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第五章 龍よ、さらば -5

「龍之介、散歩しようよ」

「無理だよ。言ったろ? 体中が痛いって」

 そんな龍之介を無視して車椅子を借りてくると、亜子は龍之介を補助しながら車椅子に乗せた。全身が痛くて指を動かすのにも気を遣うくらいだったのだが、亜子の強引さに龍之介は屈した。

 病院の庭に出ると、亜子はゆっくりと車椅子を押しながら話し始めた。

「訊きたいでしょ? 事故のあと、どうなったか」

 龍之介は「もちろん」と言って頷くと、首の痛さに顔を歪めた。どこもかしこもゆっくり動かさないと痛みに襲われる。

 亜子は龍之介に投げ飛ばされたとき、自転車屋のシャッターにぶつかって転げ落ち、コンクリートの地面で頭を打った。そして一瞬、酷い頭痛に襲われたという。それが治まった途端、全ての記憶を取り戻した亜子は、人だかりへ駈け寄り、力なく横たわる龍之介が目を閉じる前に、指を鳴らして魔法を解いたのだ。そして同時に、亜子は周りの人々に、龍之介が始めから人間だったという記憶を魔法で植え付けた。

「俺はもう、龍に戻ることはないんだ。正真正銘、人間に戻ったんだ」

 龍之介は嬉しくて涙を流しながらも笑いが止まらなかった。これで、気の遠くなるような孤独からも解放された。今まで通りの生活ができる。龍之介は、自分の人生に今まで感じたことのない感謝の気持ちが湧いてきた。

「ホントにごめんね。わたしのせいで龍之介の人生を狂わせた」

 亜子は沈んだ声で車椅子を押した。「そんなことない」と言いながら振り向くと、龍之介は「痛っ」と言って顔を前に戻した。つい、いつも通り動いてしまう。

 芝生が植えられている木陰の下のベンチを見つけると、亜子は車椅子をベンチの横に着け、自分はベンチの端に座って龍之介と肩を並べた。

 龍之介の両親には、龍之介が行方不明でなく、半年間休学して一人旅に出たあと、留年して大学四年生として学生生活を送っているという記憶を魔法で植え付けたらしい。

「そうか。俺、また学校に通えるんだな。なんか、すごいな。魔法って」

 龍之介は改めて魔法の威力に感心した。

「そうだよ。だから、その力を使ってなんでも自分たちの思い通りにしようとする悪者もいる」

 影の正義のことだと思った。亜子が真剣な表情になったのを見て、龍之介は心配になった。

「亜子は、自分が事故に遭って記憶を失くしてたこの一年間のことは覚えてる?」

「覚えてるよ。ハッキリと。記憶を失くす前のことも、失くしてた一年間のことも全部覚えてる」

 それは、これまでの人生の中で、記憶を失くしていた一年間だけ、違う自分として生活していたような感覚らしい。亜子の人生という帯の上で、記憶を失くす前を地の色とするならば、記憶を失くしていた箇所だけ、違う色彩や模様が織り込まれ、今は元の地の色を生きているようなものなのだという。

 亜子は家族から全てを打ち明けられていた。亜子をバイクで撥ねたのは、影の正義の一味だということ、龍之介と司が裏で活躍したということ、そして、龍之介が家族と同じように亜子をいつも見守っていたこと。

 亜子は反省していた。自分の無責任な正義感のせいで、龍之介の人生を狂わせ、家族に心配をかけ、龍之介の両親を悲しませてしまったと思っている。

「わたしね、もう二度と魔法は使わないことにしたの。集会にも参加しない」

 その表情はなんだか晴れ晴れしているように見えた。龍之介は「そうか」と言って亜子の手を握ろうと手を差し出した途端、腕に痛みが走り、「痛っ」と言って顔を歪めた。亜子はそんな龍之介を見て笑った。そして、持ってきた小さな箱を徐に開けると、「ジャ~ン」と言って龍之介に中身を見せた。手作りクッキーだった。

「焼いてきたんだ。食べられるよね? 内臓は元気なんだよね?」

 亜子は龍之介の返事を待たずに一枚取り出すと、「あ~ん」と言って、龍之介の口元にクッキーを持っていった。

「ちょっと待って」

 龍之介は躊躇して顎を引いた。マンドラゴラが練り込まれているのではないかと一瞬疑った。だとしたら、食べたくなかった。亜子は龍之介の気持ちを察し、優しく言った。

「大丈夫。何も入ってないよ」

 龍之介は亜子の目を見ると、黙って口を開けた。サクッと一口食べる。美味しかった。美味しくて、一箱ぺろりと平らげてしまった。きっと、亜子が食べさせてくれたから、余計に美味しく感じたのかもしれない。亜子はクッキーを完食してもらえて嬉しそうだった。

「龍之介、退院したら何がしたい?」

 亜子が楽しそうに言う。「そうだなあ」と言いながら、龍之介は宙を見る。

 涼しい木陰に、湿気を含んだ熱風が吹き込んで、夏の暑さを思い出させた。亜子は、飲み物を買ってくると言ってベンチを立ち上がると、院内の売店に向かって歩いて行った。龍之介は、その後ろ姿を見ながら思った。

 ――亜子とセックスしたい。

 そんなこと言ったら怒られるに違いない。龍之介は亜子の怒った顔を想像し、吹き出した。そして、もし亜子とセックスするとなれば、お互い自宅住まいなので、ラブホテルに行かなくてはいけない、などと考えながら一人でニヤついていると、龍之介は急に重大なことを思い出した。

 亜子が小林にプロポーズされていたことだ。


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