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中央大坑都

翌朝、宿を出ると山門都市には槌の音が戻っていた。


夜にも聞こえていた単調な響きとは違う。短く乾いた音、腹へ落ちる重い音、高く澄んだ音があちこちから重なっている。山の朝は、鐘ではなく鉄を打つ音で始まるらしい。


中央坑道の入口では、護送便が出発を待っていた。


低い荷台に鉄の車輪がつき、石床へ埋め込まれた二本の鉄の上へ何台も連なっている。鉱石や食料を積んだ車両の最後尾だけが鉄板で囲まれ、湊たちはそこへ案内された。


前方へ伸びる太い鎖を見ていると、案内役の守備兵が気づいた。


「区画ごとの巻き上げ機で引きます。下りは制動機と歯止めで抑える。それでも止まらなければ、最後は壁へ当てます」


「最後だけ急に力技だね」


リーネが言う。


守備兵は真顔だった。


「深坑へ落ちるよりはましです」


クロが湊の肩から車両を眺め、すぐに視線を逸らした。


「一日歩くよりはよい」


「まだ何も言ってない」


「乗ると言っている」


即答だった。



シロは小さな姿になり、湊の足元へ収まった。


アカは大きな翼を畳んでも、護送車の一角をかなり占領する。鉄板の向こうを覗き込み、頭上を走る鎖へ何度も目をやっていた。


――せまい。


「我慢しろ」


――そと、飛ぶ。


「鎖にぶつかるぞ」


アカが上を見る。


太い鎖が、坑道の天井近くまで張られている。


――ここにいる。


すぐに湊の隣へ寄ってきた。


向かいにはリーネが座り、クロは早々に湊の膝へ移った。守備兵が鉄扉を閉めると、外の槌音が少し遠くなる。


先頭で鐘が鳴った。


一度。


間を置いて二度。


鎖が張り、金属の軋みとともに護送便が動き出した。



山門都市の灯りが後ろへ流れ、やがて坑道へ入った。


壁へ一定の間隔で埋め込まれた魔石灯が、橙色の光を落としている。車輪の音は岩壁へぶつかり、前からも横からも返ってきた。


シロが耳を伏せる。


――うるさい。いっぱい、もどってくる。


「音が響くんだな」


青い目が細くなる。


アカも落ち着かないらしく、暗い坑道を何度も見回していた。クロだけは湊の膝で丸くなり、尾を手首へ巻きつける。


「寝るのか」


「中央まで長いのだろう」


金色の目が閉じた。


「何かあれば起こせ」


「はいはい」



坑道は一本ではなかった。


横へ伸びる道。上へ向かう斜坑。底の見えない暗い縦穴。交差する場所には鉄板が掛かり、鉱山都市、工房都市、中央大坑都と行き先が刻まれている。


使われなくなった道には赤い鉄鎖が張られていた。


湊は《マッピング》を広げる。


見えるのは周囲だけだ。それでも、坑道が何度も枝分かれし、壁の向こうに古い作業室や細い水路が残っていることは分かる。三百メートルを越えれば、その先は途切れた。


「一人で入ったら迷いそうだな」


案内役が前を見たまま頷く。


「道札を見失えば、地元の者でも危険です。掘り尽くした道も、水が出て捨てた道も、そのまま残っていますから」


車両が大きく傾いた。


下りへ入る。


鎖の音が変わり、今度は重さを支えながら送り出しているのが分かった。足元から冷気が這い上がり、しばらくすると水音が混じり始める。


坑道の横を、黒い水路が走っていた。


魔石灯の光が流れの上で砕ける。


シロが鼻を動かす。


――みず、ずっとした。ふかい。


水路は《マッピング》の端を越えても続いている。


湊は暗い流れを目で追った。


この山は、見えている街より下の方が広いのかもしれなかった。



昼前、護送便が急に止まった。


鐘は鳴らない。


鎖が緩み、車輪が甲高く軋む。案内役がすぐに立ち上がり、鉄扉を開けた。


前方では声が飛び交っていた。


「制動をかけろ!」


「後ろへ合図!」


「支柱を見ろ!」


湊も外へ出る。


線路脇には天井から落ちた小石が散り、木と鉄で組まれた支柱の一本がわずかに傾いていた。昨日の地鳴りと同じ、腹の底へ残る嫌な気配がある。


《マッピング》を広げると、崩落そのものは大きくない。ただ、支柱の周囲だけ岩の形が不自然にずれていた。


目を凝らす。


天井に白い割れ目が走っていた。


「支柱の奥、上です」


案内役が振り返る。


「あそこ、割れ目が新しい。下だけ触ったら落ちます」


守備兵の顔が変わった。


「天井を叩くな! 奥を先に支えろ!」


ドワーフたちが太い丸太を運び始める。


間に合うかと思った、その時。


岩が低く鳴った。


天井の一部が沈む。


「下がって!」


リーネの声が飛ぶ。


作業員が散った。


大きな岩が剥がれる。


湊は反射的に影を伸ばした。落下を止めるほどの力はない。ただ、岩の下へ潜り込ませ、傾く方向をわずかに変える。


そこへリーネが踏み込んだ。


鞘に入れたままの剣が岩へ当たる。


鈍い衝撃。


巨石が線路を外れ、壁際へ落ちた。


地面が揺れ、砂埃が一気に舞う。


護送車からシロが飛び出した。走りながら銀色の体が膨らむ。


――まだ、くる!


耳が、前方へ向いている。


岩が軋む音を拾ったらしい。


シロが前足を振った。


弱い風が坑道を走り、舞い上がった砂だけを払っていく。


視界の先で、もう一か所、天井の縁が崩れかけていた。


「全員、車両から離れろ!」


守備兵の声で、荷運びの者たちが壁の窪みへ走る。


アカも翼を広げた。


――アカも!


「火はいらない。明るくしてくれ」


――わかった!


