表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ダンジョン保険の例外案件係に左遷された俺、【真贋鑑定】で業界の闇を全部暴く  作者: 夜摩 高嶺
第一部『例外案件係の査定員』

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/81

第3話「生きている死人」

「死んだのはあの子じゃありません」


 わたしがそう言った数秒後、蓮田はマグカップを三度、ゆっくり持ち上げて、また下ろした。結局、今日もコーヒーは飲まないままだった。


「根拠もう一度」


「装備リストの三行。伯母の筆跡、黄色。つまり、書いた本人が『本当だ』と信じて書いた、事実ではない記述です」


「伯母の妄想って線もあるぞ」


「ありえます。ですが——」


 わたしは遺族確認書の黒い署名を指で押さえた。


「こちらは黒。意図的な隠蔽です。妄想ではない。知っていて隠している」


 蓮田は鼻から短く息を吐いて、電卓のソーラー部分を掌で覆った。液晶が消え、また点いた。癖だなと思った。銀行員時代、計算を白紙に戻したいとき、彼はこういう仕草をしていたのかもしれない。


「よし」


「よしとは」


「早乙女、動け。宇津木、同行しろ。本社には通常の現場再検分で上げる」


「根回しですね」


「頭越しにやると上が騒ぐ」


 蓮田が昭和の稟議書じみた語を続けざまに使った。わたしは頷いて、封筒を抱え直した。



 新宿三丁目地下、第三層奥部。


 二十一時四十分。立入証の再申請に時間を取られ、現着が遅れた。早乙女は受付でIDを通すとき、係員にやや硬い挨拶を返した。彼女の元の所属を、係員の方が覚えていたらしい。視線が名札より長くこちらの名刺を読んでいた。


「気になる?」


 階段を下りながら早乙女が背中越しに言った。


「少し」


「辞めた理由はここじゃ話さない。仕事が終わったら、あんたの好きな缶コーヒーを奢る。それで勘弁して」


「ブラック以外は受け付けません」


「高くつくな」


 階段の途中で、魔素濃度が一段上がった。彼女の首筋で細いペンダントが揺れた。銀色のコインのようなもの。魔素濃度計だ。コインの縁に青い光が滲んでいる。


「これ以上濃くなったら撤退」


「承知しました」


 第三層奥部。岩盤の裂け目から、蒸気のような白い煙が薄く立ち昇っていた。硫黄のような匂いと、金属を舐めたような匂いが混ざっている。早乙女は片膝をつき、地面に掌を当てた。


「【残響追跡】」


 短い声だった。


 掌の下の岩が青白く透け始めた。透けたというより、岩の表面に薄い膜が重なって、その膜の中で何かが動き出した。光の粒が、足跡の形に並んでいく。膝の高さくらいの何かが左から右へ走る。ゴブリンだろうか。もうひとつ背の高い人影。細い影。


「三人分。魔物二、人一」


「何時間前ですか」


「十九時四十七分、前後五分。書類と一致」


 早乙女の指先が空中をなぞった。光の粒が、その指先に引き寄せられるように集まってくる。人影が鮮明になっていく。背丈、肩の幅、腰に差した短剣の位置。


「女。身長百五十八。細め。右手で短剣、左手で——」


 光の左手に、小さな筒状の物体が握られていた。


「ヒール・ポーション、使用済み一本」


 書類の装備リストには、未使用の三本しか記載がなかった。黄の色がついた行だ。


「書類ですね」


「ええ」


 早乙女の指がゴブリン側の光を辿った。ゴブリン・ハイは、通常単独行動しない。群れで動く。けれど、光の粒は二体分しかなかった。しかも二体目は奥の岩陰に隠れ、戦闘には加わっていない。女の影に気づいていないような動きだった。


「戦闘していない」


 早乙女がそう言って立ち上がった。


「正確には彼女はポーションを一本だけ使って、一体目を斬って逃げた。致命傷じゃない。手首を切られた程度。二体目には追われていない」


「死亡の痕跡は」


「ゼロ」


 わたしは封筒の中の事故報告書をもう一度開いた。『ゴブリン・ハイの急襲を受け、初動の回避に失敗、致命傷を負い絶命』——赤い文字の列。


 有坂しおんは、生きている。


 早乙女が岩陰の向こう、通路の突き当たりを指差した。


「ここから先、彼女の足跡が続いてる。奥の非常用昇降路まで」


「非常用昇降路というと」


「ダンジョン庁が設置した緊急避難路。出入口の記録は、本庁申請しないと開示されない」


「開示申請しますか」


「いや」


 早乙女は首を横に振った。


「申請した瞬間、誰かが動く。あの子が生きてるなら——まず彼女が今どこにいるか、書類を通さずに特定する」


「心当たりは」


「ある」


 彼女はコインのペンダントを胸元の内側に押し込んだ。青い光が服の下で一度だけ瞬いた。



 地上に戻り、車に乗り込んだのは二十三時十分。


 早乙女の車は白い軽のバンだった。後部座席に、ダンジョン装備の入った金属ケースが二つ、隙間なく積まれている。助手席には、畳まれた毛布と使いかけの非常食の空袋。車中泊の痕跡だった。


