山門都市
警鐘は一度だけ鳴った。
敵襲を告げる響きではなかったが、石門の上にはすぐにドワーフの兵が並んだ。低い背丈に厚い肩、鉄兜の下から編み込んだ髭が垂れている。手にした弩の先は、湊たちではなく、大きなシロと上空を旋回するアカへ向いていた。
「そこで止まれ!」
湊たちは足を止めた。
門の上から、さらに声が飛ぶ。
「その銀狼と赤い鳥は、お前たちの連れか!」
「俺の従魔です。人は襲いません」
――シロ、何もしてない。
「分かってる」
アカはそんなやり取りを気にする様子もなく、門の上を見回していた。
――みんな、ふさふさ。
鉄兜の下から伸びる髭が珍しいらしい。
――クロより、ふさふさ。
湊の肩で、クロの尾がぴたりと止まった。
「アカ、降りろ。上を飛んでると余計に警戒される」
――まだみる。
「あとで見ろ」
不満そうに一声鳴き、アカが高度を落とす。赤い翼が畳まれ、そのままシロの背へ着地した。
銀色の巨体が少し沈んだ。
――おもい。
――アカ、おもくない。
巨大な銀狼の背に、火を纏った大鳥が乗った。
それだけだったが、下がりかけていた弩が、またわずかに持ち上がる。
「悪化したな」
クロが呟いた。
「俺もそう思う」
そこでリーネが前へ出た。
「あたしが保証するよ。この子たちは危険じゃない」
風に銀髪が流れる。
門の上で、一人の兵が身を乗り出した。リーネの顔を確かめ、隣の兵へ何かを告げる。
「……白銀のリーネ殿?」
「そう呼ばれてるね」
ざわめきが広がった。
今度こそ、弩の先が少し下がる。
やがて石門の脇にある鉄扉が開き、数人の兵が外へ出てきた。先頭のドワーフは、黒と灰色の長い髭を幾筋にも編み、金属の輪で留めている。
兵たちより一段年嵩に見えた。
「門衛長だ」
低い声で名乗り、まずリーネへ軽く頭を下げる。それから湊と三匹を順に見た。
「白銀殿が一緒なら、いきなりどうこうする気はない。だが、あれだけ目立つ従魔を連れているんだ。門を通す前に、身分と用向きだけ見せてもらうぞ」
「分かりました」
湊は冒険者証と、フェルナンドから預かった書状へ手を伸ばした。
*
門衛長は銀級三つ星の冒険者証を確かめ、封蝋を割った。
書状へ目を走らせるうちに、太い眉がわずかに上がる。最後まで読むと、紙を丁寧に折り直して湊へ返した。
「エルフ王家からの正式な書状だな。中央で工房の記録を調べたい、と」
声に出したのはそこまでだった。
視線がシロへ移る。
「街の中じゃ、その大きさは少し困る」
「小さくなれます」
湊が呼ぶと、シロの銀色の体が縮んだ。門衛長を見下ろしていた頭が下がり、最後には子犬ほどの大きさになる。
兵たちの顔に、今度は警戒とは違う驚きが浮かんだ。
――ほめられる?
「まだ何も言われてない」
シロの尾だけが先に揺れている。
門衛長は髭を撫で、それからアカを見た。
「赤い方は、火を広げなければいい」
「アカ、聞いたな」
――じょうずにする。
胸を張った拍子に炎が少し強くなり、湊は額を押さえた。
門衛長の目が最後にクロへ移る。
「肩の猫も従魔か」
「そうです」
「私は猫だ」
門衛長が一度瞬いた。
クロは金色の目を細める。
「喋る猫が珍しいか」
数秒の沈黙のあと、門衛長の腹から低い笑いが漏れた。
「白銀殿の連れなら、このくらいで驚いてちゃ務まらんか」
「どういう意味?」
リーネが眉を上げる。
「褒め言葉です」
「絶対違うよね」
門衛長は答えず、鉄扉の奥へ顎を向けた。
「通っていい。山の中じゃ音も騒ぎも外より広がる。そこだけ覚えといてくれ」
アカはまだ兵たちの髭を眺めていた。
――ふさふさ。
「もう分かったから、行くぞ」
*
門をくぐった途端、空が消えた。
山の中へ街が続いている。巨大な洞窟を削り、太い岩柱を残したまま広げたような空間だった。壁には何段もの通路が走り、石階段と鉄橋が上下を繋いでいる。
頭上では太い鎖に吊られた荷台が軋みながら動いていた。天井近くの穴から白い外光が落ち、それを補うように壁へ埋め込まれた橙色の魔石が灯っている。
外の冷気が嘘のように暖かい。
煤と油、焼けた鉄。そこへ煮込み料理と汗の匂いが混じる。槌が金属を打つ音に、荷車の車輪と巻き上げ鎖の軋みが重なり、遠くの怒鳴り声には笑い声が返っていた。
山そのものが働いているようだった。
シロが鼻を上げる。
――におい、いっぱい。
アカも忙しなく首を動かしている。工房から上がる火が気になるらしく、翼が開きかけた。
「飛ぶなよ」
――みるだけ。
「歩いて見ろ」
「ピィ……」
不満そうに鳴きながら、アカは石床を歩いた。小さくなったシロがその前を行き、すれ違うドワーフたちが何度も振り返る。
クロだけは湊の肩で平然としていた。
*
通路の壁には、大きな鉄板が掲げられていた。
