十二人
湊は扉を開いた。
夜の廊下に人影はない。世界樹の根から漏れる淡い光が、床へ細長い影を落としていた。
「シロ、アカ。ここにいてくれ」
シロの耳が立つ。
――いっしょ、いく。
「今は隠れて動きたい。頼む」
しばらく湊を見上げていたシロが、やがて耳を伏せた。アカも肩へ飛ぼうとしたが、クロの前足に止められる。
「お前もだ。炎を纏った鳥が隠密に向くと思うか」
「ぴぃ……」
アカが不満そうに羽根を膨らませた。
湊はクロを見る。
「行ってくる」
「《影渡り》では私はついていけん。見つけても、今夜は動くな。命に関わるなら別だ」
「ああ」
クロの金色の目が細くなる。
「戻ってこい」
「うん」
*
《マッピング》を展開する。
エイラのピンは、存在しない壁の奥で止まっていた。オウルは自室。ダリウスは詰所を離れ、エイラのいる場所へ近づいている。
湊は廊下を進んだ。《隠密》と《音操》を重ね、壁際の影へ沈む。
外の姿も音も消える。
頼れるのは《マッピング》と、影同士がつながる感覚だけだった。
ダリウスのピンが、根の壁の前で止まる。その周囲にいた光点が、一つは階段へ、二つは反対側の回廊へ離れていった。
巡回が外れていく。
湊は壁に近い影まで渡り、そこで止まった。
《認識阻害》を重ねる。
三つ同時なら、長くは持たない。
影から全身を出した。
太い根の陰。数歩先にはダリウスが立ち、記録板へ何かを書き込みながら左右を見ている。
ほどなく、壁の奥から硬い音がした。
絡み合っていた根がゆっくり左右へ分かれ、冷たい空気が流れ出す。薬草と古い金属の匂いが混じっていた。
隙間からエイラが現れた。
手には木の盆。空の水差しと汚れた布、小さな薬瓶が載っている。
「全員、変わりありません」
「新月までは?」
「保たせます」
ダリウスが記録板を閉じる。
「明日も同じ時刻に巡回を外す」
「お願いします」
二人が離れていく。
根の扉が閉じ始めた。
湊は息を止め、狭くなる隙間へ体を滑り込ませた。
背後で根が噛み合う。
三重の能力を使い始めてから、まだ一分も経っていない。
*
扉が閉じると、《マッピング》から周囲の構造が抜け落ちた。
匿名の光点もない。
そこに空間があるはずなのに、能力の中では根の塊にしか見えなかった。
湊は《認識阻害》を解き、《隠密》と《音操》だけを残した。
青白い魔石灯の下に、細い通路が伸びている。壁は絡み合った世界樹の根で作られ、奥には古い治療台、水を引く溝、薬の棚が並んでいた。
さらに先に、白い根で編まれた牢がある。
人がいた。
寝台に横たわる者。壁にもたれて眠る者。意識を失ったように動かない者。手首と足首には、淡く光る拘束具が嵌められている。
湊は牢の前を進んだ。
一人目。
胸が上下している。
二人目も、三人目も。
牢の根には名前を記した木札が差し込まれ、枕元には水と薬、新しい布が置かれていた。
懐から名簿を出し、一枚ずつ照らし合わせる。
六人目は呼吸が浅かった。湊は足を止めたが、胸はゆっくり上下している。
七人。八人。九人。
最後の牢まで進んだ。
十二人。
全ての名が一致した。
全員、生きている。
湊の肩から力が抜けかけた、その時だった。
牢の中で誰かの瞼が揺れた。
苦しそうな息が漏れる。
呼びかければ届く距離だった。
手が動きかける。
明日もエイラはここへ来る。
湊は指を握り込んだ。
声をかけず、触れず、牢の配置と拘束具、薬、水の状態を目に焼きつける。呼吸の浅い者の位置も覚えた。
それから名簿を懐へ戻し、来た道を引き返した。
*
根の扉の前まで戻る。
内側から開く仕組みは見当たらない。
湊は足元に落ちる細い影へ沈んだ。
また、外の姿と音が消える。《マッピング》も防諜術式に遮られたままだ。
影のつながりだけを探る。
一度、方向が曖昧になった。
焦らず止まる。
冷たい闇の向こうに、外の廊下へ続く影の感触があった。そこへ渡る。
次に全身を戻した時、湊は誰もいない廊下に立っていた。
《マッピング》が一気に戻る。
エイラはオウルの自室近く。ダリウスは詰所へ戻っている。
湊は来た道を急いだ。
*
客室の扉を閉めると、クロが正面に座っていた。シロとアカも起きている。
「いたか」
「ああ」
「何人だ」
「十二人。全員、名簿と一致した」
シロが立ち上がる。
――いきてる?
「全員、生きてる」
小さな尾が大きく揺れた。
クロは湊の手を見る。
「何もしなかったな」
「ああ」
握っていた掌には、爪の跡が残っていた。
「一人、呼吸が浅かった。でも、薬も水もある。エイラが明日も来るって話してた」
クロの尾が、湊の膝へ触れる。
「よく戻った」
湊は椅子へ腰を下ろした。
「エイラが中を管理してる。ダリウスは周辺の巡回を外してた。二人で時間を合わせてる」
「オウルは」
「牢では見てない」
湊は首を振る。
「入口は世界樹の根に隠されてた。《マッピング》も中の構造を拾えなかった」
クロが目を細めた。
「まずは十分だ」
*
同じ夜、中枢班が集められた。
国王、フェルナンド、レーア、リーネ、妖精族の長。湊は秘匿された部屋で、自分が見たものを順に話した。
十二人全員の生存。名簿との一致。魔力を封じる拘束具。給水と薬。エイラの管理。そして、ダリウスが秘匿牢の周囲から巡回を外していたこと。
報告が終わると、リーネが剣の柄へ手を置いた。
「今なら助けられる?」
「牢の場所は分かった。助けられる」
湊は答えた。
「でも、今夜動けばエイラとダリウスには気づかれる」
「……うん」
リーネの指に力が入る。
妖精族の長が淡い光を揺らした。
「場所が分かったなら、周囲の根から水とマナの流れを見よう。大きな乱れがあれば知らせる」
フェルナンドも地図へ目を落とす。
「近くへ兵と治療担当を置きます。牢の存在までは知らせません」
国王はしばらく黙っていた。
やがて口を開く。
「監視を続ける。十二人の命に危険が出た時は、作戦を捨てて救出する」
「はい」
湊は頷いた。
リーネの手が、ゆっくり剣から離れた。
新月まで、あと三日。
十二人の居場所は分かった。
閉じた根の向こうに残した浅い呼吸が、まだ耳の奥に残っていた。




