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ダンジョン保険の例外案件係に左遷された俺、【真贋鑑定】で業界の闇を全部暴く  作者: 夜摩 高嶺


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第1話「例外案件係、来訪」

「宇津木伊吹、三十三歳、独身。国立大経済学部卒、メガバンク融資担当を七年。つまり、君は探索者じゃないのに査定官になるんですか?」


 課長の蓮田亮介が、履歴書をひらひらと揺らした。新卒を見るような目で、痩せた五十男がこちらを眺めている。


「その通りです」


「戦闘スキルは」


「ありません」


「ダンジョン経験は」


「ゼロです」


 蓮田は眉を上げた。皮肉屋だという噂は本当らしい。机に履歴書が投げ出される。


「ほう。では、ひとつ質問を。なぜ、こんな場所に来た?」


 わたしは眼鏡のブリッジを指で押し上げた。


「書類を、信じたいからです」


 蓮田の口の端が、わずかに動いた。笑ったのか、呆れたのか、判別がつかない。



 三豊ビル北館、十二階の西端。


 損害査定部 第三課、業界内では通称『例外案件係』。処理困難と判定された申告書類、塩漬けになった詐欺疑惑、誰も触りたがらない事故報告。それらが回ってくる部署だ。


 部屋は八畳ほどの会議室を無理やり改装したものらしかった。窓の外には隣のビルの壁面しか見えない。午後二時の陽が、ブラインドの隙間から細く差し込んでいた。壁際のデスクは三つ。二つは空席で、埃を被ったキーボードが置かれたままだ。


 エアコンが唸っている。冷気というより、古い空調の埃っぽい風が、うなじに触れた。


「座れ」


 蓮田が顎で指した席は、窓から一番遠い角だった。スチール製のデスクの上に、すでに一冊の茶封筒が載っている。厚さは一センチほど。背を丸めた書類の束が、中で重みを持っている。


「初仕事だ」


 封筒を押しやる手つきが、やけに慣れていた。


「有坂しおん、D級、二十二歳。新宿三丁目地下ダンジョン第三層で死亡。提出されたのは昨日」


 わたしは封筒を開いた。事故報告書、保険金請求書、ランク証明、装備リスト、遺族確認書。保険金額の欄に、二千三百四十七万円と印字されていた。


「三日で結論出せ」


「承知しました」


 蓮田はマグカップに手を伸ばして、何かを思い出したように止めた。コーヒーには手をつけないまま、席に戻る。


「言っておくが」


 背中越しの声だった。


「君の前任は、この案件に手をつけて、三週間で辞めた」



 書類をめくる。


 事故報告書の筆跡は、丁寧すぎるほど丁寧だった。行の揃え方と字間に、いっさい乱れがない。まるで下書きを清書したみたいに整っている。——いや、二度写したのかもしれない。紙の繊維の立ち方が、一度書いた紙をなぞったときの癖に似ていた。


 遺族確認書の署名欄には、『有坂 昌代』とある。伯母。両親はすでに他界しており、唯一の近親者がこの伯母だと書かれていた。筆跡は事故報告書と酷似していた。たまたまではない、と思う。


 装備リストを見る。D級二十二歳が使うにしては、装備が標準的すぎた。まるで協会公式サイトの推奨リストをそのまま書き写したような品揃え。


 実際に使い込んだ探索者は、必ずどこかに個人の癖が出る。武器の型番、ポーションの銘柄、予備ロープの本数。このリストにはそれがない。


 使い古しの買い替え履歴も、消耗品の継ぎ足し注文も、一行たりとも載っていないのだ。女性D級の平均購入点数より、むしろ少し切り詰めてある。節約家を装いたいなら、ここまで几帳面にやる必要はない。几帳面に見せたい人間の、几帳面さだった。


 三枚目、四枚目、五枚目。


 引っかかる点を、付箋に書いてデスクに貼っていく。黄色の付箋が六枚、並んだ。


「……悪くないな」


 頭の上から声がした。蓮田がいつの間にか背後に立っていた。わたしの付箋を覗き込んでいる。


「前任は、付箋を二枚しか貼らなかった」


 それは褒め言葉なのか、嫌味なのか。わたしは答えなかった。


「現場検証、行くか」


「今日、ですか」


「明日じゃ遅い。書類は温めるほど嘘が上手くなる」


 蓮田は内線を一本かけた。二分後、部屋のドアがノックもなしに開いた。



「早乙女です。現着しました」


 短い挨拶だった。


 長身の女性が立っていた。わたしの目線より、ほんのわずかに下。それでも女性としては長身の部類だ。茶色のショートヘアが、後頭部で跳ねている。黒のカーゴパンツに、灰色のパーカー。動きやすさだけを考えた服装だった。整った顔立ちなのに、表情が硬い。


