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ダンジョン保険の例外案件係に左遷された俺、【真贋鑑定】で業界の闇を全部暴く  作者: 夜摩 高嶺
第一部『例外案件係の査定員』

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第23話「二十三件」

 蛍光灯を全灯にしたのは、初日の夜だった。

 五月十二日、月曜、二十一時。第三課に残っているのは三人。わたし、早乙女、有坂。蓮田は本社に張り付いて根回し中。デスクの上に缶コーヒーの空き缶が四本並んでいる。有坂が買い出しに走ったブラック、微糖、カフェオレ。有坂の分だけミルクティーだった。


「分類、終わった」


 早乙女がホワイトボードにマーカーを走らせる。赤、青、黒。三色。


「パターンA、ダンジョン内の罠を悪用した偽装事故。十二件」


 赤で十二本の線。


「パターンB、装備の偽装破損。保険適用の装備を意図的に壊して請求。八件」


 青で八本。


「パターンC」


 早乙女の手が止まった。黒マーカーのキャップを外す音が、やけに大きい。


「死亡偽装。三件」


 黒で三本。ホワイトボードの白い面に、三本の短い線。


 死亡偽装。ダンジョン内で探索者が死亡したと見せかけ、死亡保険金を請求する。当人は別の身分で別の場所にいる。あるいは、本当に死んでいる。他殺を事故死に見せかけたケースも含まれる。


「死亡保険金、一件あたりの上限は」


「三千万から五千万。等級による」


 有坂がPCの画面を見ながら答えた。声が少し震えている。データ入力を続けながら、画面上の数字の意味を理解し始めたのだろう。二十二歳の嘱託社員が見るには重い数字だ。


「総額は」


 わたしはノートに書き出した数字を読み上げる。


「二十三件合計で、四億七千万円。パターンA が一億九千二百万。パターンBが一億四千八百万。パターンCが一億三千万」


 五年間で四億七千万。年平均九千四百万円。月に換算すれば七百八十万円余り。雷電クランの規模なら、気づかれない額ではない。だが保険会社の側から見れば、一件一件が別のダンジョン、別の探索者、別の事故報告。パターンを見抜くには、全件を並べて俯瞰する必要がある。


 それを五年間、誰もやらなかった。わたしたちが見るまで。


 初日の作業は、まず二十三件の基礎データを全て表計算ソフトに打ち込むことから始まった。有坂がキーボードを叩く。わたしが元データを読み上げ、早乙女がダンジョン庁のオンライン公開記録から点検日の一覧を引っ張ってくる。窓の外が暗くなったことに気づいたのは、有坂が「あの、もう終電が」と呟いた零時過ぎだった。


「今日は泊まりだ。覚悟しろ」


 早乙女がソファの横に毛布を積み上げている。どこから持ってきたのかは知らない。社内の備品庫を漁ったのだろう。



 二日目。五月十三日、火曜。


 わたしは【真贋鑑定】を使った。Tier1。書類の色判定。二十三件分の保険金請求書を、一枚ずつ視る。


 机の上に請求書の束。紙の匂い。インクの匂い。目を閉じ、スキルを起動する。視界の裏側に色が滲む。


 一枚目。赤。虚偽記載あり。

 二枚目。赤。

 三枚目。黒。意図的な隠蔽。こめかみに微かな圧を感じる。まだ序盤だ。

 四枚目、五枚目。赤と黒が交互に重なる。


 赤と黒の海だ。二十三枚。一枚の例外もなく、赤か黒。青は一枚もない。


 つまり、一件たりとも正当な請求がない。全てが虚偽か隠蔽。


 七枚目を視たあたりから、こめかみが痛み始めた。Tier1は本来、一枚ずつなら負荷は軽い。だが連続使用すると蓄積する。十二枚目で、視界の端が白くちらつく。


「宇津木さん、休憩してください」


 有坂の声。わたしは首を振った。


「あと十一枚です」


「目から血が出てます」


 有坂の指が、わたしの右目の下を指している。ティッシュを一枚抜き、目尻に当てた。白い紙に、薄い赤が滲む。Tier1の長時間連続使用。毛細血管が圧迫されて、目尻から少量の出血。視力に影響はない。だが見た目が悪い。


