監視
翌朝。
新月まで、あと三日。
王宮の空気は、昨日までとは変わっていた。廊下を結界術師が巻物を抱えて行き交い、守備隊の兵が短い指示を交わしている。開け放たれた部屋の奥からは、木札を並べる乾いた音が続いていた。
湊はレーアに案内され、王宮の奥へ向かっていた。シロは小さな姿で足元を歩き、アカは右肩、クロは左肩に乗っている。
リーネの姿はない。早朝から、王宮の外で待機する制圧班の確認へ出ていた。
「リーネには、こちらへ近づかないよう頼みました」
歩きながら、レーアが言う。
「オウルは、あの子の気配をよく知っていますから」
「納得してました?」
「……あまり」
レーアが少し笑う。
「でも、引き受けてくれました」
廊下の先には衛兵が二人立っていた。扉が開き、中へ入る。
国王とフェルナンド、それに妖精族の長が待っていた。机の上には王宮と世界樹周辺の地図が広げられ、森の各区画へ細い線が伸びている。
フェルナンドが三枚の木札を置いた。
オウル。
エイラ。
ダリウス。
「エイラはオウル付きの侍女です。護衛も兼ねています。ダリウスは近衛騎士。二人とも、幼い頃からオウルの近くにいる」
レーアが木札を見る。
「オウルが誰かと動くなら、この二人と行動を共にすることが多いはずです」
湊は頷いた。
「顔を覚えます。会えば、位置を追えるようになる」
フェルナンドは地図へ指を置いた。
「湊さんには、表向きは各区画の確認を手伝ってもらいます。三人の位置が大きく動いた時だけ、必要なら直接見に行ってください」
「実働の兵には?」
「三人の名前は伝えていません」
国王が答えた。
「異変があれば報告だけを上げさせる。独断では動かさぬ」
声は低く、平らだった。
「十二人を先に守る」
湊は短く頷いた。
妖精族の長が翅を揺らす。
「我は根と節点の流れを見る。登録された内容そのものは読めぬが、どの節点で、いつ流れが変わったかは拾える」
「湊が人の動きを追い、長が根を見る」
クロが言う。
「重なった時だけ、直接確かめればよい」
フェルナンドが頷いた。
「クロさんは長と一緒にお願いします。術式の判断を」
「分かった」
レーアは普段どおりオウルへ接し、予定や担当変更を会話の中で拾う。国王とフェルナンドは、必要な兵と治療師を伏せたまま配置する。リーネは、いつでも救出へ動ける場所で待つ。
そして湊が、三人を追う。
フェルナンドが湊を見る。
「不正らしい動きを見つけても、十二人が安全だと確認できるまでは止めないでください」
湊の喉が少し詰まった。
それでも頷く。
「はい」
誰か一人を捕まえて、残る者に十二人を移されれば終わる。今必要なのは、捕まえることより見つけることだった。
肩のクロの尾が、背中へ一度触れた。
*
会議の後、フェルナンドに連れられて王宮の作業所へ向かった。
広い部屋には机が並び、結界図や通行記録、魔力印を記録する木札が積まれている。結界術師と守備隊の者が忙しく行き交っていた。
部屋の中央にオウルがいた。数人の結界術師と話している。
その隣に、簡素な侍女服へ短い外套を重ねた女性が立っていた。腰には細身の剣。
エイラ。
少し離れた場所には、近衛の装いをした男がいる。記録板を手に、守備隊の配置を確認していた。
ダリウス。
オウルが湊に気づく。
「おはよう、湊さん。昨日は休めた?」
「少しは」
「僕も同じだよ。考えることが多くて」
目元には疲れが残っていた。
フェルナンドが二人を紹介する。
エイラが頭を下げた。
「お噂は伺っております。オウル様をお救いいただき、ありがとうございました」
「俺が?」
「リーネ様がお戻りになってから、オウル様は以前よりよく笑うようになりました」
穏やかな声だった。
「湊様が、リーネ様をこの国へ連れてきてくださったからです」
「エイラ。僕は子供じゃないよ」
「存じております」
返事が早い。
オウルが困ったように息を吐いた。そのやり取りには、長く一緒にいる者同士の近さがあった。
ダリウスが胸へ手を当てる。
「近衛騎士ダリウスです。結界準備中は、警備配置と通行記録を担当します」
硬い声だが、礼儀は正しい。
「湊です」
二人の顔と名前を覚える。
