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ダンジョン保険の例外案件係に左遷された俺、【真贋鑑定】で業界の闇を全部暴く  作者: 夜摩 高嶺


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第2話「色のついた嘘」

「嘘、ってのは、どういう意味で?」


 早乙女の声が戻ってきたのは、魔素の青白い光がようやく薄れかけた頃だった。


 岩陰から顔を半分だけ出して、彼女はこちらを見ていた。右手はまだホルスターの上に置かれている。短剣の柄頭に、親指が軽く触れていた。


「言葉通りです」


 わたしは書類を抱え直した。紙束の縁が、膝の上で湿っている。


「赤は虚偽。黒は意図的な隠蔽。黄は、本人が本当だと思い込んで書いた、事実ではない記述」


「あんた、いま何を見てる?」


「書類です」


 早乙女が眉間に皺を寄せ、わたしの視線の先の茶封筒を見た。彼女の眼には、ただの印字された紙としか映っていないはずだった。


 耳鳴りは、まだ残っていた。左の鼓膜の奥で、金属板を撫でるような高音が細く鳴り続けている。



 地上に戻るまで、早乙女はほとんど口をきかなかった。


 新宿三丁目駅の出口で、彼女は自販機の缶コーヒーを二本買った。一本をわたしに差し出す。ブラック。銘柄はBOSSの青いやつ。


「手、震えてる」


「気づきませんでした」


「覚醒直後はそうなる」


 プルタブを開ける音が、やけに大きい。舌先の熱が、魔素の余韻のせいか味覚が鈍っているのか判別できない。十六時二十三分。雑居ビルの壁時計がそう告げていた。


 早乙女は路地の角で煙草に火を点けた。セブンスターの青。風上に身体を向けて。


「あんたが見えてるやつ、なんて名前?」


「名前、ですか」


「覚醒スキルは名前がつく。呼べば、反応する」


 煙の匂いが、コーヒーの湯気と混ざった。鉄を舐めたようなダンジョンの残り香が、ようやく鼻の奥から抜けていく。


 書類を開いた瞬間、頭のなかに浮かんだ二文字があった。浮かんだ、というより注釈のように、勝手に書き込まれていた。


「……真贋、です」


「何」


「【真贋鑑定】。そう、視えました」


 早乙女は灰を落とした。短くなった煙草を、二回ほど吹かしてから、携帯灰皿の中へ押し込んだ。


「帰って蓮田さんに言って。上には黙っときなって、多分そう返ってくる」


「なぜ分かるんですか」


「あの人、銀行出てるから」


 脈絡がないようで、あるような返事だった。わたしは頷くことも首を振ることもせず、ただ缶の底に残った最後の一口を飲み干した。



 三豊ビル北館、十二階西端。


 ドアを開けると、蓮田はデスクに頬杖をついて、古い電卓を指先で叩いていた。ソーラーのやつだ。蛍光灯の光が足りないらしく、液晶の数字が薄く滲んでいる。


「戻ったか」


「戻りました」


「で?」


 わたしは茶封筒を机に置いた。ダンジョンの湿気で角が反り返り、表面の印字が少しだけ歪んでいる。蓮田は封筒の汚れを見て、顎を撫でた。


「——現場で何があった」


「魔素暴走に巻き込まれました」


「怪我は」


「ありません。肘を少し擦った程度です」


「スキル、覚醒したな」


 質問ではなかった。蓮田は電卓の電源を切って、マグカップを手元に引き寄せた。今日も、結局一口も飲まない。


「名前は」


「【真贋鑑定】です」


「……ほう」


 蓮田は天井を見上げた。蛍光灯が一本、微かにちらついている。


「書類、視えるのか」


「視えます。青が真実、黄が主観の誤認、赤が虚偽、黒が意図的な隠蔽。四色です」


「三十秒で結論出せるな」


「たぶん」


 蓮田は、少しの間、黙っていた。マグカップを置いて、両手をデスクに組む。融資面談で決裁の線引きをする直前の、銀行員の癖だった。


「上には黙ってろ」


「理由を、伺っても」


「覚醒者は社内登録義務がある。だが、うちの損害査定部は本社企画部の頭越しに人事が動く部署じゃない。——お前を登録に出した瞬間、本社がお前を引き抜く。第三課は人員ゼロで閉鎖。塩漬け案件は全部、宙に浮く」


