山中の陣地
灰色の扉が、内側へ開いた。
隙間から覗いた兵の顔が、湊たちを見て固まる。鉄兜の奥で目が見開かれ、その直後、扉の向こうから弦の音がした。
アルメイダの盾が上がる。
矢が鉄板へ当たり、乾いた音を立てて跳ねた。
「敵襲!」
アルメイダの眉が吊り上がる。
「人んちの山の下に穴掘った奴らが、何言ってやがる」
吐き捨てるように言った直後、灰色の扉が大きく開いた。
灰色の鎧を着た兵が三人。胸には、冠に囲まれた剣の印。
湊の記憶にあるものと同じだった。
先頭の槍が突き出される。
アルメイダは盾の縁で穂先を逸らし、そのまま一歩踏み込んだ。体ごと押された兵が扉の枠へ背中を打ちつけ、息を詰まらせる。
その脇をリーネが抜けた。
二人目の剣を弾き、返す刃で手首の鎧を打つ。剣が落ちたところへ鞘が顎へ入り、男の膝が崩れた。
三人目は壁際へ飛びついた。
赤い縄。
湊は足元から影を走らせた。
足首へ絡みついた影に引かれ、兵の体が前へ倒れる。それでも指先は縄へ届いた。
引く。
扉の奥で鐘が鳴った。
一度。
二度。
甲高い音が、山の中へ走っていく。
アルメイダの盾の縁が男の肩口へ入り、そのまま床へ押さえつけた。
「遅かったな」
湊は扉の向こうへ《マッピング》を広げた。
真っ直ぐな通路。左右に並ぶ部屋。その先に広い空間が一つ。さらに奥には、もう一枚の厚い扉。
光点が次々に動き始める。
「奥から来ます。十以上」
アルメイダは倒れた槍を蹴り離した。
「入口を取る」
短く告げ、灰色の扉を越えた。
*
湊は腕に抱いていたシロを壁際へ下ろした。
外套を畳み、その上へ寝かせる。銀色の小さな体には、まだ雷を使ったあとの熱が残っていた。
――みなと、いく?
「すぐそこだ」
アカが隣へ降りた。
――アカ、まもる。
「頼む」
赤い翼がシロの前へ広がる。
炎は小さい。けれど目だけは、開いた扉の奥を睨んでいた。
クロは湊の肩へ残った。
尾が首筋へ一度触れる。
「背後も忘れるな」
「ああ」
湊は無銘を握り直し、アルメイダとリーネを追った。
*
扉の内側は、監視所だった。
石壁の上から鉄板を張り、弩を置く台と見張り椅子、警報用の縄が並んでいる。壁には交代時刻を書いた板まで掛かっていた。
椅子の座面は擦れ、床には幾重もの靴跡が残っている。
坑道技師の一人が警報縄の根元へ駆け寄り、金具を槌で外した。鳴り続けていた鐘が途切れる。
もう一人は入口の扉を調べ、外側から固定できる留め具を見つけた。
アルメイダは守備兵へ顎を向ける。
「封鎖門まで戻れ。増援を急がせろ」
倒れた兵たちの武器が外され、そのまま三人とも扉の外へ引いていかれる。
鉄扉が閉じた。
残ったのは、アルメイダ、リーネ、湊と三匹。
前方から靴音が近づいてくる。
*
四人の兵が角を曲がった。
先頭に大盾。その後ろから槍が二本、最後尾には弩。狭い通路いっぱいに隊列を組んで迫る。
「侵入者を止めろ!」
アルメイダが正面へ出た。
二枚の盾がぶつかる。
金属音が耳を打ち、アルメイダの足が半歩だけ滑った。だが腰を落とした次の瞬間には、大盾ごと押し返している。
敵の隊列が詰まった。
リーネが壁を蹴る。
銀髪がアルメイダの肩を越え、頭上を抜けた。着地までに剣が二度走り、弩の弦と槍の穂先がほとんど同時に飛ぶ。
床へ降りた勢いのまま、盾兵の膝裏へ鞘が入った。
先頭が崩れ、後ろの二人がぶつかる。
湊は最後尾を見る。
兵の手が腰の笛へ回った。
影が手首へ絡む。
動きが止まった一瞬に、湊の無銘が笛だけを弾き飛ばす。返ってきた拳を潜り、柄を脇腹へ打ち込んだ。
男が息を詰まらせたところへ、アルメイダの盾が横から入る。
灰色の鎧ごと壁へ押しつけられ、体から力が抜けた。
同じ頃には、リーネの足元でも残った兵が崩れていた。
通路が静まる。
*
右手の部屋で光点が動いた。
湊が振り向くより早く、シロの声が届く。
――みぎ。
続いてアカの鳴き声。
「ピィィッ!」
扉が開き、剣を持った兵が湊の背中へ飛び出してくる。
アカの火球が先だった。
狙ったのは男ではなく、足元。
赤い炎が石床へ走り、兵が思わず踏み止まる。熱を避けて重心が浮いたところへ、リーネの鞘が顎へ入った。
男はその場へ崩れた。
アカが得意そうに翼を広げる。
――アカ、できた!