赤い体が強く光った。


魔石灯より高い位置まで照らされ、支柱と天井の影がくっきり浮かび上がる。


湊は《マッピング》と目の前の形を重ねた。


「左から二本、奥へ入れてください。そこなら崩れた岩に当たりません」


「聞いたな!」


丸太が運ばれる。


鉄楔へ槌が落ちた。


一度、二度、三度。


坑道に硬い音が響き、沈みかけていた天井が止まった。



点検には一刻ほどかかった。


落ちた石が片づけられ、線路と支柱が改めて調べられる。護送便はそのまま動かせることになった。


案内役が湊たちへ頭を下げた。


「助かりました。あのまま触っていたら、何人か巻き込まれていた」


「俺は見えたところを言っただけです」


「それを言える者がいなかった」


短く返される。


「礼は中央へ着いてから正式に」


「そこまでしなくても」


「こちらに必要です」


言い切られた。


リーネが肩をすくめる。


「諦めなよ。こういうところ、頑固だから」


クロが湊の肩へ戻る。


「今日はよく聞く言葉だな」


「何が?」


「頑固だ」


リーネは聞こえないふりをして護送車へ戻った。



午後になると、坑道の先に光が増え始めた。


出口の光ではない。


橙。青。白。


最後の曲がり角を越えた瞬間、湊は息を止めた。


山の中に、巨大な空洞が開いていた。


中央には太い岩柱が残され、その周囲を螺旋状の道が取り巻いている。壁には無数の灯りが並び、橋と階段、吊り台、水路、建物が何層にも重なっていた。


底近くでは炉の赤い光が揺れ、上層には白い蒸気が漂う。


槌の音が、空洞全体から降ってきた。


山門都市より大きい。


熱も、音も、人の数も。


ここが中央大坑都。


ドワーフ王国の中心だった。


――おおきい。


シロの声が流れ込む。


アカは返事もせず、鉄扉の隙間から街へ顔を寄せていた。


肩のクロも身を起こした。


金色の目が、何層にも重なる街を追っていく。


「山の中に、ここまで作るか」


低く呟く。


リーネが少し得意げに笑った。


「ドワーフは掘るのも作るのも好きだからね」


クロは返事をせず、螺旋状に続く街を見上げていた。


護送便は螺旋状の線路を進み、中層の停車場へ入っていった。



車両を降りると、熱い空気が頬へ触れた。


石と鉄の匂い。大勢の足音。遠くで絶えず水が落ちる音。


停車場には盾を持つ兵が待っていた。


「白銀のリーネ殿。中央大坑都へようこそ」


「アルメイダは?」


「陛下は下層です。今朝の崩落で、生存者の救助と二次崩落の確認を指揮されています」


リーネの表情が少し緩んだ。


「変わってないね」


兵は宮殿で待つよう勧めかけたが、リーネはもう下層へ続く階段を見ていた。


「現場へ行くよ」


「危険区域ですが」


「案内だけお願い」


紫の瞳を見て、兵は一度口を閉じた。


「……こちらです」



下層へ降りるにつれ、炉の熱が薄れ、湿った土の匂いが強くなった。


