中央大坑都
翌朝、宿を出ると山門都市には槌の音が戻っていた。
夜にも聞こえていた単調な響きとは違う。短く乾いた音、腹へ落ちる重い音、高く澄んだ音があちこちから重なっている。山の朝は、鐘ではなく鉄を打つ音で始まるらしい。
中央坑道の入口では、護送便が出発を待っていた。
低い荷台に鉄の車輪がつき、石床へ埋め込まれた二本の鉄の上へ何台も連なっている。鉱石や食料を積んだ車両の最後尾だけが鉄板で囲まれ、湊たちはそこへ案内された。
前方へ伸びる太い鎖を見ていると、案内役の守備兵が気づいた。
「区画ごとの巻き上げ機で引きます。下りは制動機と歯止めで抑える。それでも止まらなければ、最後は壁へ当てます」
「最後だけ急に力技だね」
リーネが言う。
守備兵は真顔だった。
「深坑へ落ちるよりはましです」
クロが湊の肩から車両を眺め、すぐに視線を逸らした。
「一日歩くよりはよい」
「まだ何も言ってない」
「乗ると言っている」
即答だった。
*
シロは小さな姿になり、湊の足元へ収まった。
アカは大きな翼を畳んでも、護送車の一角をかなり占領する。鉄板の向こうを覗き込み、頭上を走る鎖へ何度も目をやっていた。
――せまい。
「我慢しろ」
――そと、飛ぶ。
「鎖にぶつかるぞ」
アカが上を見る。
太い鎖が、坑道の天井近くまで張られている。
――ここにいる。
すぐに湊の隣へ寄ってきた。
向かいにはリーネが座り、クロは早々に湊の膝へ移った。守備兵が鉄扉を閉めると、外の槌音が少し遠くなる。
先頭で鐘が鳴った。
一度。
間を置いて二度。
鎖が張り、金属の軋みとともに護送便が動き出した。
*
山門都市の灯りが後ろへ流れ、やがて坑道へ入った。
壁へ一定の間隔で埋め込まれた魔石灯が、橙色の光を落としている。車輪の音は岩壁へぶつかり、前からも横からも返ってきた。
シロが耳を伏せる。
――うるさい。いっぱい、もどってくる。
「音が響くんだな」
青い目が細くなる。
アカも落ち着かないらしく、暗い坑道を何度も見回していた。クロだけは湊の膝で丸くなり、尾を手首へ巻きつける。
「寝るのか」
「中央まで長いのだろう」
金色の目が閉じた。
「何かあれば起こせ」
「はいはい」
*
坑道は一本ではなかった。
横へ伸びる道。上へ向かう斜坑。底の見えない暗い縦穴。交差する場所には鉄板が掛かり、鉱山都市、工房都市、中央大坑都と行き先が刻まれている。
使われなくなった道には赤い鉄鎖が張られていた。
湊は《マッピング》を広げる。
見えるのは周囲だけだ。それでも、坑道が何度も枝分かれし、壁の向こうに古い作業室や細い水路が残っていることは分かる。三百メートルを越えれば、その先は途切れた。
「一人で入ったら迷いそうだな」
案内役が前を見たまま頷く。
「道札を見失えば、地元の者でも危険です。掘り尽くした道も、水が出て捨てた道も、そのまま残っていますから」
車両が大きく傾いた。
下りへ入る。
鎖の音が変わり、今度は重さを支えながら送り出しているのが分かった。足元から冷気が這い上がり、しばらくすると水音が混じり始める。
坑道の横を、黒い水路が走っていた。
魔石灯の光が流れの上で砕ける。
シロが鼻を動かす。
――みず、ずっとした。ふかい。
水路は《マッピング》の端を越えても続いている。
湊は暗い流れを目で追った。
この山は、見えている街より下の方が広いのかもしれなかった。
*
昼前、護送便が急に止まった。
鐘は鳴らない。
鎖が緩み、車輪が甲高く軋む。案内役がすぐに立ち上がり、鉄扉を開けた。
前方では声が飛び交っていた。
「制動をかけろ!」
「後ろへ合図!」
