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覚醒

湊は歩きながら、右手に浮かんだ紋様を見た。


淡い光へ意識を向けると、使い方が自然に頭へ入ってくる。


《従魔覚醒》。


契約した従魔の力を、一段階だけ引き上げる。一度きりで、使った時にそばにいる従魔へまとめて作用するらしい。


「何が出た」


左肩からクロが覗き込む。


「《従魔覚醒》」


クロの耳が立った。足元のシロも顔を上げ、アカは右手の光へ嘴を寄せてくる。


「ぴ?」


「待て」


手を引くと、アカが不満そうに羽根を膨らませた。


リーネが横から三匹を見る。


「その名前、シロたちに使うやつ?」


「ああ。一回だけみたいだ」


クロの尾が、湊の背でゆっくり揺れる。


「なら、もう少し森から離れてから試せ。どれほど魔力が動くか分からん」


振り返れば、まだ木々の間に妖精たちの光が見えた。


「そうする」


湊は右手を握った。


紋様の光が、掌の中へ沈んだ。



昼前には、世界樹の甘い匂いがほとんど消えていた。


木々も途切れ、北へ続く丘陵が広がっている。乾いた風が草を伏せ、その向こうには雲と見分けにくい灰色の山影があった。


ドラウグ山脈。


湊たちは街道を外れ、人の気配がない岩場へ入った。平たい石が重なり、中央には古い倒木が一本横たわっている。


《マッピング》にも、近くに光点はない。


「ここならいいか」


荷物を下ろす。


シロが子犬ほどの姿から本来の大きさへ戻った。アカも肩を離れ、倒木の上へ降りる。クロだけはいつもの場所に残った。


湊は三匹へ目を向ける。


シロが尾を振った。


――やる?


「ああ」


アカも翼を開く。


「ぴぃ!」


クロの爪が、肩の布を軽く掴んだ。


「やれ」


湊は目を閉じた。


三匹との繋がりを意識する。


最初に浮かんだのは、暗い地下牢だった。


痩せた黒猫。硬いパンを分けた夜。金色の目。


次に、街道脇の草原。


置いた肉。距離を取ったまま待った三日間。最後に、自分から差し出された銀色の頭。


赤い卵が割れた時の熱も戻ってくる。


掌の中で生まれた小さな鳥。迷うことなく顔へ飛びついてきた温もり。


胸の奥で、三つの繋がりが重なった。


契約だけではない。


ここまで一緒に歩いてきた三匹だった。


湊は右手を開く。


白い光が立ち上がり、細い糸のように三方向へ伸びた。


クロへ。


シロへ。


アカへ。


光が触れた瞬間、岩場を風が駆け抜けた。



シロの銀毛が大きく波打った。


足元で砂が跳ねる。四肢が太くなり、背が持ち上がっていく。骨格が一回り大きくなっただけなのに、立っているだけで岩場が狭く見えた。


青白い光が、銀毛の奥を細く走る。


「シロ」


大きな頭が下がった。


青い目が湊を映す。


――みなと。


届いた念話が、以前よりはっきりしていた。


――ちゃんと、ことば、できる。


湊は目を瞬く。


「ああ。聞こえる」


シロの尾が勢いよく振られた。風圧で外套が膨らむ。


――シロ、おおきくなった。つよくなった。


「それも分かるのか」


――わかる。


得意げに胸を張る。


リーネには念話までは聞こえない。それでも様子で分かったらしい。


「すごく嬉しそうだね」


その声に重なるように、倒木の上で赤い炎が膨らんだ。


アカの輪郭が炎の中で大きくなる。


翼が広がる。


熱い風が頬を撫でた。


炎がほどけた時、そこにいたのは鷹よりも大きな赤い鳥だった。広げた翼は湊の背丈を越え、深紅の羽根の後ろで長い金色の尾羽が揺れている。


「ピィィッ!」


澄んだ声が丘へ響いた。


直後、別の声が胸へ飛び込んでくる。


――みなと!


湊は動きを止めた。


感情だけではない。


幼いけれど、はっきりした言葉だった。


――みなと。すき!


赤い体が真正面から飛び込んでくる。


「待て、アカ」


間に合わなかった。


胸へ頭を押しつけられ、湊は二歩よろける。アカは気にもせず、大きな頬を何度も擦りつけてきた。


――すき。みなと、すき!


