救助
「生きているなら、連れて帰るぞ」
アルメイダの声が崩れた坑道へ響くと、周囲のドワーフたちが一斉に動いた。槌、支柱、縄、担架。必要なものが短い声とともに運ばれ、崩落の前へ積まれていく。
アルメイダは巨大な盾を地面へ置き、岩の向こうを睨んだ。
「正面は触るな。上がまだ落ち着いとらん」
坑道技師の一人が左手の壁を指した。
「古い排水路があります。狭いですが、崩落の奥へ抜けていたはずです」
湊は《マッピング》を広げた。壁の向こうに細い空間が伸びている。途中で途切れていたが、その先には二つの光点が残っていた。
「途中までは行けそうです」
アルメイダが排水路の幅を見て、自分の胸板へ視線を落とす。
「儂は入らんな」
「見れば分かるね」
リーネが言うと、アルメイダは鼻を鳴らした。
「お前も剣を持ったままじゃ引っかかる」
リーネは腰の剣を見た。それ以上は言い返さなかった。
湊は排水路の入口へ近づく。
「俺が行きます」
アルメイダの眉が動いた。
「狭くなったら戻れ」
「はい」
クロが肩から飛び降り、アルメイダの盾の横へ座った。
「私はこちらに残る。向こうへ出たら呼べ。伝える」
アルメイダの手が一瞬止まった。
足元の黒猫を見る。
「……喋るのか」
驚きより先に、訝しさの滲んだ声だった。
クロは金色の目を向ける。
「その話は後でいい。今は二人だ」
アルメイダは数秒だけクロを見たあと、崩れた坑道へ視線を戻した。
「そうだな」
それ以上は聞かなかった。
湊はクロと目を合わせる。
「ああ。頼む」
金色の目が細くなった。
*
排水路へ入ると、空気が急に冷たくなった。
湿った石が服へ擦れ、膝の下を細い水が流れている。背後から届いていたアカの赤い光も、進むにつれて弱くなった。
天井は低い。肩を壁へ擦りながら進み、途中からは体を横へ向ける。息を吐いて腹を引き、狭い隙間を抜けた。
少し先で道が塞がっていた。
大きな岩が落ち、排水路をほとんど潰している。その根元に細い影が残っていた。
湊は手を触れる。
体を沈めた。
冷たい感覚が全身を包み、視界と音が消える。《マッピング》に残る形だけを頼りに、岩の向こうへ続く影を辿った。
距離は短い。
向こう側へ抜けられる位置まで進み、全身を影から出す。
すぐに咳が聞こえた。
湊はマジックバッグから小さな魔石灯を取り出した。淡い光が狭い空洞を照らし、二人のドワーフが浮かび上がる。
若い方は壁へ背を預け、片腕を抱えていた。額から流れた血が頬で乾き、呼吸も浅い。
もう一人は年嵩の男だった。倒れた支柱の下へ片脚を挟まれ、上半身だけを起こしている。
「……誰だ」
掠れた声が飛んだ。
「助けに来ました」
「人間が?」
「たまたま居合わせました」
男は一度だけ目を細めた。
「そうか。じゃあ、早くしろ」
まだ悪態をつく力はある。
湊は若い男へ寄った。呼吸を確かめ、額の浅い傷へ少量のポーションをかける。淡い光が滲み、流れていた血が止まった。
抱えている腕には触れない。そこは外へ出して、治療師に任せる。
水筒を取り出し、唇を濡らす程度に水を含ませた。
次に、年嵩の男の脚を見る。
支柱は太く、その上へ岩が乗っていた。無理に動かせば、周囲まで一緒にずれる。
湊はクロへ意識を向ける。
――二人とも生きてる。若い方は意識が薄い。もう一人は脚を挟まれてる。
すぐに返事が届いた。
――分かった。伝える。
しばらくして、遠くでアルメイダの声が響いた。言葉までは聞き取れない。続いて槌の音が始まり、頭上から細かな砂が落ちた。
外で支えを足しているらしい。
湊は年嵩の男のそばへ座った。
「もう少しかかります」
「急かして天井ごと落ちちゃ、笑えんからな」
男が若い方を見る。
「そっちは」
「生きてます」
その言葉に、肩の力がわずかに抜けた。
*
やがて若いドワーフが目を開いた。
最初に見たのは湊ではなく、支柱の下にいる男だった。
「……親方」
「喋るな」
「でも」
「生きてる。お前も生きてる。それでいい」
若い男の口が閉じた。
湊はもう一度、水を少しだけ飲ませた。
しばらくして、若い男が掠れた声を漏らす。
