残されたもの
オウルの死は、朝まで中枢だけに伏せられた。
治療室には兵と治療担当が残り、夜の出入りと室内の痕跡が調べられた。窓は閉じたまま。扉の警備にも乱れはなく、外から誰かが入った形跡は見つからなかった。
寝台から剥がされたシーツと、天井の金具。
昨夜そこで起きたことと、兵の記録は食い違わなかった。
湊は調査が終わるまで、治療棟の外にいた。
朝露に濡れた石床が冷たい。シロは足元に伏せ、アカも今日は鳴かなかった。クロは湊の肩で、ずっと目を閉じていた。
やがて扉が開く。
フェルナンドが出てきた。
目の下に薄い影が落ちている。
「昼前に、集まってください」
それだけ言って、廊下の奥へ歩いていった。
*
小さな会議室には、オウルが使っていた椅子が残されていた。
国王、フェルナンド、レーア、リーネ、妖精族の長。湊とクロも席につく。
誰も空いた椅子へ座らなかった。
机の上に、数枚の記録が置かれている。
フェルナンドが一枚目を開いた。
「オウルが話した内容は、ここまで残っています」
十二人を選んだこと。エイラとダリウスがどう関わったか。《物品化》で秘匿牢へ運んだこと。北西の根へニーズヘッグの幼体を運んだこと。
そして、ヴェルナー・グレイスの名。
「物証と照らせるものから、国の記録に残します」
フェルナンドの声は静かだった。
「本人が亡くなったからといって、話したことまで消すつもりはありません」
国王の手が、机の上で止まる。
「王族であったことも隠すな」
フェルナンドが顔を上げた。
「はい」
「術式を受けていたこともだ」
国王は空いた椅子を見た。
「だが、死で償ったとは書くな」
部屋が静まる。
「それで消える罪ではない。あれが救いだったことにもするな」
レーアの指が、膝の上でゆっくり握られた。
フェルナンドは記録へ目を落とす。
「そのように残します」
湊も空いた椅子を見る。
穏やかに笑っていたオウルを知っている。
十二人を心配していた声も聞いた。
その同じ手で、十二人を牢へ運んでいた。
片方だけを思い出すことはできなかった。
*
十二人の治療記録も机に置かれていた。
全員が回復へ向かっている。三人は短い時間なら起きていられるようになり、ほかの者も呼びかけへの反応が戻ってきていた。
フェルナンドは記録を閉じる。
「事件については、まだ聞きません。治療担当にも伝えてあります」
レーアが小さく息を吐いた。
「家族と過ごせていますか」
「ええ。今はそれを優先しています」
国王が頷く。
「本人たちが話せるようになってからでよい」
それ以上、十二人のことは話題に上らなかった。
今は、眠れる者を眠らせる時間だった。
*
会議が終わっても、レーアは席を立たなかった。
国王とフェルナンドが先に出る。妖精族の長も、世界樹の根へ戻っていった。
湊も立ち上がりかけたが、リーネが動かないのを見て足を止める。
レーアの手が、空いた椅子の背へ伸びた。
「昨日まで、ここにいたのですね」
リーネが隣へ歩み寄る。
「うん」
「変わっていることには、気づいていました」
レーアの指が木の縁をなぞる。
「目つきも、言葉も。時々、知らない人みたいになることも」
声は崩れなかった。
「疲れているのだと思いました。役目が増えたからだと」
リーネはしばらく黙っていた。
「あたしも、帰ってきてからちゃんと話してなかった」
レーアが妹を見る。
「何百年ぶりだったのにね」
リーネは苦く笑った。
「兄さまのこと、分かってるつもりだった」
レーアの手の上へ、自分の手を重ねる。
それ以上は言わなかった。
二人の手だけが、空いた椅子の背に残った。
湊はクロを抱き上げ、静かに部屋を出た。
*
夕方。
湊たちは世界樹の根元にいた。
森を満たすマナは、まだ薄い。以前なら外で遮られていた鳥の声が、遠くから聞こえてくる。
シロが太い根へ鼻を近づけた。
――まだ、いたい。
湊も根へ手を置く。
冷たい表面の奥で、淡い温もりが脈打っていた。
――でも、あったかい。
「ああ」
アカが根の上へ降りた。すぐに足を浮かせ、嫌そうに翼を広げて湊の肩へ戻ってくる。
「ぴぃ……」
リーネが少しだけ笑った。
太い根へ背を預け、空を見上げる。
しばらくして、口を開いた。
「あたし、行くよ」
湊は隣を見る。
「レーア姉さまたちも父上も、ここでやることがある。あたしにも、まだある」
銀髪が風に揺れた。
「オウル兄さまがいなくなったからって、ここに座ってても戻ってこないしね」
声は平らだった。
けれど、根へ置いた指は動かなかった。
湊は何も言わず、少し待った。
リーネが息を吐く。
「南方のことも、グランデルのことも残ってる」
「ああ」
「だったら、止まれない」
湊は世界樹を見上げる。
傷ついた北西の根は、ここからは見えない。それでも、幹を流れる光は以前より弱く、ところどころ途切れていた。
完全には戻っていない。
失ったものも戻らない。
それでも、根の奥で温かな光がもう一度脈打つ。
リーネが背を離した。
「戻ろ。次の行き先を決めないと」
「ああ」
シロが先に歩き出す。
アカが肩で翼を畳み、クロは反対側の肩から世界樹を見上げていた。
湊たちは、夕暮れの森を王宮へ戻った。
背後で、世界樹の葉が低く鳴っていた。




