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ダンジョン保険の例外案件係に左遷された俺、【真贋鑑定】で業界の闇を全部暴く  作者: 夜摩 高嶺
第二部『雷電の闇』

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第57話「盤面」

 十月七日、火曜日。


 金融庁が雷電グループに対する行政処分の方針を内定した。処分対象は副代表・桐生鷹志個人。保険業法に基づく業務改善命令と、桐生個人の保険業務に関する登録取消。


 芝山からの連絡で知った。珍しく電話に出た。声は事務的だった。


「処分方針の内定が庁内にも回ってきました。正式発表は来週ですが、内容は確定しています」


「桐生個人への処分ですか。鶴岡は」


「代表取締役に対する処分はありません。回答書の内容に基づき、責任は副代表の独断的判断に帰結するという判断です」


 鶴岡の脚本通り。あの回答書が金融庁の判断の根拠になった。三十四ページの嘘が、行政処分の方向を決めた。「独断的判断」の四文字に重なった赤を、わたしは覚えている。だが色は証拠にならない。行政機関の目に映るのは文字だけだ。


「芝山さん。一つ確認してもいいですか」


「どうぞ」


「金融庁は、回答書の記述を額面通りに受け取ったということですか」


 三秒の沈黙。


「宇津木さん。行政機関は提出された書面に基づいて判断します。書面の真偽を判定するスキルは、行政機関にはありません」


 それ以上は言わなかった。芝山の声には、以前のような協力者の温度がなかった。情報は渡す。だが感情は乗せない。ダンジョン庁の監察官として、線を引き始めている。



 十月十日、金曜日。午前十時。金融庁が行政処分を正式発表した。


 わたしは第三課のデスクで、金融庁のウェブサイトに掲載されたプレスリリースを読んだ。処分理由書は三ページ。事実認定、法的判断、処分内容。読み慣れた官庁の文体。感情のない文字列の中に、五年分の不正と、百五十日分のわたしたちの仕事が、三ページに圧縮されている。


 河村が即日で第三報を出した。「雷電グループ副代表・桐生鷹志に登録取消処分——代表の関与は問われず」。記事のトーンは抑制されていたが、見出しの「代表の関与は問われず」が全てを語っている。河村は第一報から三本の記事を書いた。三本の署名記事。彼女のジャーナリストとしてのキャリアに、この連載は刻まれるだろう。


 桐生は処分を受け入れた。


 雷電グループのプレスリリース。「弊社副代表・桐生鷹志は、金融庁の行政処分を真摯に受け止め、本日付で副代表を辞任いたしました。弊社としては、今後の管理体制強化に努めてまいります」。


 辞任。自分から降りた形。解任ではなく辞任。鶴岡の脚本は、桐生が自発的に退場する形で書かれていた。処分を受け入れ、自ら辞任する。最も穏やかで、最も組織に傷がつかない退場の仕方。S級探索者としての資格は残る。だが経営からは完全に退く。


 プレスリリースの文面を印刷してデスクに置いた。蓮田がそれを読み、紙をスチールの天板に滑らせた。コーヒーのマグカップの横に止まる。マグカップの底から染み出した輪状の跡が、紙の端に触れた。


 空調の吹き出し口から乾いた風が降りてくる。十月。暖房にはまだ早いが、冷房も切れている。室温は二十度を下回っていた。


「桐生が落ちた」


 蓮田の声は静かだった。怒りではない。予測通りの結果に対する、冷めた確認。


「だが、こうなることは分かっていた。問題はこの後だ」


「鶴岡は残ります。桐生が落ちても、鶴岡が別の駒を立てるだけです。副代表のポストに次の人間が入る。雷電は組織として存続する」


「そうだ。構造は変わらない。二十三件、五年間、四億七千万円。その構造を作った人間はまだ椅子に座っている」


 早乙女がデスクの端に腰を下ろした。


「桐生が自分で降りたなら、あいつの証言はもう取れない。辞任した人間が会社の内部情報を喋る理由がない」


「逆です」


 わたしは言った。


「辞任したからこそ、桐生には守秘義務が弱まります。在職中は社内規定に縛られるが、辞任後は退職者として個人の判断で証言できる。問題は、桐生が証言する意思を持つかどうか」


