分業の落とし穴
アルメイダの背を追い、中央大坑都の石段を上った。
下層では岩を削る重い音が響き、中層では荷車と鎖の擦れる音が重なる。さらに上へ進むと、細かな槌音が増えていった。高さも間隔も少しずつ違い、離れた工房同士が返事をしているように聞こえる。
アルメイダが入ったのは、湊が想像していた宮殿とは違う建物だった。
太い岩柱を四角く削り、正面へ鉄扉をつけただけ。入口の上には盾と槌を組み合わせた紋章が刻まれているが、ほかに飾りらしいものはない。
「ここが王宮?」
リーネが見上げる。
「執務区だ。寝る場所も飯を食う場所もある。十分だろう」
「三十年前より地味になってない?」
「王が派手なら国が豊かになるというなら、髭に宝石でも吊るしてやる」
リーネの目が、編み込まれた髭へ向いた。鉄の輪に混じり、一つだけ鈍く光る留め具がある。
「それ、金じゃない?」
「留め具だ。黙って歩け」
低い声だったが、リーネの口元は少し緩んでいた。
*
通された部屋には、大きな机が一つ置かれていた。
壁には坑道図。棚には書類と石や金属の見本が並び、部屋の隅には作業台まである。炉こそないが、槌ややすり、小さな金床が手の届く位置へ揃えられていた。
王の執務室というより、工房の親方部屋に近い。
アルメイダは盾を壁へ立てかけ、作業着についた土を払った。髭へ入り込んだ砂を指で落としていると、扉が開く。
大鍋を載せた台車が入ってきた。
黒いパン。焼いた肉。根菜と豆を煮込んだ濃いスープ。香辛料と脂の匂いが広がった途端、シロの尾が大きく揺れる。
――ごはん。
アカも肉へ首を伸ばした。
――おにく。
「お前たちの分もある」
アルメイダが三匹を見る。
従魔たちの念話が聞こえたわけではない。それでも、二匹の視線だけで十分だったらしい。
大きな鉄皿が三つ運ばれてきた。二皿には肉。もう一皿には、細かく切った肉と魚が盛られている。
クロが湊の肩から皿を見下ろした。
「気が利くな」
アルメイダが黒猫へ視線を寄せる。
「魚だけでいいかと思ったが、肉も入れさせた」
「それならありがたい」
「昨日から思っていたが、ずいぶん素直に喋る猫だな」
クロの耳が一度動いた。
「猫にも色々いる」
「そうか」
アルメイダはそれだけで済ませた。
湊が三匹を床へ下ろすと、アカとシロの鼻先が同じ肉へ伸びた。
二匹が止まる。
――アカの。
――シロ、さきにみた。
「ほかにもあるだろ」
湊が言うより先に、クロが自分の皿から顔を上げた。
「取り合うほど少なくない。別のを食べろ」
シロとアカはしばらく見つめ合い、ようやく別々の肉へ向かった。
アルメイダの口元がわずかに動く。
「一番小さいのが、いちばん落ち着いとるな」
「今だけだよ」
リーネが椅子へ座る。
クロがそちらを見る。
「余計なことは言わなくてよい」
「何も言ってないじゃん」
湊も席についた。
アルメイダは大きな椀へスープを山のようによそい、パンをちぎった。
「食え」
それだけ言って、自分も食べ始める。
正式な話は食事のあとかと思ったが、そうではなかった。
パンをスープへ浸しながら、アルメイダが湊を見る。
「持ってきたものを見せろ」
*
湊はフェルナンドから預かった筒を机へ置いた。
交易記録の写し。オウルが残した証言。そして、《魔力崩壊核》の残骸から回収された精密部品の図面と、その寸法を再現した複製。
黒い布の上へ一つずつ並べる。
アルメイダは食べる手を止めず、湊の話を聞いた。
エルフ国で十二人が攫われ、南方諸島へ送られる直前だったこと。受け取りに現れた者たちが、証拠ごと自分たちを消すための装置を持っていたこと。装置の大半は壊れたが、内部の一部だけが残ったこと。
「これが、その部品か」
アルメイダの指が複製の前で止まる。
「はい。エルフ国の術師たちは、魔力を安定させて圧縮し、複数の術式をまとめて崩すための制御に使われていた可能性が高いと見ています」
湊は続けた。
オウルの記憶に残っていた熱い鉄の匂いと黒い箱。金床にも山にも見える印。交易記録にも、似た印を持つ精密部品があり、送り元としてドワーフ王国の名が残っていたこと。
ただし、工房が完成品や用途まで知っていた証拠はない。
「それで、先にこちらへ来たか」
アルメイダがパンで椀の底を拭う。
「南方の施設は、島も航路も絞れていません。製造や修理の記録が残っていれば、そこから荷の流れを辿れるかもしれないと思いました」
アルメイダは最後の一口を飲み込み、椀を置いた。
「部品を貸せ」
*
作業台へ移ると、アルメイダは複製を太い指で摘み上げた。
片目へ小さな拡大鏡をつけ、表と裏を返していく。内側の溝を追い、縁を爪で軽く弾くと、高い金属音が部屋へ残った。
しばらくして、眉間の皺が深くなる。
「一人の仕事じゃないな」
リーネが隣から覗く。
「作った人が何人かいるってこと?」
「少なくとも、工程が分かれとる」
アルメイダは針のような工具で、内側の細い溝をなぞった。
「ここは精密加工だ。外側は熱へ耐える仕上げ。接合も別の手が入っている」
太い指の中で、部品がゆっくり回る。
「完成した形を、職人に見せたくなかったんだろう」