「支柱を見ろ!」
湊も外へ出る。
線路脇には天井から落ちた小石が散り、木と鉄で組まれた支柱の一本がわずかに傾いていた。昨日の地鳴りと同じ、腹の底へ残る嫌な気配がある。
《マッピング》を広げると、崩落そのものは大きくない。ただ、支柱の周囲だけ岩の形が不自然にずれていた。
目を凝らす。
天井に白い割れ目が走っていた。
「支柱の奥、上です」
案内役が振り返る。
「あそこ、割れ目が新しい。下だけ触ったら落ちます」
守備兵の顔が変わった。
「天井を叩くな! 奥を先に支えろ!」
ドワーフたちが太い丸太を運び始める。
間に合うかと思った、その時。
岩が低く鳴った。
天井の一部が沈む。
「下がって!」
リーネの声が飛ぶ。
作業員が散った。
大きな岩が剥がれる。
湊は反射的に影を伸ばした。落下を止めるほどの力はない。ただ、岩の下へ潜り込ませ、傾く方向をわずかに変える。
そこへリーネが踏み込んだ。
鞘に入れたままの剣が岩へ当たる。
鈍い衝撃。
巨石が線路を外れ、壁際へ落ちた。
地面が揺れ、砂埃が一気に舞う。
護送車からシロが飛び出した。走りながら銀色の体が膨らむ。
――まだ、くる!
耳が、前方へ向いている。
岩が軋む音を拾ったらしい。
シロが前足を振った。
弱い風が坑道を走り、舞い上がった砂だけを払っていく。
視界の先で、もう一か所、天井の縁が崩れかけていた。
「全員、車両から離れろ!」
守備兵の声で、荷運びの者たちが壁の窪みへ走る。
アカも翼を広げた。
――アカも!
「火はいらない。明るくしてくれ」
――わかった!
赤い体が強く光った。
魔石灯より高い位置まで照らされ、支柱と天井の影がくっきり浮かび上がる。
湊は《マッピング》と目の前の形を重ねた。
「左から二本、奥へ入れてください。そこなら崩れた岩に当たりません」
「聞いたな!」
丸太が運ばれる。
鉄楔へ槌が落ちた。
一度、二度、三度。
坑道に硬い音が響き、沈みかけていた天井が止まった。
*
点検には一刻ほどかかった。
落ちた石が片づけられ、線路と支柱が改めて調べられる。護送便はそのまま動かせることになった。
案内役が湊たちへ頭を下げた。
「助かりました。あのまま触っていたら、何人か巻き込まれていた」
「俺は見えたところを言っただけです」
「それを言える者がいなかった」
短く返される。
「礼は中央へ着いてから正式に」
「そこまでしなくても」
「こちらに必要です」
言い切られた。
リーネが肩をすくめる。
「諦めなよ。こういうところ、頑固だから」
クロが湊の肩へ戻る。
「今日はよく聞く言葉だな」
「何が?」
「頑固だ」
リーネは聞こえないふりをして護送車へ戻った。
*
午後になると、坑道の先に光が増え始めた。
出口の光ではない。
橙。青。白。
最後の曲がり角を越えた瞬間、湊は息を止めた。
山の中に、巨大な空洞が開いていた。
中央には太い岩柱が残され、その周囲を螺旋状の道が取り巻いている。壁には無数の灯りが並び、橋と階段、吊り台、水路、建物が何層にも重なっていた。
底近くでは炉の赤い光が揺れ、上層には白い蒸気が漂う。
槌の音が、空洞全体から降ってきた。
山門都市より大きい。
熱も、音も、人の数も。
ここが中央大坑都。
ドワーフ王国の中心だった。
――おおきい。
シロの声が流れ込む。
アカは返事もせず、鉄扉の隙間から街へ顔を寄せていた。
肩のクロも身を起こした。
金色の目が、何層にも重なる街を追っていく。
「山の中に、ここまで作るか」
低く呟く。
リーネが少し得意げに笑った。
「ドワーフは掘るのも作るのも好きだからね」
