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第一章 はじまりの日 -6

 辺りはすっかり暗くなり、街灯の明かりが公園のブランコや向かいのベンチを幻想的に浮き上がらせた。生温かい夏の風が体に纏わりつきながら二人の間を抜けていく。

「ねえ、久しぶりに変化(へんげ)してみない? あの時みたいに」

 心の中を吐き出して軽くなった分、懐かしさが込み上げてきたのか、亜子が思いついたように声を弾ませた。龍之介は思いがけない提案に戸惑ったが、猫に変化した時の感動を思い出すと、笑顔で頷いた。

 何になりたいか亜子に聞かれ、龍之介は猫以外のものをリクエストした。すると亜子は、

「ねえ、龍になるのはどう?」

 と目を輝かせて提案した。

「架空の生き物でも変化できるのか?」

心配になって訊ねると、亜子は自信満々な態度で「もちろん」と、答えた。

「せっかく龍の研究してるんだから、一度は龍の生活を体験してみてもいいんじゃないの?」

 積極的な亜子に、確かにそうだと思った。龍として生活することで、新たな視点から龍を考察できるのではないかと思った。でもちょっと待て。龍として生活するとなると、龍のままで家に帰ることになる。そんなことをしたら、両親が驚くだろうし、亜子が魔女だということがバレてしまう。

「龍になるのはいいけど、生活するのはやめておくよ。猫の時みたいに一瞬だけで充分だよ」

「随分弱腰だね。せっかく龍になれるのに」

 亜子はつまらなそうな顔で口をとがらせた。そんな亜子に龍之介は、龍の姿で生活をするのは現実的に困難だと説明した。亜子はすんなり納得して、「じゃあ、ちょっとの間だけね」と言って、龍之介に向けて指をパチンと鳴らした。

 龍之介は一瞬で、公園を埋め尽くす巨大な龍に変化した。身動きが取れずに、困った顔で亜子を見ると、亜子は、しまった、という表情で、もう一度指を鳴らそうとした。すると龍之介は、思いついたように亜子に目配せをすると、目を閉じて顎の下を手で触った。その瞬間、龍之介は小型犬ほどの大きさまで小さくなった。

「すごい。魔法みたい。どうやったの?」

 亜子が驚いて龍之介に駈け寄った。

「神通力さ。これのおかげ」

 龍之介は顎の下に隠れているキレイな玉を亜子に見せた。如意(にょい)宝珠(ほうじゅ)といって、この玉のおかげで龍は神通力を使うことができ、体の大きさや形を自在に変えることができるのだ。この玉は持ち主の願いを叶えてくれると言われているので、手に入れようとする者たちが絶えないと言われている、と龍之介は説明した。

 感心する亜子の周りをぐるりと回ると、龍之介は長い体をうねらせながら、公園中を飛び回り、空気を裂くように上昇したり下降したりもした。嬉しくて楽しくて、感動で気持ちが昂っていた。亜子もはしゃぎながら、龍之介の飛ぶ姿を笑顔で見守っていた。

 ひとしきり飛んだあと、龍之介は亜子のところに戻ると、亜子の周りをぐるぐる回りながら、

「亜子。鏡みせて。自分の姿が見たいんだ」

 そう言うと、亜子の顔の前でピタリと止まった。亜子は笑顔で頷くと、ベンチに置きっぱなしにした鞄の中をあさってコンパクトを取り出した。亜子はベンチに座ってコンパクトを開くと自分の横に置いた。

龍之介はコンパクトの前に座ると、鏡をのぞき込んだ。そこには、すっかり龍に変化した自分の顔が映っていた。

龍は他の動物と九つの類似点がある。頭はラクダ、角は鹿、目は兎、耳は牛、首は蛇、腹は(しん)、鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎に似ていると言われている。ちなみに、蜃は蜃気楼を作る龍の仲間だと言われている。そして、顎には鬚が生え、頭には二つの山があった。この山を博山(はくさん)と言い、この山の中に(せき)(すい)という水があることで龍は空を飛べるのだ。この尺水も神通力の源だと言われている。

「すごい。文献の通りだ」

龍之介は鏡で確かめると、ため息まじりに呟いた。しばらく鏡の中の自分に見とれていると、思いついたように「亜子に頼みがあるんだ」と言い、さらに、

「背中の鱗の数を数えてほしいんだ。八十一枚あるはずだから」

 と言って亜子の膝の上にするりと乗った。亜子は二つ返事で引き受けると、人差し指でつつきながら一枚ずつ鱗を数えた。

「……七十九、八十、八十一。八十一枚だよ、龍之介」

「すごい。やっぱり文献の通りだ」

 亜子の膝の上で龍之介は身体をうねらせながら喜んだ。そんな龍之介の背中をなでながら、亜子は「龍之介、かわいい」と言って、もう片方の手で龍之介の喉を撫でた。

 その瞬間、龍之介の体に激痛が走り、銅盤を鳴らしたような声で叫びながら飛び上がって涙を流すと、土の上でのたうち回った。同時に、今まで晴れて星が出ていた夜空では雷鳴が響き渡り、土砂降りの雨になった。龍之介がのたうち回っている間、雷と雨は止まず、亜子はその様子をただ茫然と見ていることしかできなかった。

 しばらくして龍之介が落ち着くと、呼応するように雷と雨も落ち着いてきた。グッタリしながら横たわる龍之介に近寄って膝まづくと、亜子は心配そうに尋ねた。

「大丈夫? 何が起こったの?」

「喉は、ダメなんだ」

 ずぶ濡れの亜子を見ながら、龍之介は喉を見せた。鱗が逆向きに生えていた。これを「逆鱗(げきりん)」と言い、龍の急所で、ここを触られると、激痛のあまり龍が怒り狂ってのたうち回ると言われている。『逆鱗に触れる』ということわざは、この龍の喉にある逆鱗が語源になっている。ちなみに、この言葉は、目上の人を激しく怒らせてしまった際にのみ使う。龍は皇帝の象徴とされていたので、そこから転じて、目上の人間にのみ使う言葉とされている。

 事情を聞いた亜子は、涙目になって謝ったが、龍之介は「文献の通りだ」と言って笑い飛ばした。


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