「分かった。分かったから」


羽根に埋もれながら押し返す。


――やだ。


「大きくなっても変わんないね」


リーネが笑っていた。



ようやくアカを離し、湊は肩を見る。


クロはそこにいた。


黒い子猫のまま。


折れた耳も、金色の目も、前足の大きさも変わっていない。


けれど、光が届かなかったわけではなかった。


発動した一瞬、いつもより深いところでクロの存在に触れた感覚が残っている。


「クロは……」


「届いている」


クロは自分の前足を見て、爪を出した。すぐ引っ込める。


「私にも分かる。見た目はこのままだな」


それだけ言って、湊を見る。


「別に困らん」


「そっか」


「何だ、その顔は」


クロの前足が頬へ伸びた。肉球が軽く触れる。


「私はここにいる。それで十分だろう」


湊は小さく息を吐いた。


「ああ」


シロの念話が割り込む。


――クロ、ちいさい。


クロの耳が横へ倒れた。


「……覚醒して最初に私へ言うことがそれか」


アカも首を伸ばした。


――クロ、ちいさい。かわいい。


「お前まで乗るな」


――かわいい。


クロの尾が膨らむ。


リーネが三匹を見比べた。


「何か言われた?」


「聞かない方がいい」


クロが先に答えた。


湊は笑いを堪えながら、黒い背を一度撫でる。


クロは手を払わなかった。



少し休んでから、新しく開いた力を試した。


まずはシロだった。


岩場の端へ移動し、倒木へ向き直る。銀毛の間を抜ける風が、さっきまでとは違う音を立てていた。


――やる。


「小さくな」


――わかった。


前足が振られる。


空気が鋭く鳴った。


少し離れた倒木の枝が落ちる。


湊は切断面を見る。刃物を入れたように滑らかだった。


「風か」


リーネが枝を拾う。


「使いやすそうだね」


――もっと、できる。


シロの牙の間で、青白い光が瞬いた。


嫌な予感がした。


「シロ、待――」


雷鳴が弾けた。


倒木の幹が爆ぜ、焦げた木片が岩へ降り注ぐ。


耳の奥が痺れた。


「シロ!」


湊が駆け寄る。


銀の巨体がふらついた。呼吸が荒く、毛の間に走っていた青白い光も消えている。


――つかれた。


「そりゃ疲れるだろ」


首元へ手を当てる。体温はいつもより高い。


クロも岩からシロを見上げた。


「威力に体が追いついていない。続けて使うものではなさそうだ」


――わかった。


シロの耳が伏せる。


――ごめんなさい。


「次から気をつければいい」


湊が首を撫でると、大きな頭が押しつけられた。


重い。


以前より、ずっと。



シロを休ませている間に、アカが空へ上がった。


一度翼を打つだけで、高く舞い上がる。


赤い尾が青空へ長く伸びた。


――みなと、みて!


嘴の前に炎が集まる。


「岩へ。草には撃つなよ」


――わかった!


火球が飛んだ。


拳より大きな炎が離れた岩へ当たり、赤い火の粉が散る。岩肌が黒く焦げた。


アカの尾羽が大きく揺れた。


――できた!


「できたな」


喜んだ次の瞬間、また嘴が開く。


今度は火球ではない。


長い炎が岩場を横へ走った。


「アカ!」


炎の先が草へ近づく。


銀色の光が横切った。


リーネの剣が生んだ風圧で、炎が空へ逸れる。熱気だけが頭上を抜けていった。


アカは空中で固まった。


ゆっくり地面へ降りる。


――ごめんなさい。


「今のは危ない」


――うん。


翼がしょんぼりと下がる。


クロが近くの岩へ飛び乗った。


「まずは火球だけにしておけ。広く吐く炎は、周りを見てからだ」


アカはクロを見る。


――クロ、ちいさいのに、えらそう。


金色の目が細くなった。


「湊。この鳥を焼き鳥にしてよいか」


「駄目だ」


「冗談だ」


アカが湊の背後へ回る。


体が大きすぎて、ほとんど隠れていなかった。


リーネが眉を上げる。


「今度は何?」


「たぶん知らない方がいい」



昼を過ぎるまで、岩場で休んだ。


シロの呼吸が落ち着く頃には、風も少し冷たくなっていた。


移動を再開する前に、シロが地面へ伏せる。


広くなった背中を見て、リーネが手を置いた。


「これなら二人でも余裕ありそう」


――のれる。ふたり、だいじょうぶ。


「大丈夫だって」


湊が伝える。


先に背へ乗り、リーネも後ろへ続いた。アカは空へ上がり、クロはいつもの左肩に戻る。


シロが立ち上がった。


視線が一気に高くなる。


「行けるか」


――いける。


銀色の体が走り出す。


最初の一歩で、景色が後ろへ流れた。


草を蹴る音。


頬を叩く風。


頭上ではアカの赤い翼が陽光を弾いている。


丘をいくつも越え、北の山影が少しずつ濃くなっていった。


一刻ほど経った頃、シロの速度が落ちた。


呼吸は乱れていない。


それでも、足の運びが重い。


「シロ、止まろう」


――まだ、はしれる。


「今日は初めてだ」


――でも。


「休もう。急ぐ旅じゃない」


耳は不満そうに伏せたが、シロは素直に速度を落とした。


木陰へ入る。


湊とリーネが降りると、銀色の巨体が草へ伏せた。二人を乗せて長く走るには、途中で休ませた方がよさそうだった。


水を出すと、シロが大きな舌で飲む。


アカも地面へ降り、翼を畳んだ。


クロは湊の膝へ移り、いつもの大きさのまま丸くなる。


「便利になったね」


リーネがシロの背を撫でた。


「ああ。でも、無理はさせない」


クロが目を閉じる。


「それでいい」


湊はシロの銀毛へ背を預けた。


温かい。


反対側から、アカも体を寄せてくる。以前より大きな炎は、触れる場所だけ柔らかく温度を落としていた。


――みなと。


アカの声が届く。


――いっしょ、うれしい。


シロも顔を寄せてくる。


――シロも。ずっと、いっしょ。


膝の上で、クロの尾が一度だけ動いた。


「……騒がしい」


そう言いながら、丸くなった体は離れなかった。


湊は三匹へ手を伸ばす。


姿が変わった。


力も増えた。


言葉も少し増えた。


それでも、手に触れる温度は同じだった。


風の向こうには、ドラウグ山脈がある。


湊たちはしばらく木陰で休み、それからまた北へ進んだ。


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