閉ざされた荷路
翌朝、中央大坑都の槌音がまだ疎らなうちに、湊たちは執務区の下にある停車場へ向かった。
アルメイダは昨日と同じ革の作業着に、巨大な盾と片手槌。王冠はない。同行する守備兵も四人だけだった。
シロは子犬ほどの姿で湊の足元を歩き、アカは大きな翼を窮屈そうに畳んでいる。クロは肩の上で丸くなり、目を閉じたまま尾を湊の襟へ巻きつけていた。
「眠いなら部屋に残っててもよかったんだぞ」
「地下へ行くなら一緒にいる」
返事は短い。
湊はそれ以上言わず、黒い背を一度だけ撫でた。
*
深層採掘区へ下りる車両は、昨日の護送車より小さかった。
鉄板で囲まれた箱型の荷台が、急な斜面へ伸びる軌道に載っている。後部には腕より太い鎖が繋がれ、壁の奥へ消えていた。
アルメイダが先に乗り込み、湊たちも続く。
鐘が二度鳴った。
鎖が軋み、車両がゆっくり動き始める。中央大坑都の灯りが、頭上へ遠ざかっていった。
深くなるほど空気は湿り、石の隙間から染み出した水が線路脇の溝を流れている。魔石灯の数も減り、橙色の明かりが過ぎるたび、アルメイダの盾が鈍く光った。
湊は《マッピング》を広げる。
進むたび、坑道の形が近いところから浮かんでくる。横道、換気穴、小さな作業室、使われなくなった軌道。少し先で三つに分かれた道の二つには太い鎖が張られ、水没、崩落、使用停止とだけ刻まれていた。
シロが鼻を動かす。
――つち、みず、あぶら。てつ。
少し間を置いて、もう一度鼻を鳴らした。
――へんなのも、ある。
「どっちだ?」
銀色の耳が前へ向く。
――とおい。まだ、わからない。
湊も暗い坑道の先を見た。
車輪の音だけが、何度も岩壁から返ってきた。
*
一刻ほどで斜面が緩くなり、車両は深層採掘区の停車場へ入った。
中央大坑都のような賑わいはない。鉱夫の声や荷台を押す音、水を汲み上げる機械の振動まで、どれも低く重く響いていた。
アルメイダが歩き出すと、作業中のドワーフたちは自然に道を開けた。頭を下げる者はいるが、手を止める者はいない。
アルメイダも足を止めなかった。
ただ途中で、支柱を固定する鉄楔が一本浮いているのを見つけると、腰の槌を抜いた。
二度。
硬い音が響き、楔が奥へ沈む。
「王様の仕事?」
リーネが横から見る。
「気づいた奴の仕事だ」
それだけ言って、また歩き出した。
*
集積所は、四本の坑道が交わる場所にあった。
岩壁を大きく削った空間へ、木箱や鉄材、縄、交換用の車輪、支柱用の金具が積まれている。壁際には、過去の受領札が年代ごとに束ねられていた。
白い髭の年嵩のドワーフが、机の前で待っている。右手の指が二本欠けていた。
「昨日、照会のあった三件です」
差し出された帳面には、色の違う紙片が挟まれている。
精密制御部品。耐熱外殻。魔力接合具。
受領日、荷箱の数、重量。その記録は細かい。
「荷は確かに、ここへ届いております」
倉庫番が奥を指した。
「数日保管した後、旧設備保守の札で搬出されています」
アルメイダの目が帳面から離れない。
「荷車は」
「集積所のものを使っています。返却も同日中です」
頁がめくられる。
アルメイダの指が一行で止まった。
「戻った荷台の確認は?」
倉庫番の白い眉が寄る。
「……記録がありません」
言い訳はしなかった。
アルメイダも責めず、帳面を閉じる。
「置いていた場所を見せろ」
集積所の最奥には、今は何もなかった。
石床へ白い線だけが残り、当時置かれていた荷箱の大きさが記されている。湊がしゃがむと、壁際の溝へ黒い汚れが残っていた。
アルメイダも隣へ腰を落とし、指先で掬う。
「車輪油だ」
跡は集積所の出口ではなく、反対側の壁際へ続いていた。
古い支柱が積み上げられた下へ消えている。
倉庫番が目を細めた。
「そちらに道はありません」
アルメイダは返事をせず、支柱の一本へ手をかけた。
太い木材が持ち上がる。
守備兵たちも続いた。
