第二章 龍之介の受難 -2
「姉ちゃん、昏睡状態でどうなるかわからないんだ。最悪の場合、このまま目が覚めないかもしれない」
龍之介は司の言葉が現実のことのようには聞こえなかった。大きく目を見開いたまま司をじっと見る。信じられなかった。
司はそんな龍之介に現実をつきつけるように、両親が病院に付きっきりだという状況を説明した。そして自分は、龍之介に話を訊くためにわざわざ帰って来たという。そこで、龍になった龍之介の歓迎を受けたのだ。
「僕は望みを捨ててない。だから、龍ちゃんも祈ってよ。姉ちゃんが目を覚ますように」
司の言葉を聞いて、龍之介は涙目になって頷くと、急に自分が不甲斐無く思えてきた。
「目を覚まさなかったら、俺のせいだ」
龍之介は悔しそうにボソリと呟いた。最後に見た亜子はタンカーで救急車に運び込まれる死人のような姿だった。隣にいながら何もできなかった自分に、龍之介は苛立ちを覚えた。まして、龍になっているのだから、とっさに機転をきかせて神通力を使うことができたかもしれない。あの瞬間、自分は亜子と一緒に飛ばされて生垣に突っ込んだだけだった。拳を握りしめて俯く龍之介に、「龍ちゃんのせいじゃないよ。自分を責めないで」と、司は慰めると、さらに続けた。
「姉ちゃんも脇が甘かったんだ」
「亜子は悪くない。悪いのはひき逃げしたバイクと助けられなかった俺だ」
龍之介は顔を上げて司を睨んだ。が、司は意外なことを口にした。
「姉ちゃんは狙われてた。自分でもわかってたはずだ。もっと気を付けるべきだったんだよ」
「なんで、亜子が狙われるんだ」
司の言っている意味が分からず、龍之介はキョトンとしてしまった。司は、年下とは思えないような静かな海のような目で龍之介を見据えると語りかけた。
「龍ちゃんは姉ちゃんの恋人だし、それに、人間の姿に戻れる保証はない。だから、何もかも知る権利があるよね」
司の雰囲気に呑まれて頷きかけたが、龍之介はハタと気付いた。
「おい。今、人間の姿に戻れる保証はないって言ったか?」
「うん。言ったよ」
亜子のことで頭がいっぱいで、すっかり忘れていたが、自分の身の上に起こった現実を急に突きつけられて、龍之介はパニックになりそうになった。
「何とかならないのか? 司が戻してくれよ、俺を、人間に」
龍之介は司にすがりついた。司は慌てふためく龍之介とは裏腹に、冷静に説明した。
魔法をかけた者しか魔法を解くことはできない、と。そして、何よりも、司は人間以外の生き物と話ができるだけで、亜子のように魔法を使うことはできないのだ、と。
龍之介は肩を落として頭を垂れた。亜子が目を覚ましてくれなかったら、亜子を失うだけでなく、自分も人間に戻れない。親水公園で不安で一人泣いていたことが、現実味を帯びてきた。このまま龍として生きることになったら、と思うと龍之介はゾッとした。
龍の寿命は千五百年から二千年と言われている。亜子がいなくなって、司もいなくなって、自分の両親がいなくなって、自分の友人や知り合いや、今生きている人々がみんないなくなったあとでも、龍之介は一人で生きていかなければならないのだ。
龍之介はぶるっ、と体を震わせた。
司は龍之介の様子を見ると、そっと膝の上に乗せ、優しく抱きしめた。龍之介の目から涙が溢れ、気付けば、司の腕の中で号泣していた。外はどしゃぶりの雨になった。
結局、亜子が狙われている理由を話さないまま、司は龍之介をリビングに残して病院に戻った。龍之介はソファーで丸まると、リモコンでテレビのスイッチを入れた。ただじっとしていると、悪いことばかり考えてしまうからだ。
夜のニュースでは、葛飾区に集中した夕方からの三度にわたるゲリラ豪雨について気象予報士が解説していた。解説と言うよりは、誰も予想できませんでした、と驚きを隠せない表情だ。それもそのはず。全部、龍之介の涙が原因だったのだから。一度目は亜子が喉にある逆鱗に触れたとき、二度目は親水公園で独りぼっちで泣いたとき、三度目は司の腕の中で号泣したときだ。龍之介はため息をついてテレビを消した。
リビングは静まり返り、龍之介は丸めた体に顔を埋めると、公園で過ごした亜子との楽しい時間を思い出していた。亜子も龍之介を好きでいてくれたことがわかり、キスをして恋人同士になった。ずっと思い続けてきた亜子をやっと抱きしめることができたのに、龍になって浮かれてしまったために、亜子を失いかけている。しかも、自分ももう人間に戻れないかもしれない。
龍之介はブルブルと頭を振ってソファーから飛び上がると、グワァ~っと銅盤を鳴らしたような雄たけびを上げた。たちまち外では雷鳴が響き渡った。龍之介はどうすることもできない状況に苛立ち、リビングをグルグルと飛行しながら何度も何度も雄たけびを上げた。真上の空で狂ったような雷鳴が響き渡ると、バチンと電気が消え、辺りは停電してしまった。どこかに落雷したのかもしれない。
龍之介は暗闇の中で我に返ると、再びソファーの上で体を丸めた。そして、何も考えずに眠ることにした。
しばらくすると停電が復旧し明かりが戻った。同時に玄関で鍵の開く音がして白石家の人々が帰ってきた。
「龍ちゃん。停電、大丈夫だった?」
司がリビングに飛び込んできて龍之介に駈け寄る。龍之介は申し訳なさそうに司を見て、「ごめん。今の停電、俺のせいだ」と、小声で言った。司は、やっぱり、というように頷くと龍之介を抱え上げ、あとから入ってきた両親に龍之介を見せた。
「父さん、母さん。龍ちゃんだよ」
すぐさま母親の郁子が歩み寄り、司と目を合わせると頷きながら龍之介の背中を撫でた。
「ごめんね、龍之介くん。亜子のせいでこんなことになって」
「亜子は悪くありません。俺が浮かれすぎたのが悪いんです」
そう言うと、龍之介は思いついたように「おばさん、喉は撫でないでください」と慌てて言った。亜子に公園で逆鱗を撫でられた時のことを思い出したのだ。
「あら、今撫でようと思ったのに」
とぼけた声で残念がる。
郁子は魔女だ。問題なく龍之介と話しができた。龍之介は逆鱗の説明をすると、なるほど、と言って郁子は頷いた。
郁子の後ろから父親の朋生が興味津々で顔をのぞかせて龍之介を見る。さすが魔女の夫だ。大抵のことでは驚かない。
「これが本物の龍か」
感心しながら手を伸ばし、喉を触ろうとしたので、郁子にピシャリと手を叩かれた。
「龍之介くんの喉は撫でないでくださいね」
郁子の忠告に朋生は「どうして?」と言いながら眉を寄せた。朋生は普通の人間なので、龍之介と話しができない。郁子から説明を聞いて頷くと、自分だけ会話できないことに不満そうな色を浮かべながら、龍之介の背中を撫でた。
「ホントに龍之介くんなの?」
朋生が口をとがらせたので、龍之介は首を縦に振った。龍之介が反応したことに気を良くして、朋生はしばらく龍之介を白石家で預かると言い出した。その提案に、司も郁子も笑顔で頷いた。龍之介は白石家の人々が亜子の家族でよかったと心から思った。




