第6話「装備詐欺」
「ダンジョン庁、芝山と申します。お待たせしました」
翌日、十時三十分。池袋ダンジョン庁分室、第二監察課の応接室。
五十近い男が低く頭を下げた。身長はわたしより少し高い。髪は後退気味で、前髪を七三に分けていた。スーツの袖口が少し擦れて、靴は黒い革、磨かれている。公務員の、という表現がもっとも近かった。
「三豊ダンジョン保険、例外案件係の宇津木です」
「例外案件係、伺っております。蓮田さんのところですね」
「ご存知ですか」
「以前合同査察で一度。昔の話です」
芝山は応接机の向かい側に座ると、前に置かれたファイルを開いた。厚さ一センチほどの書類束。事故報告書、装備破損届、ダンジョン内事故調査報告書。B級探索者『戸川悠平』、二十九歳、所属クラン『岩礁』、事故日は三日前。
「申請装備は魔導付与刀一振、軽装鎧一式、ブーツ一足。申請総額二千万」
「二千百三十八万ですね」
「失礼。正確には。よくご存知で」
芝山は書類のページをめくった。わたしの前にも、同じ資料の写しが出される。その瞬間、目の前の書類が色づいた。
事故報告書、三段目。『第四層分岐点にてミノタウロス種と遭遇、接敵戦闘中に魔導刀の刀身が付与魔法暴走により損傷』——赤。
装備使用履歴、過去六ヶ月分。『月平均十二回現地稼働。平均ダメージ修復点、月二回』。ここにも赤。
一方、装備破損届の現物写真。これは書類上の色がついていなかった。
「申告者の戸川さんは現在は」
「先々日退院済み。打撲と擦過傷。付与刀の暴走の直撃は避けたという事故経過です」
「暴走の原因は」
「付与刀の魔法素子の経年劣化との診断書が出ています。買い付けから八年経過、定期メンテナンスも受けていました。ただ本人の使用頻度が標準より高く、素子の消耗が早まったと」
芝山は指先で書類の一点を指した。爪は短く清潔に整えられている。
「保険査定側の論点はおそらく、使用頻度の申告に齟齬があるのではないかという点かと」
「察しが早い」
「この種の案件は担当して二十年です」
彼の目の下には細かい疲れの隈があった。しかし眼差しは妙に澄んでいた。——協力的な顔をしている人間ほど、どこかで裏を持つ。警戒するならこの瞬間だった。
*
「芝山さん」
「はい」
「装備使用履歴、過去六ヶ月月平均十二回となっていますが、実際の出入庫記録と突合されましたか」
「庁のダンジョン出入記録では、戸川氏の入場は月平均十七回です」
「五回分記載が少ない」
「正確には四・二回。ただこれは申告の誤差としては通常範囲内です」
芝山は手元のメモに数字を書き込んだ。一七、一二、四と並べた。わたしの視界では書類上の『十二回』に赤が重なって見えていた。誤差ではなく虚偽。意図して減らされた数字。
なぜ減らす?
