でも?」


「——まだ、あの事件は終わってない」


 彼女は、新聞の切り抜きの一枚を、指先で押さえた。三年前の、自分の名前が載った紙面の、記事の余白の部分だった。


 わたしは、眼鏡の位置を直して、机の上の封筒を、そっと閉じた。


 封筒の角は、もう、反り返らなくなっていた。

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