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ダンジョン保険の例外案件係に左遷された俺、【真贋鑑定】で業界の闇を全部暴く  作者: 夜摩 高嶺
第一部『例外案件係の査定員』

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第17話「証人欄」

「薄井達郎。五十三歳。岩礁クラン元副代表。現在は雷電リスク・マネジメント株式会社の顧問」


 翌朝。わたしは早乙女の前に、A4二枚のプロファイルシートを並べた。第三課のデスク。九時十分。蓮田はまだ出社していない。


 早乙女は缶コーヒーに手をつけず、紙面を見下ろしていた。


「岩礁クランは三年前に解散。メンバーの七割が雷電クランの傘下組織に移籍しています。薄井さんは探索者ではなく事務方。経理と渉外が専門で、クラン運営の資金管理を担当していた」


「それが三年前、柿沼の裁判に証人で出た」


「はい。検察側証人です。薄井さんの証言内容は『柿沼浩一がダンジョン探索の報酬を水増しし、差額を横領していた現場を目撃した』というもの」


 早乙女の指がテーブルの上で一度、弾かれるように動いた。爪がデスクの表面を叩く、こつ、という小さな音。


「目撃証言。あたしが聴取したときは、もっと具体的だった。日時、場所、金額。全部つじつまが合ってた」


「その証言に基づいて逮捕令状を取った」


「取った。初動から二週間で。上も急かしてた」


 早乙女の声に感情の揺れはない。事実を並べているだけ。三年前の帳場の記録を、口頭で再生している。


「今日、薄井さんに会いに行きます。港区芝のレンタルオフィスに常駐しているようです。アポイントは取ってあります」


「何の名目で」


「嶋崎案件のフォローアップ。雷電リスク・マネジメントは嶋崎さんの所属クランと業務提携関係にありましたから、関係者ヒアリングとして不自然ではない」


 早乙女が、ようやく缶コーヒーを一口飲んだ。


「あたしも行く」


「当然です。バディですから」


 早乙女の口元が、ほんの一瞬だけ緩んだ。笑ったわけではない。筋肉の緊張が、わずかに解けただけ。



 午後一時三十分。港区芝三丁目。JR田町駅から徒歩六分。


 八階建てのオフィスビルはガラス張りのエントランスが新しく、築五年ほどに見えた。一階のコンビニエンスストアから揚げ物の匂いが漂っている。昼時を過ぎてもまだ残る油の重い香り。


 エレベーターで五階へ。扉が開いた瞬間、合成芳香剤の甘い匂いが鼻腔を覆った。ラベンダーとも柑橘ともつかない人工的な香り。レンタルオフィス特有の「清潔感の演出」。壁はクリーム色のクロス貼り、床はグレーのタイルカーペット。音が吸われて、廊下が不自然に静かだ。


 五〇三号室。ドアプレートに「雷電リスク・マネジメント株式会社 芝オフィス」と刻まれたステンレスの表札。インターホンを押す。


「はいはい、どうぞ」


 ドアを開けたのは、小太りの男だった。百六十五センチほど。丸い顔に、人懐こい笑みが貼りついている。紺のポロシャツに、ベージュのチノパン。髪は薄くなり始めた頭頂部を、横から梳かして隠している。


 薄井達郎。五十三歳。


「三豊ダンジョン保険の宇津木です。本日はお時間いただきありがとうございます」


「ああ、ああ。嶋崎さんの件でしたっけ。どうぞどうぞ、狭いですけど」


 応接スペースは六畳ほど。ソファではなく事務椅子が四つ並べてある。窓際にコーヒーメーカーが置かれていたが、電源は入っていない。薄井は自分の椅子に座り、わたしと早乙女の前にペットボトルの水を置いた。


