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傷痕

事件から、五日が過ぎた。


十二人は全員、生きていた。まだ治療棟を出られない者もいるが、長く眠ったままの者も、少しずつ食事を取れるようになった者もいる。家族の声に、涙だけを流した者もいた。


回復の速さは違う。それでも、命が失われる危険は越えたと、治療担当は話した。


湊は治療棟の扉の前で、それを聞いた。中には入らなかった。開いた扉の向こうから、低い話し声と、ときどき押し殺した泣き声が聞こえてくる。


シロが足元から扉を見上げた。


――あわない?


「ああ。今は家族がいるから」


シロの耳が動く。しばらく扉を見てから、尾を一度振った。


――よかった。


「そうだな」


アカが肩の上で小さく鳴き、頬を首元へ擦りつける。反対側の肩では、クロが目を閉じたまま鼻を鳴らした。


湊は扉の奥へもう一度耳を澄ませてから、その場を離れた。



世界樹の北西の根にも、変化が出ていた。


腐食は止まっている。黒く変色していた表面の縁には、薄い緑が戻り始めていた。


だが、ニーズヘッグが食い込んでいた場所には、大きな窪みが残っている。近づくと、湿った土に混じって、薬草に似た苦い匂いが鼻に残った。


妖精族の長が傷へ光を流している。周囲では何匹もの妖精が根へ小さな手を当て、淡い光を重ねていた。


「腐りは止まった。時間はかかるが、この根はまだ生きておる」


長は傷を見上げる。


「新しい根が覆っても、傷そのものが消えるわけではない」


完全封鎖結界の反動も、森のあちこちに残っていた。以前より風が深く入り込み、遠くでは外の鳥の声まで聞こえる。


妖精族の長の光も弱い。飛ぶ高さは低く、羽ばたくたびに少し体が沈んだ。


「我らもしばらくは休まねばならぬ者が増えるだろう」


湊は頭上を見上げた。色を失った葉が、風に押されて一枚落ちる。


長は根へ手を置いたまま、その葉を見送った。


「森は、人より長く傷を持つ」



王宮へ戻る途中、リーネはほとんど話さなかった。


銀髪が風に揺れる。何度か口を開きかけたが、そのたびに閉じた。


やがて、前を見たまま言う。


「このあと、オウル兄さまのところへ行く」


「うん」


「レーア姉さまも兄上も、毎日顔を出してる。父上も夜には来てるみたい」


声に疲れが滲んでいた。


少し先で、リーネが足を止める。露出した世界樹の根へ手を置き、しばらく黙った。


「何を言えばいいのか、分かんなくなるね」


湊はすぐには答えなかった。


言葉が役に立たない時はある。それでも、黙って隣にいることで呼吸が戻った夜もあった。


「無理に言わなくてもいいんじゃないか」


リーネが根へ置いた手を見る。


「……そっか」


小さく息を吐き、また歩き始めた。



オウルの治療室には、世界樹の細い根が伸びていた。


妖精族の長が魔力回路を支え、クロが日に一度、首筋に残る術式を見ている。黒い筋は少しずつ薄くなっていたが、まだ皮膚の奥に残っていた。


クロが胸元へ前足を当てる。黒い筋が、その下でかすかに脈打った。


「まだ深いな。無理に剥がせば、お前の回路まで傷つく」


しばらく様子を見てから、クロは前足を離した。


「焦るな。まだ時間はかかる」


オウルが目を開ける。顔色は、数日前より戻っていた。


「……そうですか」


「数か月で済むか、それ以上か。完全に消せるところまで戻るかは、まだ見通せん。回路が戻るのを待て」


オウルは静かに頷いた。


手首には、《物品化》を封じる術式が残っている。指先が、その印をなぞった。


レーアが寝台の横へ座り、今日の治療記録を閉じる。


「十二人は、今日も落ち着いています。食事を取れた方も増えました」


オウルの肩から、わずかに力が抜けた。


「そうですか」


窓の外へ目を向ける。世界樹の枝には、封鎖の反動で色を失った葉がまだ混じっていた。


しばらくして、唇が動く。


「エイラとダリウスは……まだ、王宮に?」


「ええ」


二人の体は、調査が終わるまで安置されたままだった。爆発の痕跡だけでなく、体に残った術式も調べられている。


オウルは目を伏せた。


「僕が、あの場所へ連れていった」


レーアは何も言わない。


「二人の忠誠を利用した。僕のためなら何でもすることを知っていた。それを使って、十二人を攫った」


声は静かだった。


レーアの手が伸びる。


オウルは避けなかった。重ねられた手を見つめ、指先をわずかに曲げる。


長い沈黙のあと、オウルが小さく息を吐いた。


「……すみません」


レーアの手は離れなかった。



夕刻。


客室へ戻ると、シロが先に寝台へ飛び乗った。子犬ほどの体で毛布を掘り、できた窪みへアカが座り込む。


クロは窓枠へ上がった。


湊は椅子へ腰を下ろしたが、しばらく外套を脱がなかった。


「静かすぎたな」


クロが窓の外を見たまま言う。


「ああ」


それ以上は続かなかった。


治療室で見たオウルの顔が、妙に残っていた。十二人の無事を聞いても、エイラとダリウスの話をしても、声の波がほとんど変わらなかった。


窓の外が暗くなる。細い月が、世界樹の枝の間に浮かんでいた。


湊は外套を脱ぎ、寝台の脇へ置く。


傷ついた世界樹の葉が、夜風の中で擦れ合っていた。


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