評議
正式会議の前に、王宮の小さな部屋へ集まった。
窓はなく、壁を這う世界樹の細い根だけが淡い光を放っている。湊とリーネ、レーア。向かいには国王と第一王子フェルナンドが座り、その隣には妖精族の長のための小ぶりな椅子が置かれていた。クロは机の端、シロは湊の足元、アカは肩で羽根を畳んでいる。
レーアが話し終えてからも、国王はしばらく目を閉じていた。
ニーズヘッグ。世界樹から奪われたマナ。新月に運ばれる十二人。そして、オウルに食い込んでいる精神術式。
やがて国王が目を開き、湊を見る。
「オウルが事件に関わった証拠はあるか」
「ありません。俺が見た言動と、クロが見つけた術式だけです」
国王の視線がクロへ移った。
「術式は確かなのだな」
「ああ。本人の魔力とは違うものが、精神と魔力回路へ食い込んでいる」
国王の眉がわずかに動いた。
フェルナンドも、クロを見たまま一拍遅れて瞬きをする。
「……話せるのですね」
「ああ」
クロはそれだけ答え、尾で机を一度撫でた。
「感情や判断を歪める類だ。本人の意思そのものを消して命令に従わせる首輪ではない」
フェルナンドの目が細くなった。
「解除は可能ですか」
「力ずくで剥がせば、本人まで傷つく」
レーアの指が膝の上で強く組まれた。
国王はその横顔を見ず、静かに言った。
「評議では、オウルをほかの者と同じように扱う」
レーアが顔を上げる。
「だが、王族だから外すこともしない。証拠が出れば止める」
「……はい」
リーネが短く答えた。
フェルナンドが湊へ向き直る。
「レーアから、会った相手の位置を追える能力があると聞きました」
「はい。届く範囲はありますけど、離れていても位置は追えます」
「何をしているかまでは?」
「見えません。近くなら周囲の形や人の位置は分かります。でも、壁の向こうで何を操作したかまでは分からないです」
フェルナンドは一度頷いた。
「なら、位置の変化を拾い、必要な時だけ直接確かめてもらいます」
妖精族の長が翅をわずかに震わせた。
「世界樹は完全封鎖に耐えられる」
淡い金色の光が木の表面へ広がった。
「北西の根からの流出は止まった。今夜から循環を整えれば、新月の夕刻には間に合う。ただし、一夜の完全封鎖は今の世界樹には重い。使用後は天然結界が弱まり、短期間に二度目は使えぬ」
国王が長を見る。
「それでも、一夜なら持つのだな」
「持つ」
国王は立ち上がった。
「ならば、評議へ進む」
*
評議の間には、すでに主要な高官たちが集まっていた。
生きた木で形作られた長机の上座に国王が座る。右側にフェルナンド、レーア、オウル。左側にリーネと湊が並び、妖精族の長は国王の近くに用意された小ぶりな椅子へ腰を下ろした。
クロは湊の肩へ戻り、シロとアカは足元にいる。
オウルと目が合った。
柔らかく頭を下げる仕草は、昨日までと変わらない。
国王が机へ手を置くと、室内の話し声が止んだ。
「世界樹に関する緊急評議を始める。リーネ」
リーネが立つ。
「世界樹の北西の主根で、ニーズヘッグの幼体を見つけた。根からマナを吸って、毒で腐らせてた。討伐は済んでる」
ざわめきが広がった。
結界術師を束ねる男が身を乗り出す。
「ニーズヘッグが、なぜ森の内側に」
「そこまでは分からない。ただ、幼体にしては異常なくらい育ってた」
妖精族の長が引き継ぐ。
「北西の主根から流れが失われ始めたのは、およそ一年前だ。ここ三、四か月は、失われる量も増えていた」
室内の空気が変わった。
行方不明者が出始めた時期と重なる。そのことに気づいた者たちが、互いに目を合わせる。
オウルも視線を落とした。
国王が湊を見る。
「術式について報告を」
湊は立ち上がった。
「ニーズヘッグの額に、吸ったマナを別の場所へ送る術式が刻まれていました。死んだ時に経路が崩れたので、送り先までは追えていません」
レーアが、聖教国で写した交易記録を机へ置く。
「獣人国で見つかった魔力吸収器と、今回の術式は同じ系統です。それに、聖教国の交易台帳には、グランデル王都工房から南方諸島とエルフ領境界へ魔力制御器具が送られた記録が残っていました」
紙が順に回っていく。
一人の高官が顔を上げた。
「グランデル王国が世界樹のマナを奪っていた、と?」
「そう見ています。ただ、今回の転送先そのものは確認できていません」
「術式は獣人国で見たものと同じ系統だ」
肩の上からクロが補った。
紙を見ていたオウルが顔を上げる。周囲の高官たちの視線も、一斉に黒猫へ集まった。
「……喋るんだね」
オウルの声には、素直な驚きが混じっていた。
「今さらそこか」
クロが鼻を鳴らす。
張りつめていた室内に、ほんの一瞬だけ小さなざわめきが走った。
高官は記録へ目を戻した。
オウルが紙を見つめたまま言う。
「六年前には、もうエルフ領の近くへ器具が運ばれていたんだね」
「はい」
「ずいぶん前から準備されていたことになる」
穏やかな声だった。
*
続いて、レーアが十二人の名簿を机へ置いた。
「現在、行方が分からない民は十二人です」
名前、家族、最後に目撃された場所と時間。紙が一枚ずつ並べられていく。
「聖教国で得た情報では、次の新月に十二人を南方諸島へ運ぶ計画があります」
今度は誰も声を上げなかった。
オウルの手が、名簿へ伸びる途中で止まる。
「情報源を聞いても?」
