↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
何気ないまいにちをあなたに伝う  作者: こころも りょうち
ぼくとかれときみの関係
21/22

4ノ7 緑ノ空間と赤イ炎、淡イ黄色

 森は少しだけざわついていた。空からは雨粒が落ちてきているのだろう。光の届かない地表はまだ雨に濡れていない。森の木々はぼ(・)く(・)を守っている。森に来てどれだけの時が過ぎたろう。ぼくは小さなテントと寝袋を買い、森の中で暮らすようになった。

 食事はパンや水をスーパーマーケットで買い込んで、1週間は生活できる状態を作っている。二度目の買い物に行って、また3日が過ぎた。

 1週間前に来てからか(・)れ(・)はこの場を訪れていない。2週間間隔、もしくは半月に一度、この場へやって来るのだろうか。この森に来て、枯れた木の枝を折り、帰ってゆく。かれはそうする事で自らの力を得て、全身に力をみなぎらせる。ぼくの力ではかれを止められない。

 ぼくはかれに勝つことばかりを考えていたけれど、その考えは3日経って捨てた。どれだけどう頭を巡らせても勝つための答えはなかったからだ。ナイフで刺そうとしても、拳銃をぶっ放したとしてもかれを倒すことはできないだろう。かれの持つオーラにぼくは恐れ慄き、かれへ向かう力の全ての力が無力に変わる。それを想像できる。

 き(・)み(・)はどこへ行ってしまったのか、ぼくは知らない。きみへの電話は通じない。きみの居場所を探す手立ては他にない。無理やり、強引に、どうにかしようとすればきみの居場所をつかむことはできるのかもしれない。でもそんな真似はしたくない。

 今、ぼくは、きみの魅力が写し込まれた枯れた木の傍にいる。この木にはきみが生きるために必要な要素がたくさん詰めこまれている。人を愛することだったり、自分を魅せることだったり、きみがきみとして生き、その姿を現すために内側から溢れる人の持つ力が詰まっている。

 白く枝を伸ばす木に詰め込まれたきみの持つものが何かについて、ぼくはしばらく考えていた。きみがきみとして愛され、ぼくがきみを好きになったことを考える。そこに要があると思う。たとえば色で言うなら、きみは黄色に輝いていて、その中心は淡いピンク色で染められている。波長は緩やかだけど、時々大きく揺れた。ぼくの心はときめかされる。季節でいえば五月晴れのように清々しい。海でいえば地中海のように暖かく穏やか。香りは桃の果汁のような甘い香りを放つ。きみがきみらしく輝いていれば、その全ての感情はぼくを揺れ動かし、きみがきみを止めて沈んでしまえば、ぼくはきみに何一つ気づかされなくなるだろう。

 ぼくはテントの中から抜け出し、きみの要素が詰まっている枯れた木に近づく。木は今日も白く綺麗に輝いている。始めてこの木の下に来たとき、木はこんな色をしていただろうか。


 きみの要素がこの木に詰まる前、この木にはぼくの要素が詰まっていた。いろいろな種の気力を失っていたぼくに呼びかけてきたのは、枯れた木から放つ赤い情熱だった。声や言葉にはならない赤い炎のような揺らめきがぼくを呼んでいた。

 モヤモヤと天高く上ってゆくような生き生きとした力がぼくの脳に過去の夏の日を描かせていた。幼い少年が強い目力でぼくの方を見つめている。その少年をぼくは知っている。子供も頃のぼくに似ている。少年はぼく自身だ。

 少年はぼくを見つめると大きく笑みを浮かべた。ありのままの感情がぼくの心臓に激しい鼓動を与えた。少年は苦笑いでもなく、笑わされているわけでもなく、素直な嬉しさを表現して笑っていた。伝わってきたのは言葉ではないけれど、赤き炎を持つ木はぼくに言っていた。

