赤い首輪
暗闇の奥で、赤い光が増えた。
旧軌道の正面に三つ。右下の坑道に二つ。《マッピング》へ浮かぶ光点が、湊たちを挟むように近づいてくる。
「後ろからも二つ来ます」
アルメイダは軌道の中央へ盾を落とした。
「前は儂が止める」
リーネが剣を抜き、残った守備兵二人は坑道技師の前へ回る。技師たちは後方の細い道へ鉄杭を打ち込み、鎖を渡した。
槌音に重なって、爪が石を掻く音が近づいてくる。
シロの銀毛が逆立った。
――くる。
「ああ」
湊は無銘を抜いた。
アカも翼を広げる。炎が天井を赤く染め、頬へ熱が届いた。
「照らすだけでいい」
――わかった。
火勢が少し落ちる。
その直後、前方の暗闇が弾けた。
*
最初の蜥蜴が、ほとんど跳ぶように突っ込んできた。
昨日の個体と同じだ。肩から黒い突起が伸び、首へ太い金属輪が食い込んでいる。その後ろにはもう一頭。さらに低い姿勢で、岩鼠に似た魔獣が軌道脇を走っていた。
三頭の首輪が同時に赤く明滅する。
蜥蜴の突進をアルメイダが受けた。
鉄と肉がぶつかる音が坑道を揺らす。盾は正面から受け止めず、そのまま斜めへ傾いた。滑った爪と一緒に巨体の向きがずれる。
そこへリーネが入った。
首輪の下へ刃を滑らせ、黒い管と皮膚へ刺さった針をまとめて断つ。血が散ったが、蜥蜴は止まらない。首を振って噛みつこうとしたところへ剣が返り、喉を深く裂いた。
倒れる巨体の脇から、二頭目が飛び込んでくる。
アルメイダの片手槌が下から跳ね上がった。
顎が弾ける。
それでも前脚が振り下ろされる前に、今度は上から槌が落ちた。頭が石床へ叩きつけられ、そのまま動かなくなる。
その横を、岩鼠が抜けた。
*
低い巨体が壁を蹴り、アルメイダの盾を飛び越える。
狙いは湊だった。
金属の刃へ置き換えられた牙が、アカの赤い光を反射する。
湊は足元から影を伸ばし、前脚へ絡ませた。
勢いが一瞬だけ崩れる。
岩鼠はそのまま影を引きずってきた。腕へ重さが食い込み、石床へ深い溝が走る。
湊は影を解いて横へ退きざま、無銘を振った。
前脚が裂ける。
傾いた体へ守備兵の槍が突き刺さった。脇腹を貫かれても岩鼠は暴れ、尾で兵を壁まで弾き飛ばす。
リーネが間へ入った。
銀の刃が胸を貫く。
首輪の赤い光が二度明滅し、消えた。
「後ろ!」
鎖が激しく鳴った。
*
二頭の魔獣が、張られた柵へ体当たりしていた。
鉄杭が石床から少しずつ浮いている。岩鼠が金属の牙を鎖へ食い込ませ、一本を噛み切った。
もう一頭は狼に似ていた。
細長い四肢。背中へ埋め込まれた金属板。不自然に太い前脚の関節。赤い首輪が明滅するたび、筋肉が硬く盛り上がる。
「下がれ!」
アルメイダの声と同時に柵が倒れた。
岩鼠が飛び込む。
シロが湊の前へ出て前足を振ると、狭い坑道へ風が巻いた。浮いた岩鼠の下へアルメイダの盾が滑り込み、そのまま跳ね上げる。
巨体が宙へ浮いた。
リーネの剣が腹を深く裂く。
石床へ落ちた岩鼠を飛び越え、最後の黒い獣が駆けた。
速い。
シロが放った風の刃が肩へ当たり、埋め込まれた金属板から火花が散った。傷は浅い。黒い獣は速度を落とさず、長い爪をシロへ振り下ろした。
シロが身を捻る。
わずかに遅れた。
銀毛が裂け、赤い血が散った。
――いたい!
「シロ!」
湊は黒い獣との間へ無銘を振り抜いた。
獣が跳び退く。
胸元へ浅い傷が入っただけだった。
赤い首輪は消えない。
痛みなど忘れたように、すぐ姿勢を低くする。
その時。
カチ、と小さな音がした。
*
首輪が赤く光った。
ほんの少し遅れて、左の岩壁の奥から同じ音が返る。
クロの耳が動いた。
「壁の中だ」
湊は《マッピング》を左へ寄せた。
岩の向こうに、小さな空洞がある。人が入れるほどではない。箱ほどの何かが埋まり、そこから細いものが軌道の下へ伸びていた。
「リーネ、左」
返事より先に剣が走る。
岩壁へ四角い切れ目が入り、二撃目で石板が内側へ落ちた。
奥に黒い箱があった。
赤い魔石。細い金属線。小さな歯車。
歯車が回るたび、箱の魔石と黒い獣の首輪が同じ間隔で明滅している。
獣が再び石床を蹴った。
アルメイダが盾で進路を塞ぐ。衝突した爪が鉄板を削り、分厚い腕が僅かに沈んだ。
「湊!」
時間はない。
シロの肩から血が流れている。それでも青い目は湊を見ていた。
「あの箱だけだ」
――かみなり?
