許可
翌日。新月まで、あと二日。
結界術師が根の節点を整え、守備隊が国境へ向かった。オウルも、エイラも、ダリウスも働き続けている。
秘匿牢には薬と水が運ばれた。妖精族の長が周囲の根から流れを見張り、湊もエイラの位置を追ったが、十二人の命に大きな変化はなかった。
その日は、それだけで終わった。
さらに翌朝。
新月まで、あと一日。
王族による最終確認が始まった。
*
湊は王宮の作業所に立っていた。
机の上には区画ごとの確認記録が積まれ、結界術師が印を確かめ、守備隊が人員を照合している。最後に担当する王族が根の節点を確認し、魔力印を残す手順だった。
フェルナンドが地図へ指を置く。
「私とレーアは東側。リーネは北側を担当します」
残った区画へ指先が移った。
「オウルは南西側です」
湊は色分けされた地図を見る。個々の節点までは描かれていない。
「非常避難路も南西側に?」
「あります。正確な場所は担当者と同行する結界術師にだけ伝えます」
予定どおりだった。
そこへレーアが入ってきた。後ろにはオウル、エイラ、ダリウスもいる。
「兄上。担当区画の記録を受け取りに来ました」
フェルナンドが木札と巻物を渡す。
「結界術師二人が同行します。確認順は記録のとおりに」
オウルは巻物へ目を通した。途中で一度だけ指が止まる。
「非常避難路は最後ですか」
「その予定です」
「分かりました」
巻物を閉じたオウルへ、レーアが近づいた。外套の襟を直す。
「無理をしないで」
「姉上こそ」
オウルが笑い、レーアも微笑み返した。
昨日までと変わらない姉弟だった。
*
オウルたちが王宮を出てから、湊も時間を置いて森へ入った。
クロと妖精族の長は別の経路から南西へ向かっている。リーネは北側の担当へ出たように見せ、そのまま待機する制圧班へ合流する手筈だった。
《マッピング》を開く。
オウル。エイラ。ダリウス。
三つの名前付きピンが南西へ進んでいた。その近くには、同行する結界術師二人の光点もある。
湊は距離を取り、別区画の点検を手伝いながら動きを追った。
一つ目。
二つ目。
三つ目。
決められた順番で確認が進む。
昼を過ぎた頃、オウルの一行が小さな休憩所へ入った。少しして、ダリウスだけが外へ出る。
近くの守備隊と何か話し、兵を別の節点へ向かわせた。
《マッピング》の光点が動く。
確認順が変わった。
ダリウスが休憩所へ戻り、ほどなくオウルたちが再び出てきた。同行していた結界術師は一人になっている。もう一人は、離れた区画へ向かっていた。
オウル、エイラ、ダリウス。それに結界術師が一人。
四人は森の奥へ進んでいった。
湊も歩き出した。
*
根が幾重にも重なる場所だった。
淡い霧が地面を這い、湿った空気が肌へまとわりつく。太い根の間には古い石柱が一本立ち、その表面に消えかけた術式が刻まれていた。
非常避難路の節点。
《マッピング》では、ただの根と石柱にしか見えない。通行許可も、登録された内容も映らなかった。
湊は離れた木陰の影へ沈んだ。
外の姿も音も消える。
影のつながりと《マッピング》を頼りに、石柱の近くまで渡る。同行していた結界術師の光点がオウルたちから離れ、少し先の根へ移った。
ダリウスは石柱へ近づく道に立っている。
湊は石柱の裏へつながる影で止まった。
《隠密》《音操》《認識阻害》。
三つを重ね、全身を影の外へ戻す。
湿った森の匂いと音が一気に戻った。石柱を挟んだ向こう側に、三人がいる。
「今のうちに」
ダリウスの声だった。
エイラが懐から硬い札を取り出し、石柱の窪みへ差し込む。淡い光が走り、周囲の根が低く脈打った。
オウルが右手を石柱へ置く。
紫色の魔力が指の間から流れ込んだ。
石柱の表面へ文字が浮かぶ。
通行対象――オウル・ファルシオン。
護衛二人。
携行物。
その下に、新月の夜を示す時刻が刻まれていく。
評議で示された非常時の使用予定とは違う。
オウルの魔力が最後の線を描き、紫色の印となって石柱へ沈んだ。
「これで通れる」
声は静かだった。
エイラが通行札を抜き取る。
「誰にも気づかれておりません」
「記録も直してあります」
ダリウスが周囲を見た。
「この節点は、正規の確認済みとして処理されます」
オウルの右手が石柱から離れた。
指先が小さく震えている。
「十二人を……外へ」
呟きが途中で切れた。
オウルは眉間を押さえた。
「オウル様?」
エイラが一歩寄る。
「大丈夫だ」
ゆっくり顔を上げる。
そこには、いつもの穏やかな表情が戻っていた。
「少し疲れただけだよ」
湊の指が無銘の柄へ触れた。
今なら三人とも近い。
だが、閉じた根の奥には十二人が残っている。
柄から手を離した。
長居はできない。
湊は再び影へ沈んだ。
少しして、離れていた結界術師の光点が戻ってくる。
「確認が終わりました」
「こちらも問題ありません」
オウルの声が返った。
*
節点から十分に離れてから、湊はクロへ念話を送った。
――見た。
王族の魔力印。
新月の夜。
オウル本人、護衛二人、携行物。
短く区切って伝える。
――確認する。
返ってきたクロの声は硬かった。
指定された場所で待つと、やがてクロと妖精族の長が現れた。
三人で節点へ戻る。
妖精族の長は石柱の前へ立ち、細い手を根へ触れた。目を閉じると、腕から淡い金色の光が流れ込んでいく。
しばらくして、翠の目が開いた。
「残っている」
長の声が低い。
「未承認の王族印。時刻は新月の夜。通行対象は王族一人、護衛二人、携行物」
クロが湊を見る。
「一致したな」
「ああ」
「評議の承認にはない」
妖精族の長が石柱から手を離した。
三人の間を、湿った風が抜ける。
湊は石柱を見た。
この許可を消せば、オウルたちは別の動きをする。
牢にいる十二人を連れて、ここを通るつもりなら。
「このまま残せますか」
妖精族の長を見る。
「できる。こちらから流れを見張ることもな」
「お願いします」
長は静かに頷いた。
クロが尾を揺らす。
「配置を変えるぞ。向こうが来る前に、こちらが先に待つ」
「ああ」
森の奥では、オウルたちのピンが王宮へ向かっていた。
湊はそのうちの一つを見つめる。
広場で妖精へ手を差し伸べた手。
十二人の名簿を抱えていた手。
今、その同じ手が石柱へ紫の印を刻んだ。
新月まで、あと一日。
閉じるはずの森に、一つだけ道が残った。