途中ですれ違う負傷者には、頭へ布を巻いた者も、腕を吊った者もいる。煤と泥にまみれていたが、自分で歩ける者は足を止めなかった。


通路の奥から太い声が響く。


「先に換気を通せ! 二本目の支柱が立つまで前へ出るな!」


声の主は、崩れた坑道の前にいた。


湊の胸より低い背丈。だが、肩も腕も分厚い。革の作業着と長い髭は泥と煤に汚れ、そこへ鉄の輪がいくつも光っている。


肩には巨大な盾。


腰には片手槌。


王冠はなかった。


男は運ばれてきた支柱を自分で担ぎ上げ、作業員と一緒に坑道へ入ろうとしていた。


リーネが足を止める。


しばらく、その背を見ていた。


「アルメイダ」


大きな声ではなかった。


男の足が止まった。


振り返る。


濃い眉の下の黒い目が、リーネを捉えた。


槌の音だけが続く。


アルメイダは支柱を隣の作業員へ渡し、泥のついた手を革の前掛けで拭った。それから、まっすぐこちらへ歩いてくる。


「遅い」


最初の言葉は、それだった。


リーネの眉が上がる。


「三十年ぶりに会って、それ?」


「三十年かけた奴に、早かったとは言えん」


リーネが腕を伸ばす。


アルメイダも同じように腕を出した。


互いの前腕を掴む。


一度だけ、強く。


「生きてたね」


「お前もな」


手が離れる。


アルメイダはリーネの顔をしばらく見たが、何も聞かなかった。


やがて視線が湊へ移る。


肩のクロ。足元のシロ。大きなアカ。最後に、湊の腰の無銘。


「仲間だよ」


リーネが先に言った。


迷いのない声だった。


「湊です」


「アルメイダだ」


国王とは名乗らなかった。


泥のついた大きな手が差し出される。


湊も握り返した。


硬い手だった。


剣士のものとは違う。何度も槌を振り、熱い鉄を扱ってきた手だと分かる。


「話があります」


アルメイダの目が、湊の持つ筒へ落ちる。


「そのようだな」


坑道の奥から声が飛んだ。


「陛下! 二本目、入りました!」


アルメイダはすぐに振り返る。


「換気を確認しろ! 生存者が先だ!」


声を飛ばしてから、肩の盾を下ろした。


「話は後だ。まず、ここを片づける」


崩れかけた坑道へ向かう。


リーネも剣へ手を置いた。


「あたしたちも手伝うよ」


「勝手にしろ」


「素直じゃないね」


「三十年ぶりの奴へ割く手がない」


リーネが小さく笑った。


湊は《マッピング》を開く。


崩れた岩。


折れた支柱。


その奥に残った小さな空間。


匿名の光点が二つあった。


弱い。


だが、消えてはいない。


「奥に二人います」


アルメイダの足が止まった。


振り返った目から、再会の色が消える。


現場を見る目だった。


「どこだ」


湊は崩れた坑道を指した。


「正面から四十メートルくらい。少し右の空洞です」


アルメイダが盾を構える。


「道を作る」


低い声が坑道へ響いた。


「生きているなら、連れて帰るぞ」


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