「担保割れ、ですね」


 蓮田の眉が、わずかに動いた。


「なんだ、それ」


「融資で、返済原資が失われた状態を指します。担保として置かれた第三課が、無価値になる」


「ああ」


 蓮田はマグカップの縁を親指で撫でた。


「そういう言い方もあるな。銀行のほうが皮肉が上手い」



 茶封筒の中身を、もう一度デスクに広げた。


 事故報告書、保険金請求書、ランク証明、装備リスト、遺族確認書。昨日見たときと同じ並び順で、同じ文言が印字されている。——けれど、今日は色がついていた。


 事故報告書の一行目、『十九時四十七分、第三層奥部にて単独探索中』——赤。血のような、信号のような、はっきりとした赤。


 その四行下、『ゴブリン・ハイの急襲を受け、初動の回避に失敗』。これも赤。


 遺族確認書の伯母の署名、『有坂昌代』——黒。背景に沈むような、光を吸い込む黒。


 装備リスト。鋼鉄の短剣、軽装鎧、ヒール・ポーション三本、解毒剤二本、ロープ十メートル。ここに黄が三行。


 わたしは、その黄の上に指先を置いた。


「課長」


「ああ」


「装備リストの黄、これは、記述者自身が『本当だ』と思い込んで書いた、事実ではない記述です」


「記述者は」


 遺族確認書と見比べる。筆跡は、昨日と同じく酷似していた。丁寧すぎる字間、行の揃え方、止めと跳ねの癖。同じ人間が書いた可能性が高い。


「伯母の、有坂昌代。おそらく」


「伯母が、姪の装備リストを、思い込みで書いた?」


「はい」


「姪は死んでるんだぞ」


 蓮田がマグカップを引き寄せ、止めた。


「書類上は」


 わたしは、訂正するように言い直した。


「有坂昌代は、姪が生きていたころに使っていた装備を、記憶のまま書き写したのだと思います。——死後に整理した装備を写したのなら、現場で消耗したはずのヒール・ポーションの減数が、残ります。けれどこのリストには未使用品の数量しか載っていない」


「稟議の戻り、ってやつだな」


 蓮田が、昔語りのように呟いた。


「頭越しに上げた書類が、数字が合わないで戻ってくる。誰かが数字の一桁を飲み込んで整えた跡、ってやつだ」


「ええ、よく似ています」


 窓の外で、隣のビルの蛍光灯が一本、消えた。十七時ちょうど。就業終了のチャイムが、どこか遠くで鳴った気がした。



 早乙女が、コーヒーを淹れ直して戻ってきた。


 マグカップは三つ。彼女は自分の分を、窓際の空席の上に置いた。本来なら誰かが座っているべき席。キーボードの埃の上に、白い湯気が立ち上る。


「で、結論は」


「有坂しおんは——」


 わたしは、黄の付箋が六枚並んだデスクの端を、指で押さえた。付箋の糊が、昨日より少し乾いている。爪で軽く弾くと、かさりと音がした。


「死んでいません」


 早乙女のマグカップが、窓際の席の上で、静かに揺れた。


「根拠は」


「装備リストが、生きている前提で書かれています。伯母は、姪の生存をどこかで信じている。——あるいは、知っている」


 蓮田は、長い息を吐いた。


「魔素が覚醒のトリガー、ってのは本当だったんだな」


「と、いうと?」


「スキル覚醒者の八割が、ダンジョン内の魔素暴走を経験してる。つまり、魔素は体内のスキル素因を炙り出す。眠ってるものに火を点ける。うちの査定官で、それを当日のうちに使いこなすやつは、初めて見た」


 褒めているのか、警戒しているのか、やはり判別がつかなかった。


 早乙女が窓際の席のマグカップを取って、一口啜った。


「あたしが、動く?」


 一人称が、初めて聞こえた。「あたし」は警察学校で矯正される類の癖だと聞いたことがある。矯正しきれなかった、ということらしい。


「残響追跡、ですか」


「二十四時間以内、魔物・人含めて三人分まで。現場の第三層奥部なら、さっきの暴走で魔素濃度が跳ね上がってる。今夜なら、まだ読める」


「今夜」


「ええ。明日じゃ遅い。書類は温めるほど嘘が上手くなる、でしょ」


 蓮田の台詞を、早乙女がそのまま引き取った。蓮田が鼻で笑った。


「合格点だ、早乙女」


 わたしは封筒を閉じた。角の反りは、もう戻らなかった。


 遺族確認書の黒い署名が、閉じたあとも、指先に残響のように焼きついていた。


「課長」


「なんだ」


「ひとつ、報告を」


「言え」


 わたしは眼鏡のブリッジを押し上げた。


「死んだのは、あの子じゃありません」

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