呼ぶ声
オウルの魔力が膨れ上がった。
紫の光が地面を走り、焦げた根が弾ける。湊は足元から影を伸ばし、オウルの影へ絡めて地面へ縫い止めた。
「ぐっ……!」
体が止まる。だが、すぐに影が軋んだ。
暴れる魔力が内側から押し返してくる。湊の腕まで震え始めた。
「長くは保たない」
「十分だ」
クロが駆けた。
小さな黒い体でオウルの胸へ飛び乗り、首筋を走る黒い筋へ前足を押し当てる。金色の目が細くなった。
リーネが横へ回る。
「無理に剥がさないで」
「分かっている。今引き抜けば、こいつの中まで一緒に傷つく」
オウルが身を反らした。紫の魔力が弾け、クロの体が浮く。
リーネが片手で受け止め、そのまま膝をついた。
「どうする?」
「もう一度、胸へ」
リーネがクロを戻す。
クロは爪を立てた。皮膚を傷つけるのではなく、黒い筋がどこへ集まっているのかを探るように、前足を少しずつ動かしていく。
「エイラとダリウスから戻ったものが、全部こいつへ集まっている」
クロの声が低くなる。
「このまま暴れれば、魔力回路が持たん」
オウルの口から掠れた声が漏れた。
「エイラ……ダリウス……」
視線が倒れた二人へ向く。
エイラの手は、まだオウルの袖を掴んでいる。ダリウスの割れた盾は、最後までオウルの前へ残されていた。
「僕が……」
オウルの顔が歪む。
その瞳から、ふっと温度が消えた。
「違う」
低く、冷たい声だった。
「役目を果たしただけだ」
唇が笑おうとする。けれど、頬を流れる涙は止まらない。
「外の者など、いくら失っても――」
「黙れ」
クロが黒い筋を押さえ込んだ。
オウルが叫ぶ。
膨れた魔力が湊の影を引き裂き、拘束が外れた。オウルの手がクロへ伸びる。
その手首を、リーネが掴んだ。
「オウル兄さま」
オウルの視線が揺れる。
「誰だ」
「リーネだよ」
「知らない」
「そう」
リーネは手を離さなかった。
「じゃあ、思い出して。剣を振り回して国を飛び出して、家にはずっと帰らなかった妹だよ」
「違う……」
「何が?」
「お前は……姉上たちとは違う」
怒りが浮かぶ。
「自由で。強くて。誰にも必要とされなくても、好きに生きて――」
言葉が途中で止まった。
リーネの指に、わずかに力が入る。
「うん」
否定しなかった。
「そう思ってたんだね」
オウルが息を呑む。
「でも、その話は後で聞く」
リーネは目を逸らさない。
「戻ってきて。逃げないで、自分の口で話して」
「戻る……?」
「うん」
「二人が死んだことも。十二人を攫ったことも。全部、自分で見て、自分で話して」
オウルの瞳が揺れた。
「嫌だ」
幼い声だった。
「見たくない」
「それでも見るんだよ」
リーネの声は静かだった。
「生きてるんだから」
*
焦げた地面の下で、淡い金色の光が走った。
世界樹の根を伝い、細い筋がオウルの背へ届く。暴れていた紫の魔力が一瞬だけ弱まった。
クロが息を吐く。
「来たか」
根の奥から、妖精族の長の声が響いた。
『魔力回路を支える。今のうちに黒い根元を抑えよ』
「言われなくとも」
クロが目を閉じる。
前足の下へ金色の光が集まった。大きくはない。今の黒猫の体で扱える魔力はわずかだ。それでも、黒い筋が最も強く脈打つ場所へ、光を押し込んでいく。
「湊」
「ああ」
湊はオウルの背後へ回り、肩を押さえた。影は細く伸ばし、体が大きく跳ねる瞬間だけ地面へ引き戻す。
「無理をするなよ」
クロの声が飛ぶ。
「分かってる」
根から届く金色の光と、オウルから噴き出す紫の魔力がぶつかる。湿った夜気に焦げた匂いが混じり、オウルの呼吸が荒くなった。
その時、根を伝う光がもう一度脈打った。
『オウル』
レーアの声だった。
オウルの瞳が動く。
「姉……上」
『ええ』
声は震えていた。それでも途切れない。
『帰ってきてください』
「帰れない」
『帰ってきて』
「僕は……」
『あなたが何をしたのか、私も一緒に見ます』
オウルの息が止まった。
『だから、一人で隠れないで』
別の声が重なる。
『オウル。聞け』
フェルナンドだった。
短く、強い声。
『十二人は生きている』
オウルの目が見開かれた。
「生きて……」
『湊さんが守った。全員だ』
紫の魔力が揺らいだ。
だが、首筋の黒い筋がまた強く脈打つ。
「違う!」
オウルが叫んだ。
「僕は正しかった! エルフのために、世界樹のために――」
『なら、自分の口で話せ』
フェルナンドの声は変わらない。
『帰ってこい、オウル』
オウルの顔が崩れた。
怒りと恐怖が入り混じり、何かを堪えるように歯を食いしばる。
「僕は……兄上に」
『聞いている』
「姉上たちに……」
『聞いています』
レーアが答えた。
リーネも手を握ったまま言う。
「あたしもいるよ、オウル兄さま」
オウルは声の主を探すように目を動かした。
最後に、湊を見る。
「湊さん」
今度の声は、広場で聞いたオウルのものだった。
「僕は、十二人を……」
「はい」
湊は頷いた。
「でも、十二人は生きています」
オウルの唇が震える。
「エイラと、ダリウスは」
誰も答えなかった。
オウル自身が二人を見る。
そこにある現実から、もう目を逸らせなかった。
長い息が喉から漏れる。
泣き声にはならなかった。
「クロ」
湊が呼ぶ。
「ああ。今だ」
クロの前足へ金色の光が集まる。
「消し飛ばすんじゃない。動きを止めるだけだ」
光が黒い筋の中心へ沈んだ。同時に、根を伝う妖精族の長の光が強くなる。
オウルの体が弓なりに反った。
紫の魔力が夜空へ噴き上がる。
湊は肩を押さえ、跳ねる瞬間だけ影で支える。リーネも手を離さない。
やがて、黒い筋の脈動が弱くなっていった。
消えてはいない。
皮膚の奥へ沈み、動きを止めただけだった。
オウルの体から力が抜ける。リーネがそのまま抱き止めた。
「オウル兄さま」
瞼がわずかに開く。
紫の瞳が、リーネを捉えた。
「……リーネ」
「うん」
「僕は……戻れた?」
リーネはすぐには答えなかった。
夜風が銀髪を揺らす。
「ここにいるよ」
それだけ言った。
オウルの目が閉じた。
呼吸は弱いが、先ほどまでの乱れはない。
クロが胸から降りようとして足をふらつかせた。湊が両手で受け止める。
「大丈夫?」
「誰に言っている」
声にはほとんど力がなかった。
それでもクロはオウルへ目を向ける。
「術式は止まっただけだ。まだ中に残っている。治療はこれからだ」
根の光が淡く脈打つ。
『十二人も、まだあの袋の中だ』
妖精族の長の声だった。
湊は退避場所の方角を見る。
十二人の入った袋がある。
オウルも生きている。
けれど、まだ終わってはいない。
「運ぶよ」
リーネがオウルを抱き上げた。
その袖から、エイラの指が滑り落ちる。
乾いた土へ、静かに落ちた。
リーネは一度だけ足を止める。
それからオウルを抱いたまま、退避場所へ歩き始めた。