《マッピング》を開く。
オウル。エイラ。ダリウス。
三つの名前付きピンが加わった。
フェルナンドが周囲にも聞こえる声で言う。
「湊さんには、各区画の確認を手伝っていただきます。北西の根を見つけた実績がありますし、地形把握の能力も今回の点検に有用です」
オウルが頷く。
「心強いね」
「できる範囲で」
「十分だよ」
オウルは机の図面へ目を戻した。
「兄上。僕の担当はまだ決まっていないのですか」
「今日中に割り振ります」
「非常避難路の確認も、担当区画ごとに?」
「最終確認の時に行います」
「分かりました」
指が図面の端へ触れた。
それから、別の書類を取る。
「事故が起きてからでは遅いですからね」
表情は穏やかなままだった。
*
監視は、何も起きない時間の方が長かった。
午前中、オウルは結界術師と王宮近くの根を確認した。エイラは少し後ろを歩き、記録を受け取り、飲み物を渡す。
ダリウスは守備隊の詰所と記録室を往復し、巡回経路を組み直していた。
三人は何度も離れ、何度も合流した。
湊は表向きの点検を手伝いながら、ときどき《マッピング》を開いた。分かるのは位置だけだ。何を話しているのかも、何を考えているのかも見えない。
オウルが一人で廊下を歩く。
エイラが薬草庫へ入る。
ダリウスが兵を別の区画へ送る。
どれも、それぞれの仕事に見えた。
昼を過ぎた頃、湊は王宮の中庭にある長椅子へ座った。《マッピング》を解くと、目の奥に鈍い重さが残った。
「疲れた?」
レーアが隣へ来た。
「少し」
「休んでください。三日間ずっと続けるんですから」
少し間を空けて、レーアも腰を下ろす。
「オウルと話しました」
湊は顔を向けた。
「十二人を心配していました。担当区画を早く決めてほしいとも」
「非常避難路のことは?」
「誰が通行札を管理するのか、王族の確認は一人でいいのかと聞かれました」
レーアは膝の上で指を組んだ。
「作業を任された王族なら、聞いておきたい内容です」
風が中庭を抜け、甘い花の匂いを運んできた。
湊は答えず、木々の向こうへ目をやった。
今見えているのは、それだけだった。
*
夕刻。
王宮の仕事が少しずつ終わり始めた。
結界術師たちは書類をまとめ、守備隊が交代する。
オウルは自室へ戻り、エイラも付き従った。ダリウスは詰所に残っている。
湊も客室へ戻った。
扉を閉めると、シロが寝台へ飛び乗り、アカは窓枠で羽根を膨らませた。
「何もなかったな」
クロが言う。
「ああ」
湊は椅子へ座り、《マッピング》を開いた。
王宮の廊下、階段、部屋が頭の中へ浮かぶ。生きた根が密集し、形を拾いにくい場所もある。
オウルは自室。
ダリウスは詰所。
エイラも、オウルの自室の近く。
動きはない。
「少し寝ろ」
クロが言った。
「まだ平気」
「一日中使っただろう。目を休めろ」
腰の無銘からも感覚が届く。
――休め。
「……分かった」
寝台へ横になると、シロが脇へ体を寄せた。アカも飛んできて胸の上へ降りる。
「重い」
アカが小さく鳴いた。
降りる気はないらしい。
湊は目を閉じた。
*
目を覚ますと、部屋は暗かった。
世界樹の光も弱まり、窓の外は夜の色に沈んでいる。
クロが窓辺に座っていた。
「起きたか」
「ああ」
頭の重さは少し取れていた。
《マッピング》を開く。
オウルは自室。
ダリウスは詰所を離れ、王宮の廊下を歩いている。
最後に、エイラ。
湊の意識が止まった。
ピンが動いている。
オウルの自室を出て、廊下を進む。角を曲がった。
その先は行き止まりだった。
《マッピング》では、生きた世界樹の根が密集した壁になっている。扉も、部屋もない。
エイラのピンが、その壁の前で止まった。
湊は寝台から降りる。
「どうした」
「エイラが動いた」
靴を履き、無銘を腰へ差す。
シロが顔を上げ、アカも羽根を広げた。
《マッピング》の中で、エイラのピンがもう一度動く。
壁へ近づく。
そのまま、根の中へ入った。
構造には何もない。
ただ、エイラのピンだけが奥へ進んでいく。
「……何かある」
クロの金色の目が細くなった。
エイラのピンが、存在しない壁の奥で止まる。
湊は扉へ手をかけた。
夜の王宮は静かだった。