「十五分だけ」


 早乙女がわたしの肩に手を置いた。掌の重み。力強い、だが乱暴ではない圧。


「十五分休んで、続きをやれ。目が潰れたら残りの十一枚も視れなくなる」


 反論できない正論。わたしは眼鏡を外し、給湯室で顔を洗った。蛇口から出る水が冷たい。


 五月なのに手が震えている。疲労か、スキルの反動か。鏡を見た。黒縁眼鏡がない顔。目の下に赤い筋。三十三歳の男の顔が、五歳は老けて見える。


 十五分後。残りの十一枚を視た。

 結果は同じだ。全て赤か黒。二十三件。例外なし。


 早乙女が結果をホワイトボードに書き加える。「Tier1判定:赤15件 黒8件 青0件」。マーカーのインクの匂いが鼻をつく。



 三日目。五月十四日、水曜。二十二時。


 報告書が完成した。


 A4で四十七ページ。表紙を含めて四十八枚。二十三件の事案分析、パターン分類、金額一覧、請求日とダンジョン庁定期点検日の相関表。最後のページに、わたしの【真贋鑑定】による色判定結果。赤十五件、黒八件。全件が虚偽または隠蔽。


 有坂がデータ入力とグラフ作成を担当した。早乙女がダンジョン庁の公開記録と照合して、点検日時のクロスチェックを行った。わたしが全体構成と文章を書き、最終的な数字の突合を行った。


 三日間。睡眠は合計で八時間に満たない。給湯室のコーヒーは二日目の夕方で底をつき、途中から有坂が一階のファミリーマートで紙パックのコーヒーを箱買いしてきた。レシートの合計金額は三千四百円。ゴミ箱から袋とストローが溢れている。


 第三課の空気が淀んでいる。三人分の体臭と紙とインクとコーヒーの匂いが混じった、独特の密室臭。窓を開けたいが、セキュリティ上、十二階の窓は十五センチしか開かない。


 最後の一件。パターンCの三件目。死亡偽装。被害者は二年前にダンジョン十五層で「落盤事故」により死亡したとされるC級探索者。保険金三千八百万円。


 わたしがこの最後の一件の文章を書いている途中で、右目の焦点が合わなくなった。キーボードの上で指が止まる。


「あんた、寝ろ」


 早乙女の声。背後から。わたしの椅子の背もたれに、手が掛けられている。


「あと一件です」


「寝ろ。最後の一件はあたしが書く」


 早乙女がわたしの隣に椅子を引いてきた。座る。デスクの上のノートとPC画面を見比べる。


「数字の確認だけ、明日やってくれればいい。文章はあたしが書ける。元刑事だ、報告書は腐るほど書いた」


 わたしは反論しようとして、できなかった。右目の視界がぼやけている。有坂はソファで毛布を被って寝ている。規則的な寝息。二十二歳の体力でも三日間は限界だ。


「……頼みます」


「ん。寝ろ」


 わたしはデスクに突っ伏した。眼鏡を外す。額がデスクの木の面に触れる。冷たい。その冷たさが、三日分の熱を少しだけ吸い取っていく。


 意識が落ちる前に、キーボードを叩く音が聞こえた。早乙女の指が、最後の一件を文字にしている。



 翌朝。五月十五日、木曜。六時四十分。


 報告書は蓮田のデスクに置かれている。四十八枚。クリアファイルに挟んで、付箋が一枚。早乙女の字で「最終ページの数字、宇津木チェック済」。


 わたしは六時に起きて、最後の一件の数字を確認した。問題ない。早乙女の文章は簡潔で正確だ。元刑事の報告書。感情がない。事実だけが並んでいる。


 四億七千万。書類で、この金額を動かした人間がいる。


 蓮田が出社するのを待つ。七時。八時。壁の時計が動いている。今日、この報告書が取締役会に届く。届けば、何かが変わる。


 あるいは、何も変わらないかもしれない。取締役会が報告書を握り潰す可能性もある。雷電の十四億円と、四億七千万円の不正。天秤にかけたとき、どちらが重いか。それは数字の問題ではなく、意志の問題だ。


 だが投げなければ、何も始まらない。わたしたちの手元に、弾はある。あとは撃つだけだ。

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