第64話「テンプレート」
十一月十三日、水曜日。午前九時半。
わたしは執務室の机に三枚の紙を並べた。
一枚目。雷電二十三件の請求書類のパターン分析表。第三課時代に作ったわたし自身のメモ。
二枚目。黒曜の請求十二件の粗さの場所を一覧にした昨日作った表。
三枚目。アークライト・リインシュアランスの日本側代理店窓口の構造図。沢渡が朝一番に手書きで起こしたもの。
三枚を並べると、共通点が浮かび上がった。
一つ。ダンジョン内事故偽装の手口。具体的には、罠を悪用した自損事故の偽装。これは雷電の二十三件のうち十二件のパターンであり、黒曜の十二件全てに当てはまる。
二つ。海外再保険会社、アークライト・リインシュアランス。
三つ。請求書類のフォーマットの類似性。粗さの場所が決まっていることはひな形が決まっていることを意味する。
偶然の一致にしては、接点が多すぎる。
わたしは机の前で椅子の背に体重を預けた。窓の外、皇居の堀に冬陽が当たっている。鴨が三羽、堀の水面に並んで浮かんでいた。
*
十時。芝山の班長席。
わたしは三枚の紙を彼の机に並べた。
「芝山さん。中間報告です」
「早いですね、宇津木さん」
「黒曜の書類は雷電の二十三件と同じ作者の手によるものではありません。しかし、同じテンプレートを使っています。書類のフォーマットを統一する誰かが両方に関与している」
芝山がペンの先で表のひとつを叩いた。
「上位の統括者がいる、ということですね」
「ええ。雷電と黒曜の不正に上位の統括者がいる可能性があります」
芝山は頷いた。深い頷きだった。
「その可能性は庁でも認識している。だから、この班を作った」
青。
彼の言葉に嘘の気配はない。本当に庁でその認識があり、そのためにこの班を作った。
ただし。
わたしは一秒、芝山の目を見た。
芝山の瞬きが、一回、多かった。
わたしの言葉に対して、頷くとき、芝山は普段一回瞬きをする。半年前から続いている彼の小さな癖だった。だが、いま彼は二回瞬きをした。普段より、一回多い。
わたしはそれを見逃さなかった。
しかし、その意味を今ここで問わない。問えば芝山は青で答える。彼はおそらく、自分の瞬きの回数の意味を自分で把握していない。
「報告を続けます。アークライト・リインシュアランスは雷電と黒曜の両方の再保険を引き受けています。日本側の窓口は二社のみ。一社が両方を扱う」
「同じ窓口、ということですね」
「ええ」
「窓口の社名は」
わたしは答えた。
「明洋再保険株式会社。本社、東京都港区赤坂三丁目」
芝山が手元のメモに書き取った。それからわたしを見た。
「沢渡さんに、明洋再保険の財務データを引かせてください。それから、当庁の検査部門にも明洋に対する過去の検査履歴の閲覧申請を出します」
「お願いします」
わたしは頭を下げた。芝山の手配は業務として正しい。形式として完璧だった。
完璧だからこそ、わたしは何かが滑らかすぎる、と感じた。
ダンジョン庁の検査部門への閲覧申請。半年前のわたしであれば、その手配を聞いて素直に頷いただろう。査定員が必要としている情報を所管官庁が動いて取りに行ってくれる。これ以上ない協力体制。
ただ、それは「正しい手順」だった。手順が正しいということと、手順を経た情報が正しいことは別だ。手順の途中で誰かが情報を加工しても、手順としては正しい。書類は正しいが、内容は加工されているというのは、わたしが半年で何度も見てきた光景だった。
わたしは芝山の机を辞した。礼を一つ言って、自分の机に戻った。瞬きの一回を頭の中で別の引き出しに入れた。
*
午後二時。
沢渡が机に戻ってきた。彼女の手には紙の束。再保険業界の名簿、登記情報、有価証券報告書のコピー。彼女は机の前に座る前から書類の山に手を入れて、必要なページを引き抜き始めていた。