「損害調査部の早乙女灯里。C級。君のバディだ」


 蓮田の紹介に、早乙女は小さく頷いた。握手は求めてこなかった。代わりに、名刺を一枚、デスクに置いた。


 肩書きの下に、小さく刷られた文字があった。元・警視庁ダンジョン対策課。


 名刺の端に、退職月の消印のような跡が残っていた。


「新宿三丁目地下、第三層。有坂しおんの死亡現場。——行ける?」


 口調は短い。余計な敬語がない。質問なのに、断定のように聞こえた。


「行きます」


 わたしは封筒を抱え直した。


「ただ、一つだけ」


「何」


「わたしはダンジョン経験がゼロです。足手まといになったら、言ってください」


 早乙女はわたしを見た。値踏みするような目ではなかった。ただ、見ていた。


「初動でつまずく査定官は、帳場で死ぬ。ついてきて」


 帳場——警察用語の残滓だ、と思った。本人は気づいているのかどうか。



 新宿三丁目駅から徒歩四分。


 雑居ビルの地下に、ダンジョン入口は埋まっていた。受付でIDを提示し、保険査定官用の立入証を首から下げる。早乙女が慣れた手つきでゲートを通り、わたしは遅れて続いた。


 第一層は、コンクリート打ちっ放しの広い空洞だった。空気が、地上とは違う。鉄を舐めたような匂いが、鼻の奥に残る。魔素、というやつだろうか。


 第二層へ下りる階段で、早乙女が振り返った。


「現場は第三層の奥、分岐を右。死因は魔物による致命傷と記載されていた」


「記載、ですか」


「書類にはそう書いてある」


 含みのある言い方だった。わたしは黙って頷いた。


 第三層は、湿っていた。壁面から水が滲み、天井の岩が細かく震えている。遠くで、何かが崩れる音がした。早乙女が立ち止まり、片手を上げる。


「魔素濃度、上がってる」


 声が低かった。


「戻ろうか?」


「いえ、現場まで——」


 そのとき、空気が歪んだ。


 壁際の岩盤から、青白い光が噴き上がった。早乙女が舌打ちし、わたしの腕を掴んで岩陰に引き倒す。肘がコンクリートを擦った。痛みより先に、耳の奥で何かが鳴った。——高周波。ガラス越しに聞く救急車のサイレン。そんな音だった。


「魔素暴走。三十秒、頭抱えて」


 早乙女の指示に従って、わたしは額を地面に押しつけた。抱えていた茶封筒が、膝の下で潰れる。奥歯が痺れた。舌の付け根に、銅のような味が広がる。


 視界が、閉じた。



 目を開けると、封筒が目の前にあった。


 耳鳴りはまだ止まない。左の鼓膜の奥で、金属板を細い棒で撫でるような音が鳴り続けている。指先の感覚が遠く、自分の爪を押さえてもどこを押しているのか分からない。視界の縁だけが水のように揺れ、そこから中心に向かって、ゆっくりとピントが戻ってくる。


 茶色の紙が——違う。色が、違う。


 書類の文字が、色づいて視えた。


 事故報告書の一行目。『十九時四十七分、第三層奥部にて単独探索中、ゴブリン・ハイの急襲を受け』——その行に、赤が重なっていた。血のような、信号機のような、はっきりとした赤。


 二行目に、黒。


 遺族確認書の伯母の署名に、黒。


 装備リストには、黄色が三行。


「……宇津木?」


 早乙女の声が、遠かった。わたしは書類から顔を上げられなかった。


 赤が、虚偽。黒が、意図的な隠蔽。黄色が、主観の誤認。なぜそう分かるのか、わたし自身にも分からなかった。ただ、そう視えて、そう意味が入ってきた。


 呼吸が一瞬、止まる。指先から書類がずり落ちかけて、慌ててもう一度掴み直した。眼鏡のレンズの裏側で、世界の層が一枚剥がれたような気がした。


 わたしは付箋を貼った六枚の上に、指を置いた。


「早乙女さん」


「何」


「——この事故報告書、全部嘘ですね」


 早乙女が、ゆっくりとこちらを向いた。岩陰の向こうで、魔素の光はまだ収まっていない。遠くの崩落音が、二度、三度と続いた。


 彼女は何も言わず、名刺と同じ短さで、一度だけ頷いた。

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