「ああ。短く」
シロが前足を踏ん張った。
銀毛の間へ青白い光が集まり、細かな音が弾け始める。
次の瞬間、雷が走った。
黒い箱だけを貫く。
赤い魔石が白く弾け、歯車が狂ったように回転した。焦げた臭いと鈍い破裂音が広がり、箱の奥から煙が噴き出す。
黒い獣の首輪から、赤い光が消えた。
体から力が抜ける。
アルメイダの盾へ寄りかかったまま、巨体が石床へ崩れ落ちた。
*
静けさが戻った。
残るのは、荒い呼吸と焦げた金属の臭いだけだった。
シロの前脚が震える。
大きな体が傾き、湊はすぐ首へ腕を回した。
――つかれた。
「もう使わなくていい」
――うん。
シロはその場へ伏せた。
肩の傷は深くない。それでも銀毛の間から血が滲んでいる。
湊がマジックバッグからポーションを出すと、リーネが何も言わず毛を分けた。傷へ少量をかける。
淡い光が広がり、裂けた皮膚が閉じていく。
血が止まった。
――いたくない。
「よかった」
リーネの手は、もう少しだけシロの肩に残った。
「今日は休んでな」
シロが小さく鼻を鳴らす。
体が縮み、子犬ほどの姿になった。湊が抱き上げると、頭を胸へ預けてくる。
傷は塞がった。
けれど、雷を使った疲れまでは戻っていない。
*
坑道技師と守備兵が、倒れた魔獣を調べた。
前方から来た三頭。後ろから来た岩鼠。どれも息はない。
最後の黒い獣だけが、浅く呼吸を続けていた。
治療師は最初の蜥蜴と一緒に戻っている。
坑道技師の一人が首輪の留め具へ工具を差し込んだ。赤い光は消えている。それでも、皮膚へ刺さった針を避けながら慎重に外していく。
金属輪が開いた。
獣の喉から、掠れた息が漏れる。
輪の下には、古い傷が何重にも残っていた。
昨日の蜥蜴と同じだった。
アルメイダがそれを見下ろす。
「担架を作れ」
技師たちが支柱と縄を組み始めた。
生き残った獣は運び出す。死んだ魔獣からは首輪と埋め込まれた部品だけを外し、遺骸には印を残した。
一度に全部は運べない。
鉄管が鳴らされ、封鎖門側へ増援を求める音が送られていった。
*
待つ間、アルメイダは焼けた制御箱の前へ膝をついた。
黒い箱から伸びた金属線は、軌道の下へ潜り、そのまま前方へ続いている。
岩壁には、箱の形に合わせて削った跡が残っている。
少なくとも、最初からそこに収まっていたものには見えなかった。
リーネは外した首輪を剣先で持ち上げる。
裏側には細い溝。魔石。肉へ刺さる針。
「これを、何度もつけたんだね」
声が低かった。
アルメイダは返さず、片手槌で軌道脇の石を一つ剥がした。
下から、同じ金属線が現れる。
暗い坑道の奥へ続いていた。
*
増援へ生き残った魔獣と負傷した守備兵を預けた。
シロはまだ湊の腕の中にいる。眠ってはいないが、時折耳を動かすだけだった。
アカが心配そうに嘴を寄せる。
――シロ、だいじょうぶ?
――つかれただけ。
湊は二匹の頭を順に撫でた。
アルメイダは前方へ続く金属線を見ている。
「もう少しだけ見る。そこで切り上げるぞ」
クロが湊の肩から先を見た。
「それならよい」
湊も頷いた。
*
先へ進むにつれ、旧坑道の姿が変わっていった。
腐った支柱が減る。
石床の凹凸は削られ、壁には同じ間隔で鉄具が打たれていた。古い軌道も途中から新しい鉄板で補強されている。
誰かが、この道を使い続けている。
曲がり角を越えると、空気が乾いた。
油の匂いが濃くなる。
その先に扉があった。
旧坑道のものではない。
灰色の鉄板。同じ大きさの鋲。隙間なく組まれた枠。上部には小さな覗き穴が三つ並んでいる。
アルメイダが表面へ触れた。
指先へ薄い油がつく。
リーネが灯りを近づけた。
扉の中央。
煤の下から、刻印が浮かび上がる。
細い冠に囲まれた剣。
湊の喉が詰まった。
見たことがある。
召喚された城で。
兵たちの胸や盾に刻まれていた。
「……グランデル」
声が漏れた。
アルメイダが湊を見る。
その時、扉の向こうで靴音が止まった。
金属の留め金が外れる。
一つ。
続いて、もう一つ。
アルメイダが盾を上げた。
リーネは剣を低く構える。
アカの炎が赤い翼を縁取った。
湊はシロを胸へ抱いたまま、無銘へ手をかける。
灰色の扉が、内側へ開き始めた。