クロが作業台の端へ前足をかける。
「別々の道具だと思わせて、必要な箇所だけ作らせたか」
「その可能性はある」
アルメイダは複製を黒布へ戻し、壁際の呼び鈴を鳴らした。
入ってきた伝令へ、短く告げる。
「工房監査と荷運び記録を持ってこい。精密制御、耐熱加工、魔力接合。その三つを中心に、過去の注文台帳も見る」
「承知しました」
「内密にな」
扉が閉じた。
*
待っている間、アルメイダはエルフ王家からの書状を読んだ。
フェルナンドの文章は短い。確認された事実と、そこから考えられること、その時点ではまだ分からないことが分けて記されている。
最後まで目を通したアルメイダが、小さく鼻を鳴らした。
「次の王は堅い仕事をするな」
「兄さまは、そういう人だからね」
「お前とは違う」
「余計な一言いる?」
アルメイダは返さず、次の紙へ移った。
オウルの証言。
文字を追う速度が少し落ちる。
途中で一度、リーネへ目をやった。
「お前の兄だったな」
「うん」
それだけだった。
読み進めるうちに、アルメイダの指が止まる。
最後まで読んだあともしばらく紙から目を離さず、やがて静かに閉じた。
「……そうか」
リーネは椀に残ったスープを見ていた。
アルメイダは何も重ねなかった。
湊の膝へクロが上がってきた。小さな体を丸め、尾を湊の手首へ寄せる。
喉は鳴らさない。
ただ、その体温だけが残った。
*
工房監査役と荷運びの記録官が来たのは、かなり後だった。
一人は腕ほどの厚さがある台帳を抱え、もう一人は帳面と金属札の入った木箱を押してくる。
アルメイダから事情を聞くと、二人の顔つきが変わった。
複製を見る。
図面の寸法を確かめる。
台帳が何冊も開かれ、紙をめくる音が続いた。
最初に見つかったのは、精密工房区の記録だった。
似た幅の溝を持つ部品。注文名は、送風機の圧力調整部品。
次は耐熱加工。こちらは炉温測定器の交換部品。
さらに魔力接合具。坑内排水機の魔力安定板として記録されていた。
用途は別々。
工房も別々。
注文された時期も少しずれている。
だが、図面を重ねると一つの形へ寄っていく。
アルメイダの顎が硬くなった。
工房監査役が低く言う。
「この注文内容だけなら、どの工房も不審には思いません。日常の修繕部品として通ります」
正規工房は、完成品を知らない。
その事実だけが少しずつ形を持ち始める。
荷運び記録官が三枚の受取票を机へ並べた。
「依頼主の名義は別ですが、引き取った業者は同じです」
別の台帳が開かれる。
指が止まった。
「この業者、最後の引き取りから一か月ほどで廃業しています」
部屋の空気が少し重くなった。
アルメイダは受取票を手に取る。
「荷はどこまで運ばれた」
「書類上は、深層設備の補修材として集積所までです」
「その先の受領は?」
記録官の手が、頁の上で止まる。
「ありません。集積所までは受け取った記録がありますが、最終受領印が抜けています」
言葉を失ったわけではない。
ただ、その空欄を見ていた。
アルメイダが机へ手を置く。
「搬出の許可は」
木箱の中から、古い金属札が出された。
表面には槌と横線を組み合わせた印。
アルメイダの眉が寄る。
「旧坑道の設備保守だ」
リーネも札を見る。
「今もある部署?」
「もうない。担当区画ごと何年も前に閉じた」
アルメイダは札を裏返す。
「札そのものは本物だ。廃止した時に回収されたはずだがな」
工房監査役の顔が強張った。
「保管記録を洗います」
「人は増やすな。まだ騒ぐ段階じゃない」
「はい」
二人は台帳をまとめ、足早に部屋を出ていった。
机には古い保守札だけが残った。
*
アルメイダは坑道図を広げ直した。
深層採掘区。その中の集積所。そこから先には、使われなくなった区画や封鎖された旧坑道が広がっている。
太い指が集積所で止まった。
「明朝、ここを見る」
リーネが赤い封鎖線へ目をやる。
「奥までは?」
「まだ行かん。まず帳面と現物だ。当時の担当者にも話を聞く」
アルメイダの目が湊へ移った。
「お前の能力も、明日借りるぞ」
「近くなら探れます」
「十分だ」
それで話は決まった。
アルメイダは地図の上へ三つの駒を置く。
先頭に盾。その後ろに人を示す駒。最後に細い剣の札。
「儂が前。湊は中央。リーネは後ろだ」
リーネが駒を見る。
「あたしが最後?」
「前へ出すと、扉まで斬りかねん」
「斬らないって」
アルメイダはもう地図へ視線を戻していた。
クロの尾が湊の膝で一度だけ動く。
*
調査は翌朝と決まった。
机の上には、三枚の注文書が残っている。
違う名前で頼まれ、違う工房で作られ、違う用途として記録された部品。それらが、黒い布の上に置かれた小さな複製へ集まっていた。
アルメイダは部品を手に取った。
「職人は、頼まれた通りに作る」
低い声だった。
「そこを使われたんだろうな」
リーネは何も言わない。
遠くで低い振動が走った。
机の上の古い保守札が、かすかに跳ねる。
アルメイダは親指で押さえた。
音はすぐに止まった。
それでも、視線は深層へ続く線から離れなかった。