「どこへ」


「墨田区東向島」


 カーナビに住所を打ち込む手が、迷いなく動いた。一度も来たことのない場所ではない、という手つきだった。


「東向島の何が」


「民間のシェルター。正式名称は『東向島生活支援センター』。貧困層の一時宿泊所。表向きはNPO運営。裏では身元を隠したい探索者の駆け込み寺」


「有坂しおんがそこに?」


「D級で身寄りの薄い女。伯母から保険金請求が上がってる。自分が死んだことになってるのを知らないなら、隠れる必要はない。でも身寄りの薄い探索者が突然仕事を抜けるとき、行き先は限られてる」


「経験則ですか」


「警察時代の」


 信号が赤になった。早乙女は指でハンドルを三回叩いた。二十三時十七分、青。アクセルが踏まれる。


「……ひとつ聞いていいですか」


「どうぞ」


「あなたはなぜ辞めたんですか」


 彼女の横顔は前方を向いたままだった。街灯の黄色が頬を斜めに撫でた。


「約束したろ。仕事の後」


「失礼しました」


「——でもひとつだけ言える」


「はい」


「書類を信じすぎた」


 わたしの動機に、そっくりの輪郭だった。違う角度から差し込まれた同じ形の……いや、その比喩は安直すぎる。わたしは眼鏡の位置を直した。視線を前方に戻す。



 東向島生活支援センター。


 築四十年は経っていそうな三階建ての雑居ビルの二階に、看板が出ていた。『一時宿泊、三泊まで無料』。電飾の『泊』の字が片側だけ切れていた。


 二十三時五十八分。夜間受付のブザーを押す。


 応対に出たのは五十代の女性だった。化粧の薄い疲れた目の職員。早乙女は名乗らなかった。代わりに保険査定官の立入証を見せた。


「保険の確認で。若い女性、D級、身長百五十八くらい、ここ三日以内に来ていませんか」


 職員はわずかに身体を退いた。立入証の文字を二度読み返してから、視線を上げた。


「……個人情報は」


「漏らしません。名前も出せません。確認だけです」


 職員はしばらく迷ってから、受付の奥へ引っ込んだ。暖房の埃っぽい風が玄関のマットのほうへ流れてくる。カップ麺の出汁の匂いがどこかの部屋から漏れていた。


 五分。七分。十分。


 ようやく、階段の上から足音が下りてきた。軽いが、少しだけ引きずるような足音。わたしは封筒を抱え直した。


 踊り場の角から、顔が覗いた。


 背は低い。百五十八。薄茶色の髪を後ろで一つに結んで、右の手首に包帯を巻いている。目の下のクマが深い。書類の写真と、同じ顔だった。


「どちら様ですか」


 声は掠れていた。


「有坂しおんさん」


「……はい」


「三豊ダンジョン保険、損害査定部の宇津木と申します。こちらは早乙女」


 わたしは名刺を差し出した。受け取る手は右の包帯のために左だった。指先が名刺の縁を二度めくった。


「保険ですか。わたし、契約してたのは失効して——」


「いえ」


 わたしは彼女の言葉を遮った。静かな声のつもりだった。


「失効していません。現在、契約は有効です。——そして、あなたは昨日死亡したことになっています」


 有坂しおんの手から、名刺が落ちた。


 踊り場の蛍光灯がジーという低い音を立てている。彼女の唇が動いた。音にならなかった言葉を、もう一度試すように動かした。


「……え」


 それが、この夜の彼女が出せた精一杯の音だった。


 わたしは封筒から遺族確認書を抜き出して、署名欄を彼女に向けた。黒い字の『有坂昌代』。


「叔母……いえ、伯母上の筆跡ですね」


 有坂の目が署名の上で止まった。


 その瞳の奥に、ゆっくりと冷たいものが広がっていくのが視えた。魔素の光ではない。書類の色でもない。彼女自身の内側から滲む薄い青。


「——伯母がどうして」


 震える声だった。


 わたしは黒縁眼鏡の奥で目を細めてから、答えた。


「それを一緒に調べにきました」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