「ありのままでいいんだよ」

 ぼくは何に不安や不満を持ち、恐れ、怖がり、その全てを忘れるためだけに生きてきたのだろう。赤い炎のようにゆらゆら揺れる幻影を持つ枯れ木にぼくは触れた。幻影の赤い炎はぼくの手を伝わり、全身へと流れ込んできた。そしてぼくの固まっていた脳はぐつぐつ煮え立たされ、ただの石塊となっていたぼくの脳はマグマのようにドロドロと溶け、ぼくは生きる気力を取り戻していた。中学生の頃にいじめられると共に失われてしまっていた、ありのままの、ぼくの笑顔は、ぼくの中であらためて生き生きし笑み始めた。


 今、きみの木は黄色く優しい光を放ち、甘く優しい香りを漂わせている。ぼくは思う。人は人の魅力を踏みにじり、自らが上である事を見せつけ、自分が上に立とうとする。学校生活や社会の中で、人は人を傷つけ、自分は自分を守ろうとばかりする。押さえ込まれた魅力はどんどん人を縮こませてゆき、人は魅力を失い、ダメになってゆく。

 きみも社会や誰かの目論見によって小さく縮まってしまったにちがいない。ぼくの知るありのままの、きみの感情は、きみの中にある小さな箱の中に詰め込まれてしまって、緑の男はその力をきみから抜き出し、この木に封じ込めてしまった。かれはきみの魅力を踏みにじり、自らが上である事を見せ付けている。

 枯れた木はきみの魅力を何倍にも引き出し、輝いている。光はぼくの目を眩ませ、やわらかい香りがぼくの鼻孔を刺激し、ぼくの脳幹に強く突き刺さる。もしこの力を踏みにじれば、ぼくは誰にも負けないくらいの自信と魔力を身につけることができるだろう。世界一にのぼりつめた金メダリストのように勝ち誇ることができるだろう。でもぼくはそんな真似は望まない。ぼくはきみのままのきみを黄色い光から感じ、優しさを感じて蕩けてしまおうと望む。ぼくはきみがきみのままのきみである姿に会い、きみに愛を告げたい。

 今、ぼくの答えは一つにまとまろうとしている。そしてその答えはぼくを次の儀式に移らせようとしている。可能性はきっとある。


 ぼくは両手を拡げて、枯れた木の幹を抱きかかえるようにして包み込む。木の幹はうねり、ぼくの体を嫌うように跳ね除けようとする。その木に封じ込められたきみの力は、ぼくの体という場所が自分の望み帰る場所でないことを知っている。

「聞いてほしい。ぼくはきみの敵じゃない。ぼくを信じてほしい」

 その声に反応して、木はボコボコと幹をうねらせるのを止め、静かな呼吸をするようにゆっくりと膨れたりしぼんだりし出した。

 雨なのに、青い空がその木の遥か上方で広がった。生まれた青い空の穴から光は枯れた木に向かって一直線に降りてきた。空の青い穴は閉じ、また雲が覆った。ぼくの目の前にはきみがいた。正しくは10年前のきみの姿だ。

 きみは黄色い光のようだった。光が作り出したきみの形をした幻影だ。

「やっと来てくれたんだね」と、ぼくはきみの姿に向かって声を掛けた。

 幻影は口から話すことなく、呼吸のような波長を持って、ぼくの心に直接触れてきた。

 ぼくはその波長に触れられる。すると心臓はかつてないほどバクバクと高鳴りだした。

 一方きみの姿はぼくの傍を離れ、白い艶やかな木の中へと吸い込まれていった。

 ぼくは目を瞑る。そしてぼくもまた木の中へと入り込むイメージを持つ。すると赤い炎がぼくを包み込み、その炎と共に木の中へとすり抜けてゆくことができた。

 木の中は前後左右の感覚がつかめない緑の空間だった。きみはとても遠く、ぼくからはわずかな姿しか見ることの出来ない場所で黄色い光を放っている。ぼくはその姿に声を掛ける。