「上手い」
炎はもう消えている。
シロも外套の上から顔を上げた。
――アカ、じょうず。
アカの胸がさらに膨らんだ。
*
奥の足音が遠ざかった。
アルメイダは追わず、倒れた兵の武器を外して壁際へ寄せた。帯を抜き、手首をまとめて縛る。
それから最初の部屋を開けた。
中には二段の寝台が並んでいた。
十を超える。
毛布は乱れ、枕元には水筒や衣服が残っている。壁には同じ形の槍と盾、揃いの灰色の外套が掛かっていた。
向かいは倉庫だった。
乾燥肉、硬いパン、水樽、油、矢、交換用の靴。木箱にはどれもグランデルの印が焼きつけられている。
リーネが一つを開けた。
黒い金属輪が、何本も重なっていた。
魔獣の首へ食い込んでいたものと同じ形。ただし、内側の針も魔石もまだ付いていない。
リーネの指が箱の縁で止まる。
「……ここで作ってたんだ」
アルメイダは輪を一本取り上げ、重さを確かめるように掌へ載せた。
返事はせず、元の場所へ戻した。
*
壁には旧坑道の地図が掛けられていた。
アルメイダが外す。
ドワーフ王国が残した古い線の上へ、赤い墨で新しい道が書き足されている。水没区画や換気縦坑、封鎖門まで記され、中央大坑都へ近づく道には太い斜線が引かれていた。
アルメイダの親指が、地図の端へ食い込む。
「山の中を、ずいぶん歩き回ったらしいな」
リーネは宿舎の交代表を一枚抜いた。
日付と人名。
夜番。
補給。
巡回区画。
何日分も同じ手で書き足されている。
「泊まり込んでるね」
「ああ」
アルメイダは地図を丸めた。
湊は倉庫を見た。
食料も、水も、予備の武器もある。擦れた寝台には、人が長く使った跡が残っていた。
グランデル兵は、山の中で暮らしていた。
いつから。
何人が。
何のために。
疑問だけが、一気に増えた。
*
奥で鉄の音がした。
《マッピング》の中で、敵の光点がさらに先の広い空間へ集まっていく。その手前では、厚い扉が左右から動いていた。
「閉じます」
アルメイダが盾を持ち上げる。
だが走らない。
重い鉄板が噛み合い、通路の先が塞がれた。
直後、壁へ埋め込まれた細い管から雑音が流れる。
女の声だった。
『第一外縁区画を切り離します。第二隔壁の封鎖を確認。残存員は、その場で待機してください』
平板な声が途切れた。
壁際で縛られていた若い兵が顔を上げる。
閉ざされた隔壁を見たまま、唇が動いた。
「……切り離す?」
腹部の鎧が割れ、血が滲んでいる。
湊はその前へ膝をついた。
鎧を外し、傷へポーションをかける。淡い光の中で出血が止まっていく間も、男の視線は扉から離れなかった。
リーネも同じ先を見た。
「迎えは来なさそうだね」
若い兵の顔が強張る。
アルメイダは何も言わず立ち上がった。
*
旧坑道側から鉄管の音が届いた。
増援の合図だった。
アルメイダは宿舎と倉庫を見回し、最後に第二隔壁へ目を向ける。
「ここを足場にする。捕虜を外へ出したら、入口から順に固めるぞ」
盾の下端が石床へ落ちる。
低い音がした。
奥から、別の音が返ってきた。
槌に似ている。
ただ、中央大坑都の工房のような揺らぎがない。
同じ強さ。
同じ間隔。
延々と続いている。
閉ざされた鉄扉の向こうで。
機械のような槌音が、山の奥を叩いていた。