積まれていた支柱を退かすと、奥から石壁が現れた。
見た目は周囲と変わらない。
湊は《マッピング》へ意識を向けた。
壁の向こうに、細い空間が伸びている。
荷車が一台通れるほどの幅。
古い軌道もあった。
「裏に道があります」
アルメイダが石壁を拳で叩く。
返る音が軽い。
リーネも近づき、壁の縁を見た。
「ここ、継ぎ目がまっすぐすぎるね」
アルメイダが片手槌の柄を差し込むと、石の隙間から砂が落ちた。
その下に、鉄の縁が現れた。
扉だった。
*
扉の脇には、札を差し込むための小さな窪みがあった。
アルメイダが懐から、昨日見つかった旧設備保守の札を取り出す。寸法は合っている。
だが、すぐには差し込まなかった。
扉の下へ目を向ける。
埃が薄い。
アルメイダの表情が変わった。
「周りを先に見ろ」
守備兵二人が左右へ散り、残る二人は集積所の入口へ戻る。
「仕事は続けろ。ここへは誰も近づけるな」
倉庫番が頷いた。
湊は扉の向こうへ《マッピング》を伸ばした。
軌道は正面へ続き、少し先で緩く曲がっている。その先は範囲の外へ消えた。途中には、小型の荷車が一台残されている。
人の光点は見えない。
「中に荷車があります。近くに人はいません」
アルメイダは保守札を差し込んだ。
金属が噛み合う。
奥で重い音がし、扉がわずかに内側へ動いた。
隙間から冷たい風が流れ出す。
シロの耳が立った。
鼻先が隙間へ寄る。
――さっきの、へんなにおい。
湊も息を吸った。
油と湿った石。
その奥に、薄く鼻につく匂いが混じっている。
クロが肩の上で身を起こした。
「薬品のような匂いもするな」
「分かるのか?」
「薄い。だが、油だけではない」
アルメイダは一度だけクロを見て、それから扉へ手をかけた。
錆が落ちる。
隠されていた坑道が開いた。
*
中は暗かった。
アカが少しだけ炎を強める。赤い光が古い軌道を照らし、その先に止まった小型の荷車が浮かび上がった。
木の側板は傷み始めている。
だが、車輪だけが妙に新しい。
アルメイダが指で触れると、油がついた。
「車体は古い。車輪は替えてあるな」
荷台は空だった。
底には黒い布が残り、その上に針ほどの銀色の欠片が落ちている。
アルメイダは直接触れず、紙片で包んだ。
「接合材に見える」
断定はせず、小箱へ収める。
車輪の横には泥がついていた。
完全には乾いていない。
リーネがしゃがみ込む。
「これ、古くないね」
アルメイダも触れる。
指先の泥を見て、顎が硬くなった。
「最近だ」
倉庫番が息を呑む。
何年も前に使われた荷路ではない。
今も誰かがここを通っている。
*
さらに奥へ進むと、軌道脇へ革袋が落ちていた。
口が破れ、乾いたパン、水筒、小さな槌、坑内用の魔石灯が散らばっている。
アルメイダが、その中の金属札を拾った。
表面へ刻まれた名前を見て、目が細くなる。
「未帰還の鉱夫だ」
数日前、深層寄りの採掘区から戻らなかった一人。
血は見えない。
争った跡もない。
ただ、持ち物だけが残されていた。
シロが地面へ鼻を近づけ、ゆっくり先へ進む。
――ひとのにおい。
「一人か?」
銀色の鼻が何度も動く。
――いっぱい。
湊は軌道の先へ《マッピング》を伸ばした。
道はさらに奥へ続いている。
少し先で、図面にはない粗い横穴が合流していた。
その手前。
範囲の端に、匿名の光点が一つ現れる。
止まっている。
湊が息を詰めた。
次の瞬間、光点が動いた。
こちらから離れていく。
「誰かいます」
アルメイダの盾が上がる。
リーネの手が剣へ触れた。
遠くで、金属を引きずるような音が響く。
一度。
さらに奥で、もう一度。
やがて聞こえなくなった。
アルメイダは追わなかった。
未帰還の鉱夫の札を握ったまま、暗い坑道を見据える。
「入口を固める」
低い声だった。
「封鎖門の鍵を持ってこい」
隠されていた荷路の奥から、冷たい風が吹き続けていた。