「ぼくはきみを助けにやってきた」

 声はきみに届いた。きみの黄色い光は光のオーラを発し、その光がぼくの方に向かって飛んでくる。光はぼくにぶつかり、ぼくの中へと入ってくる。

「わたしは幸せよ」と言っているようだった。きみは遠く、ぼくはきみに近づけない。

「知っている!きみが幸せなことは」と声を放つ。

 知っている。きみはきみらしく生きていた頃のきみの姿をしているから、きみは幸せだという事を。

 遠くで、きみの光は微笑んでいた。

「いや、でも時々、きみを傷つける男がやってくるだろう?ぼくはかれからきみを守るためにやってきたんだ」

 認めることを思い直してきみにそう声を掛けた。

 きみの姿は少しだけ困っているように見える。でもすぐに笑顔に戻って「大丈夫、たいしたことないわ」という言葉を意味する光を放ってくる。

 きみは喜びをいっぱいにして、あちらこちらに光を放っている。きみの作り出す光のエンターテイメントは素晴らしい。光はシャッシャッシャッという音を立ててぼくの傍を通り過ぎてゆく。緑の空間では光が永遠に消えることなく、ずっと遠方まで飛んでゆく。

 ぼくは赤き炎を燃やす。もっと燃やして自分の姿を無くして、意思だけを残した赤き気体となって飛んでゆく。

 想いはきみの下へと繋がっていく。少しずつきみの光に近づいている。きみの姿形、やわらかな笑み、ふっくらとした頬、厚い唇、優しく目じりに皺のよる微笑んだ目、そこには確かにきみの姿が現れた。

 すぐ傍にきみはいる。でもまだぼくは何を伝えていいかわからない。やっと傍まで来たけれど掛ける声が見つからない。

 きみに何を言えば、きみはぼくを信じてくれるだろう?

 きみの光は優しく輝いていた。きみは拒んでいなかった。薄いレモン色のような、やわらかい黄色をしていた。ぼくはきみの傍で言葉を探す。100も200も考える。言葉は幾万語も浮かんでくるけれど、きみに掛ける表現はそこにない。どの言葉も今のきみに掛けるには似つかわしくない。

 言葉もなく、ぼくは赤い炎を燃やす。このまま燃やして、きみの黄色い光を包み込んでしまい、きみを守ってあげたい。

 でもきみの姿は輝いていて、いつまでもどこまでも遠くに黄色い光を放って飛び出ていってしまう。そんなきみの望みを覆いつくしてしまう権利なんてぼくにはない。世界は今も美しく光輝いている。辺りを見渡せば光は緑の空間のあちらこちらを照らしている。

「でもここはきみの居場所じゃないだろう」

 声は自然と漏れていた。

 人はもろく弱い。いつ死んでしまうかわからないし、何をきっかけに心は閉ざされてしまうかわからない。きみはきみらしくありたいけれど、誰かに傷つけられ、心を踏みにじられ、きみはきみの光を閉ざしてしまったのだろう。光を重く厚い岩戸の内に封じ込めるようにして、自分でない自分を演じて、きみは今、生きているのだろう。

「せっかくきみはきみがあるのに、どうしてきみはきみを捨てようとするの?」

 ぼくの目からは涙が流れ落ちていた。悲しくて、悲しくて、生きていると酷いことや、悲しいことがたくさんあって、悲しくて、悲しくて、きみはきみの思うままにさえ生きられない。心を閉ざして、冷たい岩戸の内で凍えている。

 きみの姿をした黄色い光は心配そうにぼくの方を見つめていた。

「泣いちゃダメだよ」と言っているようだった。きみの光は温かく優しい明るさでぼくの姿を包んでくれた。でもきみが優しくしてくれればくれるほど、ぼくは悲しかった。

「ここにいちゃいけないんだよ」

 ぼくはもう一度そう言った。

 もう一度で終わらず「ここにいちゃいけないんだ。ここにいちゃいけない」と何度も何度も言い続けた。

 きみの姿をきみに戻すまで何度も言い続けた。ここはきみの居場所じゃないだろう。


 ※


 台風が去り、外は静まり、明かりが部屋の中に入り込んでくる。珍しく夜ぐっすり眠った翌日午前中、ベッドの上にきみはいる。

 変わらない毎日をただ過ごして生きている。なんて暗いんだろう。どうせ暗い。真っ暗闇だ。外は明るいけれど、この部屋の中は暗い。わたしが作り出す闇が部屋を暗くしている、ときみは感じる。

