ひとり、夜に溶ける
その夜、湊は一度眠りについた。
どれくらい経ったのか分からない。
乾いた葉が窓を擦る音で、ふと目が覚めた。
部屋は暗い。シロは足元で丸まり、アカはその背に顔を埋めている。クロも枕の端で目を閉じていた。
湊はしばらく天井を見ていた。
香木の匂いが、まだ服に残っている気がする。
安置室で見たオウルの小さな笑みが浮かんだ。
胸の奥が、急に冷えた。
理由はなかった。
湊は《マッピング》を開く。
治療室に、オウルの緑の光点があった。
その輪郭が揺らぐ。
薄くなる。
「クロ」
金色の目が開いた。
次の瞬間、光点が消えた。
湊はもう寝台を降りていた。
*
夜の王宮を走る。
クロが肩へ飛び乗った。後ろで起き上がったシロへ、湊は振り返らず声を投げる。
「ここにいてくれ」
廊下に足音が跳ね返る。
治療棟の前にいた兵が、湊の顔を見て身を起こした。
「開けてください」
鍵が外れる。
薬草の匂いが流れてきた。
湊は扉を押し開けた。
足が止まる。
魔石灯の淡い光の下。
オウルの体が、床から離れていた。
寝台からなくなった白いシーツが、天井の魔力灯を支える金具から垂れている。
揺れてはいなかった。
何も動いていない。
「……オウルさん」
声が出たのか、自分でも分からなかった。
クロが肩から飛び降りる。
「湊!」
その声で体が動いた。
湊は駆け寄り、オウルの体を支えた。兵たちもすぐに飛び込み、一人が治療担当を呼びに走る。
床へ下ろされたオウルの体は、まだ温かかった。
胸は動いていない。
「オウルさん」
肩へ触れる。
返事はない。
治療担当が駆け込んでくる。寝台の脇に膝をつき、胸へ手を当てた。
治癒の光が何度も流れる。
呼びかける声が重なる。
クロは少し離れた場所で立っていた。
金色の目を逸らさない。
やがて、一人の治療師が手を止めた。
誰も何も言わなかった。
薬草の匂いだけが、部屋に残った。
*
最初に来たのはレーアだった。
髪も結ばず、薄い上着を羽織っただけで駆け込んでくる。
扉を越えたところで、足が止まった。
寝台の上には、オウルがいる。
治療担当の手は、もう動いていない。
レーアは何も尋ねなかった。
ゆっくり寝台へ近づき、膝をつく。
「オウル」
手を取る。
まだ温かい。
「……オウル」
握った指に力が入る。
返事はない。
「話すって……」
声がそこで途切れた。
額が、オウルの手の甲へ触れる。
そのまま動かなかった。
*
フェルナンドと国王が来た。
少し遅れて、リーネも扉の前へ現れた。
リーネは中へ入らなかった。
寝台を見たまま、扉の脇に立っている。握った右手の爪が、掌へ食い込んでいた。
フェルナンドは室内を見回した。
閉じた窓。
開けられた扉。
寝台から剥がされたシーツ。
天井の金具。
床に落ちた白い布の端。
視線がそこで止まった。
国王はレーアの隣へ立った。
オウルの顔を長く見下ろし、やがて髪へ触れる。
指先が一度だけ震えた。
何も言わなかった。
*
湊は壁際に立っていた。
《マッピング》を開いた時には、まだ光があった。
ほんの一瞬。
その直後に消えた。
もっと早ければ。
言葉になりかけて、そこで止まった。
いつなら間に合ったのか。
何を言えば止まったのか。
湊には分からない。
足元に柔らかなものが触れた。
クロの尾だった。
湊は俯いた。
レーアはまだ手を握っている。
国王は髪に触れたまま動かない。
フェルナンドは寝台の脇に立ち、リーネは扉の外からこちらを見ている。
誰も声を上げなかった。
それでも、部屋の空気はひどく重かった。
オウルが最後に何を考えていたのか。
それだけは、もう聞けない。
窓の外が少しずつ白み始める。
世界樹の葉の隙間から朝の光が入り、寝台の端へ届いた。
オウルの手は、レーアの手の中にあった。
握り返すことはなかった。




