第7話「中堅クランの裏帳簿」
「この顔、あたしが知ってる」
早乙女が、書類の束から一枚の写真を抜き出して、デスクの上に滑らせた。
翌朝八時五十分。例外案件係のオフィスに、蓮田が淹れた朝のコーヒーの匂いが残っていた。蓮田は今日も、自分のカップに口をつけていない。
写真の中の男は、四十前後。角ばった顎、短く刈った髪。
首筋に、古い火傷の跡らしきものが、襟元から覗いていた。クラン『岩礁』の代表、辰巳耕司。B級上位、企業化したクランの代表にしては、若い部類。
「警察時代に」
「二回、事情聴取した。どちらも、参考人扱い。容疑者にはならなかった」
「何の事件で」
「一件目は、四年前の、池袋で起きた違法素子の売買摘発。摘発されたのは辰巳の元同僚で、辰巳本人は接点が薄いという結論になった」
「二件目は」
「三年前。——あたしが、冤罪で辞める直前の、最後の事件」
早乙女の指が、写真の隅で、止まった。
つり革を三回叩く癖が出た。机の縁で、指先が三度、軽く鳴る。
「冤罪、というのは」
「今は話せない。——話さないことを、許して」
「分かりました」
わたしは頷いた。追及する権利は、わたしにはない。
蓮田も、視線を新聞に戻したまま、何も言わなかった。
*
昨日の池袋ダンジョン庁から戻った後、例外案件係には、もう一件の依頼が回ってきていた。『岩礁』所属探索者の、装備破損申請が、過去六ヶ月で七件。合計申請額、八千五百万。
本社企画部は、通常の査定部に一度回して、既定金額の八割で支払う方針を固めていた。それを、昨夜の蓮田の内線一本で、例外案件係に差し戻させた。
蓮田が使った口実は、『担当者の病欠』。根回しと、頭越しの、昭和的な処理だった。
「七件、並べてみた」
早乙女が、七枚のファイルをテーブルに扇状に広げた。
「全部、同一の付与素子改造が共通してる。昨年五月前後、まとめて」
「戸川の付与刀と、同じパターンですね」
「ええ。付与業者、同じ。『ツツジ魔導工房』、板橋区」
わたしは、ファイルを順番に開いた。赤が、七件すべてに重なった。K型素子と申告された部分に、赤。使用履歴の月平均数に、赤。——そして七件のすべてに、契約書末尾の再保険引受先欄に、あの薄い雷の印がうっすらと重なっていた。
「全部、雷の印です」
「全部?」
「ええ。雷電リスク・マネジメントの社名が、再保険欄に入っています」
早乙女は、デスクに両肘をついて、額に指を当てた。
「B級中堅クランの装備破損案件に、大手クランの関連会社が、一件ごとに再保険を引き受けてる。普通じゃない」
「つまり、これは」
「雷電が、岩礁の保険金詐欺に、資金還流のラインを敷いてる。再保険金の受取経路で、現金が動く」
蓮田が、新聞を畳んだ。
「そういう仮説なら、立つ。だが、岩礁の代表、辰巳を直接突いても喋らない。下の者から崩すのが、セオリーだ」
「戸川悠平、ですか」
「二十九歳、B級、三年前に岩礁に加入。昨日の付与刀の件で、破壊検査の同意書が、今朝ダンジョン庁経由で届いた」
蓮田がファクスの紙を、ひらりと振ってみせた。芝山が、徹夜で戸川本人の同意を取り付けたのか、あるいは、取り付けるように誰かが動いたのか。
「早すぎる、ですね」
「早すぎる」
蓮田は頷いた。
「同意書を出させて、立会検査で違法素子が見つかって、戸川が罪を認める。それで、岩礁の末端が一人、切られて、上は無事、という筋書きか」
「尻尾切り、ですね」
「庁が動いたってことは、庁も、その筋書きに乗ってる」
芝山は、協力者に見えていた。正確には、協力者として振舞うよう、庁の上から指示を受けている可能性がある、ということだった。
*
十一時二十分、池袋ダンジョン庁別館地下、証拠保管庫。
芝山は、昨日と同じ応接スーツで立ち合った。戸川悠平本人は来ていなかった。
同意書のみ、代理で弁護士が持参する形式だった。
「本人は、体調不良で」
「承知しました」
破壊検査は、付与刀の柄頭を、専用の工具でゆっくりと取り外す作業だった。庁側の技術者が、二人がかりで作業を進める。
わたしは、手袋をして、真横で作業を見守った。
柄頭が外れた。
中の素子格納スペースに、小さな金属の立方体が一つ。刻印を確認する。型番、X型。違法戦闘強化素子。軍用ベースの、民間転用禁止品。