 どこかで、おぎゃあおぎゃあと泣く、赤子の声がしていた。実際は、おぎゃあおぎゃあではない。表現で言ったら、わーんわーーんといった感じだろうか?隣の家だろうか?どこかに生まれたばかりの子供がいて、泣いているに違いない。きみはその声をそうと決めて、また目を閉じる。でも耳に残る赤子の泣き声は止まらない。

「どうしたら、泣き止んでくれるんだろう?」と声に出して独り言をつぶやく。

『それはね、あなたがあなたらしくなりたいと思うことよ』と、誰かがきみに話しかけてきた。

 きみは目を開き、周りを見渡した。まだ真新しい何もない部屋。空のレジ袋やペットボトルが転がっている。部屋は汚れている。誰かが家の中にいる形跡はない。

 きみはまた目を瞑る。そしてきみに声を掛けた誰かに、心の中で言い返す。

『わたしはわたしが生きていることを無駄だと感じた日、わたしの代わりに生きてくれる人を望んだわ。そしてわたしはわたしの代わりに生きてくれる人に出会った。わたしはかれのために生きている。それで十分じゃない。かれがわたしの代わりに生きていてくれる』

 自己満足でしかない。きみの考えている自己犠牲はきみを今の居場所に留まらせ続ける。

 赤子は、わーんわーーんと泣き続ける。まるで真夜中に湖の上に置き去りにされた揺りかごの中にいるかのように、赤子は助けを求めて泣き叫び続けている。

 きみの心は痛みを感じる。寂しさや悲しさではない、心の痛み。

 心臓がチクリとする。

 わたしの胸にはまだ心があるんだ。静かな部屋の中で、きみは赤子の泣き声と自分の心臓の音だけを聞いている。生きている。生命が生きようとしてる。命が紡(つむ)がれている。生命の音。

『あなたは生きている。あなたは生きることを求めている』と誰かが言う。

 きみに命の音は届いているだろうか?

 再びきみは目を開いた。でもさっきよりははっきりした大きな目をして辺りを見回していた。

  自分が知らない部屋の中にいるかのようだった。数週間前に連れてこられた部屋だからそれもそうかもしれないが、それだけではない。白昼夢から目覚めたように強い現実感を持っている。

「わたしがわたしとして生きるということは?」ときみはつぶやく。

 きみは何ヶ月ぶりかに、携帯電話をバッグの中から取り出した。そして一緒に入っていた充電器につないだ。少し待って、電源をONにした。画面がつくと、受信を始めた。そこには16件のメールと6件の留守番電話が入っている事を知らせていた。

 まずは受信メールを開いてみる。何ヶ月も放っておいて16件は少ないけれど、それでもきみに連絡しようとしていた人がいる。母親だけかと思ったけれど、地元の友人や、きみの事を少し心配してくれていた前の会社の人等、何人かがきみにメールを送ってきていた。そしてきみは留守番電話を聞いた。3件はすぐに切れて、2件は母親からだった。きみはもう1件の相手の名前が目に止まった。

「もしもし、ごめんなさい。どうしても伝えたい重要な事があります。また電話します」

 その人はそういい残して電話を切った。

 きみはその相手に電話をしようと思う。迷いはある。心臓の鼓動は高鳴る。

『それでいいんだよ』

 また誰かがきみにそう伝えた。通話をONにした。コールが鳴り始める。1コール、2コール、3コール、4コール、きみは受話器から耳を離した。そして通話をOFFにした。心苦しくてそれ以上繋ぐことができなかった。

「わたし、何やってるんだろう」と、つぶやいた。


 ※


 ギンギンと太陽の光は暑苦しく降り注ぐ。夏休みに入った高校生たちが駅に集まって、これから旅行にでも出ようかと大きな荷物を抱えている。久々に電車を利用してあちこちと飲み遊んでいたかれはいつもの我が町に帰ってきた。

 駅前を通り過ぎ、駐車場に置かれたBMWX5に乗り込むと、間髪おかずに走り出し、山のある方へと走り出した。気分は爽快だった。また新しい毎日を始められると自信に溢れていた。でもいつもよりも、もう少しだけ自分には足りないものがあるように感じられていた。

 30分ほど走り、山道に入り込む。さらに10分ほど上って、もうかれの車以外はやってこない場所まで来ると路肩に車を停めた。そして車から下りると、いつもの草木に覆われた道のあるような無いような場所へと入り込んでいった。