装備の使用回数を実際より少なく申告したほうが保険上有利になる。定期メンテナンスの遵守実績が積み上がり、事故は『予期できない劣化』として認定されやすい。つまり保険金が支払われる。
逆に実際の使用回数を正しく書くと『過剰使用による消耗』と判定され、保険免責条項に引っかかる可能性があった。
「装備の現物はどこに」
「庁の証拠保管庫、別館地下。現物検分はお約束いただければ今日のうちに」
「今日行けますか」
「もちろん」
芝山は立ち上がりながら上着の内ポケットから薄い名刺入れを取り出した。名刺はわたしの手元に置かれた。印字は楷書体。『ダンジョン庁 第二監察課 主任調査官 芝山幸雄』。裏には携帯番号と個人のメールアドレスが手書きで書き込まれていた。
「何かあれば裏の番号に」
「監察官が名刺裏を直接出されるのは珍しいですね」
「例外案件係ですから」
芝山はわずかに笑った。笑い方は柔らかく目尻の皺が自然に動いた。協力者の演技としては完成度が高い。だからこそわたしは警戒した。
*
ダンジョン庁別館地下、証拠保管庫。
金属棚にクランごとに色分けされたケースが並んでいる。『岩礁』の棚は黄色のタグ。戸川悠平の装備は棚の三段目、ケース番号G0七一四。
蓋を開ける。魔導付与刀の柄頭がまず目に入った。柄は無事だった。鞘もわずかに焦げ跡がある程度。刀身は真ん中から上、二十センチほどの部分が結晶化して砕けていた。付与魔法の暴走によるものとしては典型的な破損形だった。
軽装鎧は右胸部が裂けている。ブーツは左足の踵が焼け落ちていた。
「現物、壊れてますね」
「はい」
「——これ自体は偽装ではない」
わたしは手袋を着けて刀身の断面を間近で見た。断面の結晶の向きが付与魔法の暴走特有の放射状の模様を描いていた。暴走は本物だった。装備の破損も本物だった。——しかし書類は赤だった。
どこが虚偽か。
わたしは手袋の指で柄頭を回した。柄頭の底に小さなシリアル刻印がある。G0714、その下に製造年と改造履歴のスタンプ。
「この付与刀、改造されていますね」
「ええ、昨年五月に付与素子の追加交換。正規メンテナンス業者の記録ありです」
「追加交換の素子の型番は」
「——申請書にはK型の標準素子と書かれています」
芝山は書類をめくって該当ページを確認した。わたしの視界ではそのK型素子の欄に赤が重なっていた。
虚偽は、素子の型番だった。
スキルが告げていた。——実際に組み込まれていたのはK型ではない。別の型。おそらく上位の、そして違法の可能性がある戦闘用強化素子。
「芝山さん」
「はい」
「柄頭を開けてもいいですか」
「……開ける、というと」
「柄頭の底に素子格納スペースがあります。直接型番を目視確認したいのです」
芝山はしばらく黙った。
眼差しが一瞬だけ、それまでの協力的な演技から外れた気がした。短いほんの一秒の揺らぎだった。目尻の皺が笑う前の形に一度伸びて、もう一度戻った。
「——確認は可能です。ただし手続き上、破壊検査扱いになります。戸川氏の同意書が必要です」
「同意書は何日で取れますか」
「通常は三日から五日」
「今日取れますか」
芝山の指先が書類の端を軽く叩いた。二回。それから動きが止まった。
「……夕方までに戸川氏本人と連絡を取ります。同意が取れれば明朝、立会検査で」
「ありがとうございます」
彼は書類を閉じた。応接のときよりほんの少し動作が速かった。
*
保管庫を出る廊下でわたしは携帯を確認した。早乙女から短いメッセージが一件。
『等々力の仏壇、名刺七枚出てきた。うち一枚、雷電ロジスティクス。写真送る』
続けて画像が一枚。古びた名刺の写真。社名は『雷電ロジスティクス株式会社』、部長肩書き。有坂しおんの伯父の廃業直前の取引先。
書類の上で『雷電』の名前が二度目に現れた。
*
地上に戻り、わたしは三豊ビルへの帰路で歩きながら蓮田に電話をかけた。
「課長、芝山は一旦は協力的でした。ただ柄頭の破壊検査を提案した瞬間に反応が外れました」
『外れたというのは』
「演技の精度が一秒落ちました。素子の型番に虚偽があります。書類上はK型ですが実物は別です。おそらく違法戦闘素子」
『……ほう』
「それから別件で。早乙女から報告があり、有坂しおんの伯父の廃業直前の取引先に雷電ロジスティクスがありました」
受話器の向こうで、蓮田が短く息を吸う音がした。
『二つ目の雷、か』
「ええ」
『宇津木』
「はい」
『気をつけろ。——庁の監察官が協力的な案件は、たいてい庁の監察官が最初に動いている案件だ』
わたしは返事をせず通話を切った。
携帯を内ポケットに戻すと、夕刻の風がビルの隙間を抜けて頬を打った。硫黄と印刷インクとコーヒーの焦げを混ぜたような池袋東口の匂いだった。
書類の赤はまだわたしの視界の縁で薄く残っていた。




