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ダンジョン保険の例外案件係に左遷された俺、【真贋鑑定】で業界の闇を全部暴く  作者: 夜摩 高嶺
第一部『例外案件係の査定員』

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第5話「例外案件係、動く」

「書類は嘘をつかない。嘘をつくのは書いた人間だけです」


 わたしは、受話器の向こうの本社担当者にそう繰り返した。


 三回目だった。朝九時十五分、三豊ビル北館十二階西端。例外案件係の内線は、今日で十四本目の着信を受けていた。全部、本社企画部から。保険金返還の処理方針を誰の決裁で通したのか、なぜ現場査定官の一存で進めたのか、三日前の書類と話が違うじゃないかと。


 受話器を置くと、蓮田が朝刊を広げていた。マグカップには今日も口をつけていない。


「本社、荒れてるな」


「荒れています」


「返還処理の決裁印は俺の名前で押した。泥はかぶる」


「申し訳ありません」


「三週間で辞めた前任は、逆に書類の不備を見逃して、保険金を払わせた側だった。書類を暴くやつは、業界の数字を狂わせる」


「担保割れだらけですね」


「ああ。数字が合わない場所には、必ず誰かの指が入ってる」


 蓮田が新聞を畳んだ直後、ドアの下から封筒が一通滑り込んできた。午前九時二十七分、午前便の配達。


 茶封筒。社内便のものではない。宛名は手書きだった。『例外案件係 宇津木様』。


 差出人の欄に、『有坂しおん』。



 封筒の中身は、便箋一枚ともう一枚の紙だった。


 便箋には、細く丁寧な字でこう書かれていた。


『先日はありがとうございました。伯母夫婦との話はゆっくりでないと無理そうです。今日これから例外案件係のオフィスに伺ってもよろしいでしょうか。ご相談したいことがあります。有坂しおん』


 もう一枚は履歴書の白紙フォーマットだった。氏名欄だけ記入済み。写真の四角が空いたままだった。


「……来るぞこれ」


 蓮田が肩越しに覗き込み、短く言った。


「何を来ると」


「就職活動」


 蓮田の口の端がわずかに動いた。昨日までの皮肉ではない、少しだけ疲れの混じった微笑みだった。



 十時四十分、有坂しおんが現れた。


 顔色は昨日より戻っている。右手首の包帯は小さくなった。白いシャツの袖口には縫い直した跡。


「あの、すみません朝お電話で」


「大丈夫です。お座りください」


 椅子を引くと、彼女はそこに小さく一礼してから座った。便箋の封筒を胸の前で両手で抱えている。


「伯母夫婦の件、本日正午までに、刑事告発の判断を会社でします。有坂さんの意向も一度伺いたく」


「告発しないでいただけますか」


 即答だった。


「理由を伺っても」


「伯父が去年から透析を始めていて。医療費が月に二十万近くあって。叔母が保険の書類を作っていたこと自体はわたし知らなかったんですけど。事情はたぶんそれです」


「告発は、見送るよう上申してみます。ただ、保証はできません」


「はい」


「本題はこれですね」


 わたしは履歴書の白紙を彼女のほうに押し戻した。彼女は頷いて、封筒から小さな証明写真を取り出した。切り口が手で切った形だった。まだ湿っている糊を、履歴書の枠に押さえた。