 焦ってはいない。調子は悪くない。かれは心の中で自分の精神状態を確かめる。結果は悪くないと出ている。この先、自分がいかに好調に過ごせるかを喜び、にやりと笑みをこぼした。

 でもかれの心持が上機嫌なのはそこまでだった。何かが違う。かれはいつもの枯れた木へと近づいた時に感づいた。いつもの枯れた木は伸びた枝を下へと垂らし、白い幹は若干黒ずんでいた。寒気が走る。嫌な予感がかれのこめかみに汗を垂らす。

 木は死んでいる。いや、死に近づきつつある。大切な魂を抜き取られたのだ。生きてゆくためにエネルギーとしていた源を盗み取られてしまった。


 ぼくは木々の茂みからかれの姿を眺めていた。枯れた木の前で立ちすくんでいた。まるで動こうとはしなかった。今、かれはぼくの姿に気づいていない。ただかれはすぐにぼくの存在に気づくだろう。

 かれはやがて辺りを見回し始めた。そして右往左往し出した。少しだけ、木々の茂みからかれに姿がわかる場所まで前に出た。

 かれはぼくの姿に気づいた。でもすぐに近づいてこようとはしなかった。だからぼくが少し高い位置から降りていって、かれの傍まで近寄っていった。そして声を掛けた。

「落胆した?失ってしまったんだ。木はもうあなたに力をもたらしてはくれない」

 かれは返す言葉を失っていた。いつものような元気は見られない。もうただの人となってしまったのだ。ぼくはじっとかれの顔を見つめていた。無表情に近く、怒りを感じているかのようでもあった。やがてかれは口を開いた。

「おまえはどうして俺の邪魔をする?」

「邪魔?邪魔をしたつもりはないよ。ただぼくは大切な人に大切な心を持っていてほしかったんだ。ただそれだけだ」

「あの女はどうした?おまえがここに連れてきたのか?」

 かれのその質問に、ぼくは首を横に振った。そして答えた。

「彼女はまだ眠っている。まだ彼女は彼女に戻っていない」

「なら、どうして、木は抜け殻になっている?」

 冷静さを失っているかれの姿は少しこっけいだ。ぼくはそんなかれに教えてあげる。

「彼女の力は今、ぼくが預かっている。彼女はぼくを認めてくれた。そして一緒にこの木から抜け出してくれることを承諾してくれた。ぼくはいつでも彼女に、ここにある生きる力を渡すことができる。でもぼくはあなたがここに来るのを待っていた。あなたと話がしたかった」

 フッとかれは鼻で笑った。

「俺をぶっ飛ばしたいわけか?散々ひどい目にあったからな。当然だろう?きみはこの木のエネルギーを上手に操ることができるまでになったわけか?そして得た力で俺をぶちのめしたいわけか」

「いや」と言って、ぼくは首を振った。「そんなつもりはない。ただぼくはあなたに自分の力で生きていってほしい。もう二度と人からエネルギーを吸い取り、この木に吸い込ませるようなまねはしないでほしい」

「バカだな。俺がいいと言っても、あの男はそうは思っていないだろう?おまえにこの場を教えた男は、またこの木にエネルギーを吹き込む。別の誰かのエネルギーを。それを俺に教えてくれるかはわからない。それでもそうなれば俺はまたここへ来てしまうだろう。おまえは気づいていないようだが、もともときみから力を抜き取ったのもあの男だ。俺はあいつに言われるままにしたまでだ」

 かれは緑の男について話している。ぼくもそれにはうすうす感づいていた。だからかれの言う話には驚かなかったけれど、真実が明らかになって何をすべきかも明らかになってきた。