「宇津木さん。広がります」
「広がる、というのは」
「アークライト・リインシュアランスに再保険をかけている日本のクラン、過去五年間で八社あります」
沢渡が表を出した。
雷電。黒曜。翡翠。赤銅。蒼鉛。錫。銀朱。鈍色。
八つのクラン名。すべて、鉱物・金属・色彩に由来する名前だった。命名の趣味が共通している。
「このうち、五社で保険金請求額の異常な増加が確認できます。雷電と黒曜を含む五社。残る三社——蒼鉛、銀朱、鈍色は、請求額に異常がありません。表向きは普通のクランです」
「五社の合計の請求額は」
「年間推定、八十億円です」
沢渡が言った。淡々とした声だった。会計士が数字を読み上げる声。
八十億円。
わたしは表の上に視線を落としたまま、頭の中で数字を組み立て直した。雷電の二十三件、四億七千万円。第三課で半年かけて追ったその額が、年間でなく、五年間でなく、五社合算の総額の五パーセントにも満たない。
「沢渡さん。この五社の業界内ランキングは」
「中位から下位です。雷電だけが上位。残り四社は、中位の二十番から四十番。業界全体の保険金支払額のうち、この五社が占める割合は——三、四パーセント程度です」
「三、四パーセントで、八十億」
「年間です」
沢渡が眼鏡のフレームを指の腹で持ち上げた。
「不正の濃度が業界平均の二十倍を超えます」
「沢渡さん」
「はい」
「異常があるのが五社で、ないのが三社。蒼鉛、銀朱、鈍色はなぜ請求額に異常が出ないんだと思いますか」
沢渡がわずかに首をかしげた。
「三つ、可能性があります」
「言ってください」
「一つ。三社は単に不正に関与していない、独立した普通のクラン。二つ。三社は別の方法で資金を抜いていて、保険金請求の形を取っていない。三つ。三社は意図的に、不正の偽装に利用されている。たとえば、八社をひとまとめにして観察したときに五社の異常さが平均化されて見えなくなるように、配置されている」
「三つ目のケースは、ありえますか」
「業界横断で、五社と三社をセットにして再保険を組ませている人間がいれば、可能です。再保険会社のリスク評価はポートフォリオ単位で行われます。八社のポートフォリオなら、八社の平均で見られる」
沢渡が言った。
「数字を歪めるためには、歪めない数字を近くに配置しておく必要があります」
ペンを取って、わたしは机のメモに一行だけ書いた。
「業界横断の構造」。
今度は、文字を消さなかった。
*
午後八時。執務室にはわたし一人になっていた。沢渡は六時に帰り、堤は所轄署への聞き込みに出たままだった。芝山は会議で官房棟へ。
わたしは携帯電話を取り出した。第三課の番号を押す。三コール目で早乙女が出た。
「あたしだ。どうした」
「いま、執務室に一人です。少しだけ、いいですか」
「言え」
わたしは数字だけを言った。
「雷電の四億七千万は、全体の五パーセントにも満たないかもしれません」
早乙女が、黙った。
長い沈黙だった。電話の向こうで第三課の蛍光灯の明滅の癖を、わたしは耳の奥で再現することができる。
「——何が見えてるんだ」
「五社。年間八十億。同じ再保険会社。同じテンプレートの書類。それから共通の代理店窓口」
「全部、繋がってるのか」
「まだ、輪郭だけです」
早乙女がデスクの上で何かを動かす音がした。たぶん、付箋を見ている。壁の六枚。黒・雷・水・乃・鶴・庁。
「輪郭は、いずれ、塗り潰されるんだろうな」
「ええ」
「あたしはここを保つ。あんたは向こうで読め」
電話が切れた。
窓の外、皇居の堀の水面にライトアップの光が映っていた。
五社。八十億円。——これがまだ輪郭だと言うのか。