クロは返事をせず、螺旋状に続く街を見上げていた。
護送便は螺旋状の線路を進み、中層の停車場へ入っていった。
*
車両を降りると、熱い空気が頬へ触れた。
石と鉄の匂い。大勢の足音。遠くで絶えず水が落ちる音。
停車場には盾を持つ兵が待っていた。
「白銀のリーネ殿。中央大坑都へようこそ」
「アルメイダは?」
「陛下は下層です。今朝の崩落で、生存者の救助と二次崩落の確認を指揮されています」
リーネの表情が少し緩んだ。
「変わってないね」
兵は宮殿で待つよう勧めかけたが、リーネはもう下層へ続く階段を見ていた。
「現場へ行くよ」
「危険区域ですが」
「案内だけお願い」
紫の瞳を見て、兵は一度口を閉じた。
「……こちらです」
*
下層へ降りるにつれ、炉の熱が薄れ、湿った土の匂いが強くなった。
途中ですれ違う負傷者には、頭へ布を巻いた者も、腕を吊った者もいる。煤と泥にまみれていたが、自分で歩ける者は足を止めなかった。
通路の奥から太い声が響く。
「先に換気を通せ! 二本目の支柱が立つまで前へ出るな!」
声の主は、崩れた坑道の前にいた。
湊の胸より低い背丈。だが、肩も腕も分厚い。革の作業着と長い髭は泥と煤に汚れ、そこへ鉄の輪がいくつも光っている。
肩には巨大な盾。
腰には片手槌。
王冠はなかった。
男は運ばれてきた支柱を自分で担ぎ上げ、作業員と一緒に坑道へ入ろうとしていた。
リーネが足を止める。
しばらく、その背を見ていた。
「アルメイダ」
大きな声ではなかった。
男の足が止まった。
振り返る。
濃い眉の下の黒い目が、リーネを捉えた。
槌の音だけが続く。
アルメイダは支柱を隣の作業員へ渡し、泥のついた手を革の前掛けで拭った。それから、まっすぐこちらへ歩いてくる。
「遅い」
最初の言葉は、それだった。
リーネの眉が上がる。
「三十年ぶりに会って、それ?」
「三十年かけた奴に、早かったとは言えん」
リーネが腕を伸ばす。
アルメイダも同じように腕を出した。
互いの前腕を掴む。
一度だけ、強く。
「生きてたね」
「お前もな」
手が離れる。
アルメイダはリーネの顔をしばらく見たが、何も聞かなかった。
やがて視線が湊へ移る。
肩のクロ。足元のシロ。大きなアカ。最後に、湊の腰の無銘。
「仲間だよ」
リーネが先に言った。
迷いのない声だった。
「湊です」
「アルメイダだ」
国王とは名乗らなかった。
泥のついた大きな手が差し出される。
湊も握り返した。
硬い手だった。
剣士のものとは違う。何度も槌を振り、熱い鉄を扱ってきた手だと分かる。
「話があります」
アルメイダの目が、湊の持つ筒へ落ちる。
「そのようだな」
坑道の奥から声が飛んだ。
「陛下! 二本目、入りました!」
アルメイダはすぐに振り返る。
「換気を確認しろ! 生存者が先だ!」
声を飛ばしてから、肩の盾を下ろした。
「話は後だ。まず、ここを片づける」
崩れかけた坑道へ向かう。
リーネも剣へ手を置いた。
「あたしたちも手伝うよ」
「勝手にしろ」
「素直じゃないね」
「三十年ぶりの奴へ割く手がない」
リーネが小さく笑った。
湊は《マッピング》を開く。
崩れた岩。
折れた支柱。
その奥に残った小さな空間。
匿名の光点が二つあった。
弱い。
だが、消えてはいない。
「奥に二人います」
アルメイダの足が止まった。
振り返った目から、再会の色が消える。
現場を見る目だった。
「どこだ」
湊は崩れた坑道を指した。
「正面から四十メートルくらい。少し右の空洞です」
アルメイダが盾を構える。
「道を作る」
低い声が坑道へ響いた。
「生きているなら、連れて帰るぞ」