「わたしを、雇ってください」


 声は小さかった。しかし、言葉の輪郭は昨日の踊り場のときよりずっと固かった。


「——D級で戦闘は大したことなくて【回復軟膏精製】しかスキルは持ってなくて。経歴は高校中退でダンジョン経験は四年で保険の知識はゼロで」


 自己否定の癖が、初めて言い切りに並んでいた。


「でも、書類の読み方はこれから覚えます。あと、軟膏はヒール・ポーションよりは多少安く作れます。例外案件係で使ってもらえるかもしれません」


「稟議が必要だ」


 蓮田が、奥から口を挟んだ。


「うちは人を増やす裁量がない。本社企画部の頭越しにはどうにもならん。だが、外部委託の業務嘱託なら、課長裁量で月に八万まで出せる」


「八万で結構です」


「シェルター出て部屋借りれるか」


「……無理です」


「分かった、当面は社員寮を使え。空き部屋が三階に一つ残ってる。築古で共同シャワーでエアコンの効きが悪いが、屋根がある」


 蓮田は内線で総務へ二言三言告げた。それから、椅子を半回転させてこちらに向き直った。


「宇津木」


「はい」


「厄介事が集まってきたな」


 皮肉のようで皮肉ではなかった。むしろ、諦念とわずかな嬉しさが混ざった声だった。


「そういう部署ですから」


「——だろうな」



 有坂の嘱託契約書を作っている最中、早乙女がコーヒーの紙カップを二つ持って戻ってきた。


 一つをわたしに差し出し、もう一つを有坂の前に置いた。ブラック二つ。有坂は戸惑った顔で、砂糖の袋を二つ開けて、紙カップの中に落とした。


「ブラック駄目?」


「あの、まだちょっと」


「なら次からミルクも付けとくね」


「はい」


 早乙女の声が昨日より柔らかかった。引きずらない性分ではない。引きずった上で、仕事の前で畳む種類の人間だった。



 十三時四十分。


 本社から保険金返還処理の決裁印が、第二稟議まで通った。蓮田が押した一次決裁の上に、部長印と本社査定担当役員印が乗る。紙の上で、二千三百四十七万円が伯母夫婦の口座から、三豊ダンジョン保険の本社口座へ戻る流れが確定した。


 わたしは決裁完了後の書類を最後にもう一度めくった。


 有坂しおんの保険契約書。受取人欄の黒は訂正処理のスタンプに塗り替えられて、元の黒は薄くなっていた。事故報告書の赤も、『事実誤認につき無効』の朱印が重ねられて、色がくすんでいる。


 ページをめくる手が、途中で止まった。


 契約書の末尾、再保険の引受先を記した小さな欄。細かい活字で、複数の保険会社と再保険会社の名前が並んでいた。そのうちの一社、『雷電リスク・マネジメント株式会社』——大手クラン『雷電』の関連会社と思われる名前。


 その社名の文字の上に薄く雷の形の印が視えた。


 青でも黄でも赤でも黒でもない。——白に近いうっすらとした稲光の形。スキルの色ではない。


「……これは」


 わたしの呟きに、蓮田が振り返った。


「どうした」


「ここに雷の印が視えます。色ではない形だけの薄い印です」


 蓮田が近づいてきて、わたしの指先を追った。彼には、当然ただの文字の印字しか見えていないはずだった。


「雷電の関連会社だな」


「再保険引受先です」


「有坂しおんのD級契約程度、雷電リスクが再保険に入る案件じゃない。普通なら三豊が自前で抱える。なぜそこに名前が入ってる」


 蓮田は、今度は本気で怪訝な顔をしていた。


「つまり——小口案件に見せかけて、大手クランの関連会社が背後にいる?」


「断定はできません。ただ、この印はわたしに『記憶しておけ』と言っているように視えます」


 スキルがTier 1の四色とは別の何かを告げている。——その直感を、わたしは初めて書類の上で感じた。頭の奥で、金属板を撫でる高周波の残滓がもう一度微かに鳴った。


「しおんちゃん」


 蓮田が有坂のほうを向いた。


「君の伯父さんの印刷工場、廃業した三年前に取引先で雷電グループの会社はあったか?」


「え、と……」


 有坂は眉を寄せた。砂糖入りのコーヒーを一口啜って、顔をしかめた。甘すぎたらしい。


「詳しくは覚えてませんけど、伯父、廃業の少し前に『大きな仕事が入った』って一度だけ嬉しそうに電話をくれて。その仕事で逆に潰れたって叔母が言ってた気が」


「相手先は」


「分かりません。でも名刺が仏壇の引き出しにまだあるかも」



 十六時十二分。窓の外で、隣のビルの壁に夕方の橙色が差し始めていた。


 わたしは決裁の済んだ書類束の末尾に付箋を一枚貼った。黄色の付箋。ペンで小さく『雷』と書き、書類の端に折り込んだ。


 第一案件は、これで閉じた。——閉じたはずだった。


 蓮田が内線の受話器を置いた。


「伯父さんの仏壇、しおんちゃんと早乙女で明日行って来い。宇津木、お前はその間本社から振られる新しい案件を受けろ。B級の装備破損申請が一本、今朝上がってきてる。金額二千万」


「装備の破損ですか」


「現物は実際に壊れてるらしい。ダンジョン庁の監察官が噛んでくる」


「監察官」


「芝山幸雄、四十五歳。庁の第二監察課。——表は協力的だそうだ。表はな」


 蓮田はマグカップをようやく持ち上げて、冷めきったコーヒーを一口啜った。苦い顔をした。わたしは書類を揃え直して、机の端に置いた。


 雷の印が紙束の奥でまだ静かに光っていた。

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