 スキルを起動する。視界の色彩が、一段沈む。


「薄井さんは雷電リスク・マネジメントの顧問として、どのような業務を」


「まあ、コンプライアンス関連ですかね。クランさんの保険契約の適正運用とか、事故時の対応フローとか。地味な仕事ですよ」


 青。真実。


「嶋崎さんの件では、何かお心当たりは」


「いやあ、直接は存じ上げないんですよね。嶋崎さんご本人とは面識がない。部署が違いますから」


 青。これも真実。


「ところで薄井さん。以前は岩礁クランの副代表をされていたとか」


「ああ、もう昔の話ですよ。岩礁は三年前に解散して、みんなバラバラになりました。あたしは事務方でしたから、探索者のみなさんとは畑が違いましてね」


 黄色。発言の後半に、淡い黄色が重なっている。「みんなバラバラ」が黄色。記憶の書き換え。実際にはバラバラになったのではなく、計画的に雷電の傘下に組み込まれた。薄井はそれを知っているはずだが、記憶の中では「自然解散」に書き変わっている。


「三年前といえば、柿沼浩一さんの件で証人にも立たれたそうですね」


 薄井の表情が、一瞬だけ固まった。〇・五秒。それから、いつもの人懐こい笑顔に戻る。


「ああ、あの件ですか。もう時効ですよ? 古い話です」


 黄色。「古い話」が黄色い。彼にとっては古くないのだ。しかし古い話だと自分に言い聞かせて、記憶の棚の奥に押し込んでいる。


「あの裁判では、柿沼さんの横領を目撃されたとご証言されましたね」


「ええ、まあ。当時はそう見えたんですよね。ダンジョン探索の報酬分配の場にたまたま居合わせまして。数字がおかしいなと思って」


 半分が黄色。半分が青。「たまたま居合わせた」は黄色。本当はたまたまではない。しかし薄井自身の記憶の中では、偶然の目撃に変換されている。


 「数字がおかしいと思った」は青。それは本当にそう思ったのだろう。


 嘘をついているのではない。この男は、記憶を書き換えて自分を守っている。


 早乙女は椅子の背に体を預けたまま、一言も発していなかった。視線だけが、薄井の顔に貼りついている。


「柿沼さんは実際には、雷電の下請けとして動いていたという情報もありますが」


「ええ? いや、そこまでは存じ上げませんねえ。あたしは見たまんまをお伝えしただけで……ねえ」


 黄色。語尾に向かって色が濃くなる。記憶の防壁。彼の中では「自分は善意の目撃者だった」という物語が完成している。三年かけて固まったセメントのように硬く、もう本人にも剥がせない。


「ありがとうございます。参考になりました」


 わたしはノートを閉じた。薄井はにこにこと笑いながら玄関まで見送り、「またいつでもどうぞ」と言った。その一言も、青だった。本心から言っている。彼は自分が加害者だという自覚がない。



 田町駅。改札口の前。午後三時十二分。


 人波が左右に分かれて流れていく。改札のタッチ音が断続的に響く。ピッ、ピッ、ピッ。規則正しい電子音のリズム。五月の風がコンコースを抜けて、早乙女の茶色い髪を揺らした。


 早乙女は黙っていた。


 駅ビルの案内放送が流れる。「三番線に、山手線外回り、品川方面行きが参ります」。何も訊かない。何も言わない。早乙女が口を開くのを、ただ待つ。


 改札の手前で、早乙女が足を止めた。Suicaを握った右手が、タッチパネルの手前で止まっている。


「証拠を改竄したのは、あたしじゃない」


 静かな声。周囲の雑踏に溶けそうなほど低い。


「じゃあ、誰だ」


 わたしは答えなかった。まだ分からない。だが答えの輪郭は、薄井の黄色い証言の向こうに、確かに浮かび始めている。


 早乙女がSuicaをタッチした。ピッ。改札が開く。振り返らずに、人波の中に消えていった。


 わたしは別の改札に向かった。右のこめかみの奥で、スキルの残像がまだ微かに明滅している。薄井達郎の発言に重なった黄色の色彩。嘘ではなく、記憶の改竄。


 赤なら告発できる。黒なら追い詰められる。だが黄色は厄介だ。本人が信じ込んでいる以上、問い詰めても意味がない。


 真犯人は、薄井の記憶の向こう側にいる。柿沼を陥れ、早乙女に罪を着せ、薄井の記憶すら操作した誰か。証拠改竄を実行した手を持つ人間。


 改札のタッチ音が、背中で鳴り続けていた。


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