崩壊
リーネの指が動いた。
湊は分身を根の陰から走らせた。六人の視線が一斉にそちらへ向き、前にいた二人が武器を抜く。魔術師の杖にも光が集まり、中央の男は伸ばしていた手を引いた。
「誰だ!」
オウルも振り返る。
その瞬間、湊は近くの影へ沈んだ。
外の音も景色も消える。《マッピング》でオウルの位置を捉え、その足元へ続く影を辿る。
次に全身を戻した時、目の前に黒い魔法袋があった。
オウルが息を呑む。
「湊、さん……?」
湊は答えず、無銘を振った。刃が肩紐だけを断ち、落ちかけた袋を左腕で抱える。
背後で魔力が膨らんだ。
湊はそのまま影へ沈む。
直後、さっきまでいた場所を火球が焼いた。
*
岩の窪地へ続く影から全身を戻した。
勢いを殺しきれず、片膝が地面へつく。腕の中には、黒い魔法袋があった。
シロが駆け寄る。
――みんな?
「たぶん、この中だ」
袋に目立った傷はない。
湊は治療担当へ差し出した。
「開けないでください。中身を戻す方法を確認するまで、このままで」
治療担当が両手で受け取る。シロはすぐにその前へ立ち、銀色の体で袋を隠した。アカも背から飛び降り、その横で羽根を広げる。
これで、十二人は戦場から離れた。
湊は《並列思考》のもう一方へ意識を向ける。分身はまだ動いていた。
「確保した!」
分身の声が夜の岩場へ響いた。
*
リーネが踏み込んだ。
一息で中央の男との距離を詰め、振り抜いた剣で手の中の通行標を弾く。そのまま返した刃が魔術師の杖を叩き落とした。
もう一人が詠唱を始める。
リーネは足元の石を蹴った。
乾いた音とともに石が額へ当たり、詠唱が途切れる。
「動かないで」
低い声だった。
六人が散って囲もうとする。だが、誰かが一歩入るたびに銀の剣が走り、剣や短槍、杖だけが地面へ落ちた。
ダリウスが盾を構え、オウルの前へ出る。
「オウル様。お下がりください」
エイラもふらつくオウルの腕を支えた。
オウルは、魔法袋のなくなった肩を押さえている。
「十二人を……」
視線が分身へ向いた。
焦りと怒りが浮かび、その奥で何かに戸惑うように瞳が揺れる。
「返せ」
掠れた声だった。
「返せ。あれがなければ……」
言葉が途切れた。
オウルが頭を押さえる。
「違う……僕は、何を……」
エイラの顔が強張った。
「オウル様」
「エイラ」
オウルは自分を支える手を見た。
「僕たちは、何をしている」
その声だけが、湊の知っているオウルに戻っていた。
エイラの唇が震える。
ダリウスも盾越しに振り返った。
クロが低く唸る。
「術式が揺れている」
オウルの首筋に、黒い筋が浮かんだ。細い根のようなものが皮膚の下を走り、エイラとダリウスも同時に息を詰まらせる。
三人の魔力が、引き合うように脈打った。
「リーネ。三人を離せ!」
クロの声に、リーネが踏み出す。
その時だった。
中央の男が、血の滲んだ手を自分の胸へ押し当てた。
鎧の隙間から濁った光が漏れる。
クロの毛が逆立った。
「伏せろ! そいつ、爆ぜるぞ!」
*
分身の視界に、膨らむ光が見えた。
湊は反射的に分身を走らせる。
男の肩へ手が届く。
その瞬間、濁った光が弾けた。
白い閃光が分身の視界を塗り潰し、《並列思考》の片側が強く途切れる。湊は頭を押さえ、膝をついた。
直後、森の向こうから爆音が届いた。
熱い風と土埃が岩の窪地まで押し寄せる。シロは治療担当と魔法袋の前へ体を入れ、アカも低く炎を広げた。
袋は無事だった。
湊は歯を食いしばって立ち上がる。
「ここを頼む」
シロが振り向いた。
――みなと。
「戻る」
湊は影へ沈んだ。
*
岩場へ戻ると、焦げた匂いが鼻を刺した。
熱を持った土から煙が立ち、細かな木片がまだ落ちている。受け渡しに来た六人の姿は、崩れた地面と煙の向こうへ消えていた。
リーネは少し離れた場所で膝をつき、腕の中にクロを抱えている。外套は裂け、頬に細い傷が走っていた。
「大丈夫か」
「あたしは平気」
リーネの声はかすれていた。
湊の視線が、その先へ動く。
大きな盾が地面へ突き立っていた。
ダリウスが、その後ろに立っている。
背中の鎧は砕け、盾を支える腕はもう動いていなかった。それでも体だけは最後まで、オウルの前に残っている。
さらに後ろでは、エイラがオウルへ覆いかぶさっていた。
片手が外套の袖を握っている。
爆発の瞬間、ダリウスの盾の後ろへ引いたのだと分かった。
「……エイラ」
オウルの手が、彼女の下から伸びた。
返事はない。
「ダリウス」
割れた盾も動かない。
オウルは二人を見た。何度も視線を往復させ、目の前の形を理解できないように唇を震わせる。
「なぜ……」
首筋の黒い筋が膨れた。
オウルの体が大きく跳ねる。
同時に、エイラとダリウスの体から黒い光が抜けた。二本の細い筋が宙を走り、オウルの胸へ吸い込まれる。
クロがリーネの腕から飛び降りた。
「従側が切れた。主へ戻っている」
紫色の魔力がオウルの体から噴き上がる。
周囲の根が軋み、土が震えた。
オウルが顔を上げる。
涙が頬を流れていた。
「殺す……」
声は低く、掠れている。
「全部……奪った者を……」
誰へ向けているのか分からない言葉だった。
湊の手が無銘へ伸びかけた。だが、そこで止める。
クロが、皮膚の下で蠢く黒い筋を見据える。
「湊。押さえろ」
「ああ」
「今度は、体ではない」
オウルの魔力が、さらに膨れ上がった。