中央坑道。荷運び区。宿泊区。工房窓口。
「分かりやすいな」
「ドワーフはそういうの好きだからね。掘る場所なら鉱山都市、作る場所なら工房都市。何をする場所か、そのまま」
リーネが笑う。
クロも鉄板へ目をやった。
「迷いにくいのはよい」
「クロが褒めた」
「事実だ」
その先で、人の流れが止まっていた。
荷車が何台も連なり、鉱石や木材、食料、油の樽が詰まっている。前方では係のドワーフが、槌の音に負けない声を張っていた。
「中央行きはまだ動かせん! 点検が終わるまで待て!」
「昨日も待ったぞ!」
「地鳴りがあったんだ! 天井が落ちてからじゃ遅い!」
それで不満の声が弱まった。
列の脇では、煤まみれの男が空の木箱へ腰を下ろしている。
「深層から物が上がってこん。こっちまで詰まりっぱなしだ」
隣の男が髭を掻いた。
「また鉱夫が戻ってないらしいぞ。深層寄りの組だとよ」
話はすぐ、止まった荷の愚痴へ戻った。
湊は岩壁を見る。
中央便遅延。深層方面立入制限。未帰還者の照会は守備窓口へ。
簡潔な木札が何枚も並んでいた。
リーネの顔から、さっきまでの笑みが消えた。
*
守備窓口は、岩壁を四角く掘った建物だった。
門でもらった通行札を見せると、すぐ奥の部屋へ通される。机の向こうにいた役人はリーネを見るなり立ち上がった。
「白銀のリーネ殿」
「初めまして、かな」
「私は初めてお目にかかります」
「じゃあ、初めまして」
役人は一瞬だけ言葉に詰まり、それから椅子を勧めた。
「門から連絡は受けています。アルメイダ陛下への面会でしたら、中央大坑都へ向かっていただくことになります」
湊はリーネを見る。
本人は何でもない顔をしていた。
「あ、言ってなかったね。アルメイダ、今は王様」
「……聞いてない」
肩のクロが長く息を吐いた。
「お前は昔から、大事なことほど後へ回す」
「会えば分かるかなって」
役人の口元がわずかに動いた。
笑うのを堪えたらしい。
「中央坑道は、ここ数日の地鳴りで点検中です。安全が取れれば、明朝の護送便を出します」
机の運行板には、赤い札がいくつも掛かっていた。枝道も多く、封鎖区画もあるという。外から来た者だけで抜けるには厄介そうだった。
「明朝まで待ちます」
「宿泊区へ話を通しておきます」
役人が運行板へ手を伸ばした、その時だった。
床の奥から低い震えが来た。
机の金属札が細かく鳴り、天井から白い粉がひと筋落ちる。湊が上を見た頃には、揺れはもう収まっていた。
役人は座ったまま、落ちた粉を指で払った。
「ここ数日は、これが増えています」
声が少し硬い。
それ以上は続かなかった。
まだ、向こうにも原因が見えていないのだろう。
*
宿は門に近い宿泊区にあった。
岩壁を奥へ掘って作られた部屋には窓がない。天井近くの通気穴から温かな空気が流れ、石の寝台には厚い毛布が敷かれていた。
シロは子犬ほどの姿で、すぐ湊の寝台へ上がった。
アカには、宿から鉄の止まり木が貸し出された。床へしっかり固定された頑丈なもので、アカは一目で気に入ったらしい。
――これ、アカの?
「借り物」
――もらう。
「返す」
翼で止まり木を抱く。
その間に、クロは湊の枕の中央へ丸くなっていた。
「クロは遠慮ないね」
リーネが覗き込む。
「私は小さい」
「そういう問題?」
「そういう問題だ」
湊が寝る場所は、端にしか残らなかった。
夕食は豆と肉の濃い煮込みだった。硬い黒パンも、スープへ浸せば肉の脂と香辛料を吸って柔らかくなる。
一口食べたリーネが、懐かしそうに目を細めた。
「三十年前も、よくこれ食べたなあ。アルメイダも似たようなの作ってた。鍋に何でも放り込んで、ひたすら煮るだけだったけど」
湊の頭に、王冠より先に鍋を掻き回すドワーフの姿が浮かんだ。
三十年前の勇者パーティーの一員。
今はドワーフ王国の王。
明日になれば、その本人に会える。
*
夜が深くなるにつれ、槌の音は少しずつ減っていった。
完全には止まらない。遠くの工房では、まだ一定の間隔で鉄を打っている。石壁を通して届くたび、寝台にもかすかな震えが伝わった。
湊が毛布へ入ると、シロが脇へ丸まり、アカは止まり木で頭を翼へ埋めた。クロは枕の端を占領している。
目を閉じて、しばらくした頃だった。
腹の底へ触れるような低い音がした。
槌とは違う。
シロの頭が上がり、耳がぴんと立つ。
――した。もっと、した。
湊も起き上がった。
床がかすかに震え、棚の金属杯が触れ合って短く鳴る。
一度だけだった。
向かいの寝台でも、リーネが起きている。暗い天井へ目を向けたまま、小さく呟いた。
「……深いね」
「ああ」
クロの金色の目も開いていた。
やがて山のどこかで、槌の音がまた始まった。
同じ間隔で。
何事もなかったように、鉄を打ち続けていた。