 早乙女が首を傾げた。


「あいつが鶴岡を売るとは思えないけど」


「売るかどうかではありません。桐生が自分の言葉で、何があったかを語るかどうかです」


 有坂が小さな声を出した。


「桐生さんは、会いに来てくれるでしょうか」


 分からなかった。桐生は電話で「わたしの終わり方がある」と言った。辞任がその「終わり方」だとすれば、彼にとってはもう決着がついている。もう一度会う理由があるかどうか。


 窓の外で鳥が鳴いた。カラス。三豊ビルの屋上にはカラスが営巣している。総務が何度追い払っても戻ってくる。蛍光灯のちらつきとカラスの声。この部署の風景は半年前から変わっていない。



 その日の夕方。芝山から二度目の電話があった。


 今度は声に温度があった。温かさではなく、緊張の温度。何かを伝えようとする声。


「宇津木さん。一つ、お伝えしておきたいことがあります」


「はい」


「鶴岡の回答書。あれを書いたのは鶴岡本人じゃありません」


 蓮田が霞が関の帰りに指摘したことと同じだ。だが芝山の口から聞くのは意味が違う。ダンジョン庁の監察官が独自の情報源を持っている。


「書いたのは、水守達也です」


 受話器を持つ手が、一瞬だけ止まった。


「確認はどこから」


「庁のルートです。それ以上は申し上げられません。ただ、回答書の起案者が水守であることは、ほぼ確実です。雷電側の顧問弁護士団のリストに水守の名前は入っていませんが、実質的な起案は彼が行っている」


 水守達也。四十代前半。細身。黒縁眼鏡。ネイビーの三つ揃い。告発状を書いた男。スキル登録照会を出した男。訴訟取下げの通知を出した男。法廷でわたしたちと対峙した男。全ての法的攻撃の起点にいた弁護士が、鶴岡の回答書も起案していた。


 桐生の弁護士ではなかった。鶴岡の弁護士だった。最初から。桐生を守るためではなく、鶴岡を守るために、水守は動いていた。桐生への法的支援は、鶴岡の防火壁を維持するための手段にすぎなかった。


「芝山さん。なぜこの情報をわたしに」


 沈黙が二秒。


「わたしにも、判断が必要な時期が近づいているからです」


 意味深な言い方だった。芝山は何かを決めかけている。だが何を決めようとしているのかは、電話越しには分からなかった。


 電話を切った。受話器を戻す音が妙に大きかった。第三課は定時を過ぎて静かになっている。早乙女だけが残っていた。有坂は定時で帰した。蓮田は本社の会議に呼ばれている。


「芝山から。水守が鶴岡の回答書を起案した」


 早乙女がデスクの前で足を止めた。ジャケットを肩にかけたまま。帰り支度の途中だった。


「蓮田さんの読み通りか。水守は桐生の弁護士じゃなくて、鶴岡の」


「そうです。最初から鶴岡の側にいた。桐生の法的防御は鶴岡の防火壁だった」


 早乙女がジャケットを椅子の背に掛けた。帰るのをやめた。


「盤面が見えてきたね。桐生が落ちて、鶴岡は残って、水守がまだ動いてる。あたしたちが倒したのは、一番外側の壁だけだ」


「蓮田さんの表現を借りれば、桐生は盾です。盾を外して、刀だけが残った。水守が鶴岡の刀。法の刃は、まだ鞘から出ていない」


 早乙女が腕を組んだ。窓の外は暗い。十月の午後六時。ビルの屋上から見えるはずの夕焼けは、もう終わっていた。


「芝山はなんでこの情報をくれたの」


「分かりません。ただ、『判断が必要な時期が近づいている』と言っていました」


「芝山も動くのか。それとも、あたしたちを動かそうとしてるのか」


 その質問には答えられなかった。芝山の動機は、電話越しの声だけでは読めない。対面で【真贋鑑定】をかけなければ。


 空調が一度、唸りを上げて止まった。


 水守が、鶴岡の代筆をしている。法の刃は、まだ、鞘から出ていない。

いつもお読みいただきありがとうございます。

1日2話更新を続けておりましたが、執筆が間に合わないため、明日より1日1話投稿に変更させていただきます。

引き続き毎日更新(時々休み)は目指していきますのでよろしくお願いいたします。

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