「X型、ですね」
「……はい」
芝山は、書類にその型番を書き込んだ。筆跡に、わずかな躊躇いの跡がある。少なくとも、わたしにはそう見えた。
「戸川悠平氏に、違法素子の装着が確認されました。これは、保険金詐欺とは別件で、ダンジョン庁側の立件事項になります」
「つきましては、戸川氏の事情聴取に、わたしも同席を希望します」
「……どうしてでしょうか」
「書類の虚偽記載の経緯を、保険側でも確認しておきたい。会社の内部監査ラインに必要な記録です」
芝山は、眉を寄せて、少し考えた。
「庁の取り調べへの民間立会は、原則、許可されません」
「例外措置は、芝山さんの監察官権限で、ご判断できますね」
わたしは、眼鏡のブリッジを押し上げた。
「芝山さんは、協力的でいらっしゃいますので」
彼は、わたしを見返した。目尻の皺が、笑う前の形で一度止まり、そのまま止まっていた。昨日と同じ、一秒の揺らぎ。
「……分かりました。同席、認めます。今日十五時、本庁第四審査棟」
「ありがとうございます」
*
十五時。本庁第四審査棟、小取調室。
戸川悠平は、青い顔をしていた。痩せ型、背は高い。
二十九歳にしては、目元に疲れが深かった。ジャケットの下のシャツは、皺が寄っていた。
芝山が取調の主導をした。わたしは、壁際の椅子に、録音機を膝に置いて座った。
「戸川さん、X型素子の装着は、いつから」
「……昨年五月、装備を改造した、そのときから」
「どなたの指示で」
「クランの、副代表の、薄井」
クラン『岩礁』副代表、薄井達郎。早乙女が資料で抜き出してきた名前の一つ。
五十三歳、元軍人。
「薄井さんの、そのまた指示元は」
戸川は、しばらく黙った。爪先で、床を小さく蹴る動きを、三度繰り返した。
「……知りません。聞かされませんでした」
赤。——わたしの視界の中で、供述記録が赤く染まった。『知らない』は、虚偽。戸川は、その指示元を知っていた。
芝山の口調は、ここで少しだけ速くなった。
「結構です。では、装備破損申請の書類を作成したのは、どなたですか」
「クランの総務部、と、弁護士の——」
「弁護士の名前は」
「……水守」
「水守、フルネームは」
「——水守、達也」
戸川は顔を上げた。視線が、芝山ではなく、わたしの方を一度だけ見て、すぐに伏せられた。
その一瞬、戸川の喉元に、黒が視えた。——意図的な隠蔽。本当に隠したい名前は、水守ではなく、別の誰かだった。
わたしは録音機のスイッチを確認した。まだ回っている。
*
取調から戻る廊下で、芝山がわたしを呼び止めた。
「宇津木さん」
「はい」
「戸川の供述、一部、詰めきれていない箇所がありました。続きは、明日、わたしの方でやります。本日の立会、お疲れさまでした」
つまり、ここで終わり、ということだった。わたしは頭を下げた。
「お気遣いありがとうございます。ちなみに、水守達也弁護士、どちらの事務所にご所属ですか」
「麻布の、法律事務所『桐生アンドパートナーズ』の共同経営、だったかと」
桐生、という文字が、短く耳に届いた。
わたしの手のひらの中で、書類の端が、軽く震えた。——雷電クラン副代表、桐生鷹志。同姓なのは偶然だろうか。
「ありがとうございます」
わたしは、黒縁眼鏡の奥で目を細めて、そのまま廊下の角を曲がった。背中で、芝山の視線が、一秒だけ長く留まったのを感じた。
*
夕方、三豊ビル北館に戻ると、早乙女が窓際のマグカップを見つめていた。
「宇津木」
「はい」
「辰巳耕司、さっき、うちの受付に電話してきた」
「なんと」
「『例外案件係の査定官に、お目にかかりたい』。丁寧な敬語だった」
蓮田が、奥から口を挟んだ。
「明日、会うか」
「会います」
わたしは答えた。封筒を机に置いて、ボールペンで、新しい付箋に一文字だけ書き込む。『岩』。
『雷』の付箋の横に、『岩』を並べて貼る。二枚の付箋が、机の端で、並んで揺れた。
早乙女が、ぽつりと言った。
「辰巳の後ろに、薄井。薄井の後ろに、水守。水守の後ろに……桐生」
「四段、ですね」
「四段目で、あたしの過去とも、繋がるのかもしれない」
彼女の指が、机の縁を、三度、叩いた。
今日の叩き方は、昨日よりも、少しだけ、強かった。