「……地面が鳴ったんだ」
親方の目が向く。
「支柱を見に来て……急に、下からどんって……」
そこで息が詰まった。
「もう喋るな」
若い男は目を閉じた。
湊も続きを求めなかった。
下から。
その言葉だけが残る。
今は外へ出す方が先だった。
外の槌音が変わった。低く、一定の間隔で続いている。岩を砕く音ではない。新しい支柱を打ち込んでいる。
少しずつ、頭上の軋みが弱くなった。
クロから声が届く。
――上を押さえた。挟まっている支柱は動かせそうか。
湊は支柱の根元へ手を当てた。力を込めてもびくともしない。
――こっちから一人じゃ無理。道を広げてもらった方がいい。
――分かった。
しばらくして、正面の崩落から鈍い衝撃が響き始めた。
大きく砕く音ではない。間を置きながら、必要な場所だけを削っている。
リーネだろう。
やがて隙間から風が入り込み、土埃が薄くなった。シロの風だ。
続いて赤い光が差す。
岩の間に小さな穴が開いた。
そこから黒い顔が覗く。
「湊」
クロだった。
「無事か」
「ああ。二人とも生きてる」
クロの耳が少し起きた。
「ならよい。もう少し広げる」
すぐに顔が引っ込み、外から声が飛んだ。
「二人とも生きている。救助員が入れるまで広げろ」
穴が少しずつ大きくなった。
最初に小柄な救助員が入ってくる。若いドワーフの腕と肩を固定し、担架へ乗せた。湊もその手を支える。
「親方……」
運ばれる直前、若い男が手を伸ばした。
年嵩のドワーフが、その指先へ触れる。
「先に行け」
担架が排水路の方へ運ばれていった。
*
さらに二人の救助員が入ってきた。
外から新しい支えが増やされ、岩の軋みはほとんど聞こえなくなっている。
「支柱を少しだけ上げろ! 脚が抜けたらすぐ戻せ!」
アルメイダの声が穴の向こうから飛んだ。
救助員が金具を差し込む。湊も反対側へ手をかけた。
「せーの!」
支柱がわずかに浮く。
年嵩の男が歯を食いしばり、脚を引いた。
抜けない。
もう一度。
今度は救助員が男の腰を掴む。
支柱が持ち上がった瞬間、体が後ろへ滑った。
「抜けた!」
すぐに支柱を戻す。
鈍い音が落ちた。
上の岩は動かなかった。
湊の肩から息が抜ける。
男の脚は大きく腫れていた。ここでポーションをかけるだけではどうにもならない。
救助員が添え木を当て、布で固定する。
担架へ乗せられた男が湊を見た。
「人間」
「はい」
「名前は」
「湊です」
「覚えとく」
それだけ言って目を閉じた。
担架が外へ運ばれていく。
湊も後を追った。
狭い排水路を抜けた瞬間、熱と音が戻ってくる。槌の音、人の声、アカの炎の熱。
シロが足元へ駆け寄った。
――みなと。
「ただいま」
銀色の頭を一度撫でる。
その向こうで、クロが待っていた。
「戻ったぞ」
「ああ」
短く返し、黒い尾が湊の足首へ一度だけ触れた。
アルメイダはその様子を横目で見ていた。喋る猫への疑問は残っているのだろう。それでも今は何も言わず、運び出される担架へ視線を戻した。
*
救助が終わる頃には、かなり時間が経っていた。
アルメイダは二人の搬送を最後まで見送り、そのまま崩落現場へ戻った。封鎖位置を決め、残った支柱を確認し、止まっていた護送便の迂回まで指示していく。
ようやく手が空くと、湊たちへ向き直った。
「待たせた」
リーネが腕を組む。
「三十年に比べれば短いよ」
「まだ言うか」
「先に言ったのはそっちでしょ」
アルメイダは鼻を鳴らし、湊が持つ書状の筒へ目をやった。
「王宮へ行く」
リーネが少し笑う。
「やっと王様らしい場所へ行くんだ」
「椅子に座るだけが王の仕事じゃない」
「知ってるよ」
アルメイダは歩き出した。
数歩進んでから、振り返る。
「先に飯だ」
シロの耳が立った。
――ごはん。
アカも翼を広げる。
――おにく!
アルメイダは二匹の顔を見て、片方の眉を上げた。
「従魔も同じ顔をしとる」
「分かるんですか」
「腹を空かせた顔くらいはな」
そのまま中央大坑都の上層へ続く階段を上っていく。
壁の向こうでは、槌の音が鳴り続けていた。