「わかった。じゃあ、ぼくはその男に会いに行くよ。いや、彼女に会おうとすれば、あの男は自然とぼくの前に現れるだろうけれどね」

 ぼくはかれにそう伝え、かれの横を過ぎて、枯れた木の場所を去っていく。もうこの場に来ることはないだろう。そして二度とこんな事が起きることはないだろう。

 確かな自信がぼくの中に溢れる。ぼくはぼくらしく生きてゆけるだろう。


 かれの小さくなった体の脇を、ぼくは通り過ぎ行く。怯えているかのような小さな体だった。数週間前に会った時とはまるで別人のようだった。

「嘘だ!」とかれは叫んだ。

 その声に立ち止まる。かれの存在を背中に感じていた。何も答えず、かれの次の言葉を待った。

「自分の得た力を、女に返そうなんて、嘘に決まっている。おまえはどこに行くつもりなんだ。その力を持って、何をしようとしているんだ?」

 かれはそう言って、ぼくの背中を見つめていた。ぼくは振り返り、かれの冷や汗まみれになった顔を見つめた。

「何もしないよ。何をするつもりもない。ぼくは彼女にこの力を返すだけさ」と、ぼくはハッキリとそう言ってやった。かれのような愚か者でないことをハッキリ伝え、区別を付けたかった。

「おまえがあの女を欲しいと考えているのなら、おまえは今のままであればいい。そうすればあの女はおまえの魅力に取り付かれ、おまえは好き放題できるさ。それだけじゃない。今のままの力がおまえにあれば、おまえはいくらでも気に入った女を抱くことができる。抱く気がなくてもおまえの思うままに操れる。その価値が今のおまえにはある。それでもおまえは、今ある力を女に返すと言うのか?」

「もちろん」と、ぼくは即答した。

「いや、おまえはまだ自分の力に気づいていないだけだ。女にもて、やりたい事がやれる世界をまだ体験していないだけだ。早くその力を知ったほうがいい。今までの生き方がいかに愚かだったか気づくはずだ。もう誰も卑下する者はいない。金は得られるし、自由に遊べる。やりたい仕事もできるし、結婚したければ好きな女と結婚もできる。その力を手放すことなんてできないさ」

 かれは輝く目でぼくにそう伝えてくる。それはかれの得た事実の話なのだろう。それは理解できている。

「自分の力でできるなら、そうしたい。だけどぼくは彼女の力を借りている。これは返さないといけない。そしてぼくはただの凡人に戻る。あなたと同じだ」

 そう言って、欲望を振り切る。

「ふざけるな!」かれは言う。「俺はただの凡人だなんて、まっぴらごめんだ。俺はそんな生活をしたくはない。俺はどうしたって、どんなやり方だって、欲望を満たせる生き方を望む。それが人間だろう?」

「どうあったって、どう考えたって、人の力を吸い込んで生きることなんて、あっちゃいけないよ。ぼくはぼくのありのままで生きてゆく。それで世間がぼくの事を冷たくしようと、たとえ彼女に振られて嫌われようと、ぼくはぼくの姿で生きてゆくよ」

 それがぼくの答えだ。人は人を卑下して、優越に立った気分になって偉くなるものじゃない。ありのままの才能と力を持ってできる限りの力で成長してゆくんだ。

 ハハハッとかれは笑った。

「そう言っていられるのも今だけさ。おまえは今、女の力を得て、自分に自信を感じている。それが無くなったとき、本当の苦しみを味わうことになる。その時またおまえは人の力が欲しくなる。人間なんていうのはしょせん欲望を満たしたいために、その力が得たいために、がんばっているんだ。すぐに得られる術を知っているのなら、人は必ずその方法を使って力を得ようとするだろう」

 ぼくは首を横に振り続ける。かれの言う言葉は信じない。そんなぼくの態度をかれはののしる。

「きさまは嘘の塊りだ!この偽善者が!」

 ぼくは首を振る。

「いや、ぼくはそうじゃない。ただ、バカなだけさ」

 そう言ってやると、かれはもう何も言う気にならなくなっていた。そしてその場にへこりと腰を落とした。

 人一人の力に、そんなに違いがあるものだろうか?かれはもうそれほどまで力を失ってしまったのだろうか?どうしてかれは人を卑下することでしか、自分の優劣を保てなかったのだろう?

 今はかれに何を言っても無駄だろう。いずれかれはかれに戻り、また、きみをきみに戻す時に、ぼくはぼくに戻るだろう。

 ありのままの姿で、いつか上手に生きてゆく術をぼくらは得ることができる、とぼくは信じている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。