第二章 龍之介の受難 -4
亜子への想いに浸っている龍之介に、司が目の覚めるような話題を話し始めた。
「姉ちゃんを狙ったヤツって、同じ魔女だと思うんだ」
「どうして同じ魔女に狙われるんだ?」
龍之介は兎に似た龍の目をぱちくりさせた。
司は上半身を起こすと、龍之介を真っ直ぐ見て、深刻な話をする雰囲気を醸し出した。
「僕は八歳の頃から人間以外の生き物と話しができるようになった。同じ頃、姉ちゃんも魔女の能力が備わっていることがわかった。その頃から、母さんに連れられて、姉ちゃんと一緒に魔女の集会に参加してきた」
三カ月に一度のペースで開かれる魔女の集会では、最新の魔法の講習会があったり、人助けの事例を発表したり、最年長の魔女・大御所様の話を聞いたりと、様々な催しが行われていた。
大人になるにつれて、魔女の集団に派閥があることに亜子も司も気づいてきた。母の郁子はどの派閥にも属していなかったので、それまで二人は自由な気持ちで集会に参加していた。が、派閥があれば、当然、派閥間の対立が生じる。中でも「影の正義」といって裏で権力者を操り、世の中を牛耳ろうとしている者たちが、力を持っているようだった。当然、それに対抗する正義感の強い者たちがあらわれる。亜子は、母と司の知らないところで、いつの間にか影の正義に対抗する「光の正義」に属していた。
亜子はまだ組織では若手だから、先輩魔女たちの行動をサポートするくらいしかしていないだろうと想像できた。魔女たちの噂で、影の正義が見せしめに、光の正義の下っ端たちを狙っていると、司は聞いたことがあるという。
「きっと、姉ちゃんは下っ端だったから狙われたんだ。自分でも勘付いてたと思う」
司は悔しそうな顔で拳を握った。
「でも、まだ確かじゃないんだろ?」
龍之介がなだめるように言うと、
「だったら、姉ちゃんを撥ねたヤツは誰なの。他に姉ちゃんを恨んでるヤツがいたって言うの。教えてよ」
めずらしく取り乱した司に歩み寄ると、龍之介は司の拳を虎に似た手のひらで包み込んだ。
「痛っ」
司が顔を歪める。見ると、鷹に似た龍の爪が司の拳にほんの少し食い込んでいた。「ごめん」と言って龍之介は慌てて手を離した。司と目が合うと、同時に吹き出し、声を上げて笑った。龍之介は再び司の足元に戻って体を丸めた。
「龍ちゃん。明日は僕より早く起きないでね」
司が横になりながら、ボソリと言う。
「どうして?」
不思議に思って問いかけると、司は赤くなりながらも微笑んで答えた。
「龍ちゃんに、朝勃ちしてるところを見られたくないから」
龍之介は目を丸くして司を見た。
「何とか言ってくれないと恥ずかしいんだけど」
司が声を荒げる。
「あ、悪りぃ。司がそんな冗談言うとは意外だったから」
真面目に答える龍之介を睨むと、司は女子のようにぷっと頬を膨らませ布団をかぶり、おやすみ、と言って寝てしまった。龍之介は丸めた体に顔を埋めると、「朝勃ちかぁ」と呟き、龍の雄はどうなのだろうか、と考えた。
龍は交尾をするとき小さな蛇になって絡み合うといわれている。ということは、蛇と同じような場所に大事なものがあるのだろうか。龍之介は下腹部を探るとそれらしきものがあったが、半分腹の中に引っ込んでいて、思いのほか貧相だったのでため息をついて頭を垂れた。そしてそのまま一気に深い眠りに落ちていった。
翌朝、目覚めると司の姿はなく、机に置手紙があり、亜子のところへ行く旨が書いてあった。司と両親は朝一番で亜子の付き添いに行ったのだ。
龍之介は空腹を感じた。それもそのはずだ。昨夜は文佳の栽培したミニトマト二個しかお腹にいれていなかったのだから。昨日、司が持ち帰ってきた自分の鞄からスマホを取り出すと、部屋から出てダイニングまでゆらゆらと飛んで行った。
龍之介用の朝食として鶏むね肉のサラダが用意してあった。龍之介は皿からラップを外すと、フォークを持って食べ始めた。そのまま皿に顔を突っ込んで食べることはしなかった。本当に人間ではなくなってしまう気がしたからだ。
サラダを平らげると満腹になり、満足した龍之介は、後片付けくらいしなくては、と思い皿とフォークを洗うことにした。スポンジは上手く握れなかったので、爪で刺して円を描くように皿を撫でて洗った。フォークは片手で固定して擦って洗った。水ですすいでカゴに干すと、龍之介は一仕事終わったかのように、ふぅ、と一息吐いた。
リビングに行き、ソファーに横になると、スマホの画面を爪で操作しながらラインを確認した。昨日、母に送った嘘の内容に対して、「了解しました」と、返信があっただけだった。
龍之介は暇を持て余しテレビを点けると、ワイドショー番組で政治家のスキャンダルが報道されていた。どのチャンネルをまわしても同じ話題で持ちきりだったので、龍之介はため息をついてリモコンを置き、ぼうっとテレビを見た。見るというか、ただ視界に入っているだけの状態で画面がチカチカ変わるのが目に映っているだけだった。
気づけば、頭の中は亜子のことを考えていた。亜子はいきなりバイクに撥ねられて驚いたに違いない。すごいスピードでバイクがぶつかってきて痛かっただろうに。まだ意識は戻らないのだろうか。亜子の意識は暗闇で彷徨っているのだろうか。怖い夢でも見ているのではないだろうか。できることなら代わってあげたい。せめてそばにいて手を握ってあげたい。龍之介は待つことしかできない自分が情けなくて瞳を潤ませた。
その時、司が帰宅してリビングに入るや、「龍ちゃん、泣かないで」と言い放った。龍之介が潤んだ目で司を見ると、
「龍ちゃんが泣くと雨が降るでしょ。湿気が多くてたまらないよ。僕、くせっ毛だから髪が広がっちゃうんだ」
批難がましく言われ、龍之介は瞼を閉じて涙を押えた。
亜子はまだ意識が戻らないらしい。大きな外傷がないのがせめてもの救いだ。
「そうそう。チーフに電話しておいたよ。僕と龍ちゃんはしばらく休むこと」
沈む龍之介の気分を変えるように、司はバイト先の話をした。龍之介のことは、難病にかかりもう働けるかわからない、と見え透いた嘘をついたらしい。
「俺、クビだな。どうせ龍のままじゃバイト行けないから仕方ないけど」
龍之介は苦笑いしながらも、チーフの怒った顔が頭に浮かんだ。スーパーは夕方が一番忙しい。午後のアルバイトが一気に二人も休むことになり、惣菜づくりはきっとてんてこ舞いになるだろう。二年も通ったバイト先だし、寿司担当の龍之介は海苔巻き作りが特技になったほどだ。時々、自分の作った寿司を、得意気な気分で買って帰り、夕飯で両親に食べさせたりもした。こんな辞め方は後ろ髪を引かれる思いだが、龍之介の身に起こったことを考えれば大したことではなかった。「バイト代、半分になっちゃうかもね」と言いながら微笑む司が羨ましい。バイト代などあっても、人間に戻れなければ使い道がない。ただの紙切れだ。龍之介は急に散財したい気分になったが、しかし今のままでは叶わないことが歯がゆく思えた。