「聖教国で、グランデルと繋がる者たちの会話を直接聞きました」
湊が答えた。
「獣人国からの経路が潰れたから、今はエルフ領境界から調達している。次の新月に十二人を送る、と」
オウルは名簿を引き寄せた。
「今、消えている人たちと同じ数だね」
一人ずつ名前を追っていた指が止まる。
「生きている可能性は?」
「次の新月に運ぶなら、生かしておく必要があります」
オウルが顔を上げた。
「なら急がないと。あと四日しかない」
声に焦りが混じっていた。
湊は、広場で妖精へ手を差し伸べたオウルを思い出す。
あの時と同じ顔だった。
*
レーアが立ち上がった。
「エルフ国完全封鎖結界の使用を提案します」
結界術師を束ねる男が眉を寄せる。
「今の世界樹へ完全封鎖を重ねるのですか」
「通常の警備では、転移まで止められません」
妖精族の長が宙へ浮かぶ。
「世界樹は耐えられる。準備に三日。新月の夕刻から一夜なら、越境と転移を妨げられる」
「使用後は?」
「天然結界が弱まる。感知と排除の力が落ち、短期間の再使用はできぬ」
守備を預かるエルフが腕を組んだ。
「完全に閉じれば、外で事故が起きた時の救援まで止まります」
「そのために、正規の非常避難路を一つ残します」
フェルナンドが簡略化した結界図を広げた。
「外向きに一度だけ開く道です。王族の魔力印、結界術師が作る非常通行札、根の節点へ登録した時刻。この三つが揃った時だけ開き、使用後は閉じる」
オウルの視線が図へ落ちた。
「護衛や救助する人が一緒の場合は?」
「一行として先に登録します。携行物も同じです」
「なるほど」
オウルの親指が、指の側面を一度擦った。
「完全に閉ざして、守るはずの民を外で見殺しにはできないものね」
「そういうことです」
フェルナンドは図を伏せる。
「ただし、非常避難路は救援以外には使いません。登録と確認も別の者が行います」
オウルは素直に頷いた。
「必要だと思います」
*
議論は続いた。
世界樹への負担。結界術師と守備隊の配置。外にいる民への帰還命令。森へ入る商隊の扱い。フェルナンドは質問を聞くたび、必要な人員と期限へ落とし込んでいった。
やがて話は、根の節点を最終確認する役へ移った。
「王族の魔力印が必要です」
フェルナンドが言う。
「私、レーア、オウル、リーネで担当区画を分けます」
リーネが眉を上げた。
「あたしも?」
「王族でしょう」
「何百年も仕事してないけど」
「今回からしてください」
フェルナンドの声が、ほんの少しだけ柔らかくなる。
リーネが肩をすくめた。
「分かったよ」
オウルが薄く笑う。
「リーネが王族の仕事をするところを見るのは、ずいぶん久しぶりだね」
「オウル兄さまもね」
「僕は逃げていないよ」
軽い言葉だった。
その笑みが一瞬だけ薄れ、すぐに戻る。
「僕にも担当を任せてください。できることはします」
フェルナンドが頷いた。
「そのつもりです」
国王は子供たちのやり取りを黙って聞いていた。
やがて全ての意見が出ると、目を閉じる。
評議の間が静まり返った。
壁を這う根の光が、弱く脈打っている。
国王が目を開いた。
「エルフ国完全封鎖結界の使用を許可する」
短い言葉だった。
「新月の夕刻に発動し、一夜維持する。十二人の救出を最優先とする」
国王の視線が席を巡る。
「準備と警備に、王族も例外は設けない。単独行動を禁じ、全ての移動と作業を記録せよ」
オウルが頭を下げた。
「承知しました」
国王はフェルナンドを見る。
「指揮を任せる」
「承知しました」
フェルナンドが机の書類をまとめる。
「今夜中に連絡網を組み直します。明朝から全節点を点検し、二日目までに調整を終える。三日目に王族が最終確認。新月当日の夕刻に発動します」
言葉が落ちるたび、評議が作戦へ変わっていった。
「封鎖は民にも公表します。外出中の者には帰還を命じ、商隊は境界外で待機。理由は世界樹の損傷と行方不明者捜索とします」
一人の高官が尋ねる。
「グランデルについては?」
国王が答えた。
「関与の可能性があることは伏せぬ」
「国交への影響が出ます」
「承知している」
国王の声は重かった。
「世界樹を蝕んだ痕跡まで伏せるつもりはない」
反論は出なかった。
フェルナンドが最後の書類を閉じる。
「各担当は、すぐ準備へ移ってください」
評議は終わった。
*
高官たちが次々に部屋を出ていく。
扉の外では伝令が待ち構え、受け取った命令を抱えて木の回廊へ散っていった。
湊も席を立つ。
「湊さん」
振り返ると、オウルが名簿を胸元に抱えて立っていた。
「北西の根を見つけてくれて、ありがとう」
「十二人を見つけるまで、まだ終われません」
「そうだね」
オウルは名簿へ目を落とした。
「必ず助けよう」
「はい」
顔を上げたオウルは、穏やかに笑った。
「担当区画が決まれば、君にも知らせるよ。外から来た君にばかり頼るわけにはいかないからね」
「無理はしないでください」
「それは、君もね」
少し困ったような笑いだった。
やがてオウルは背を向け、扉の外で待っていた側仕えと近衛を連れて去っていった。
クロが湊の肩へ飛び乗る。
「どう見えた」
「いつものオウルさんだった」
「だから厄介なのだ」
湊は廊下の先を見る。
オウルの姿はもう見えない。マッピングの中では、名前の付いた光だけが王宮の奥へ静かに移動していた。
新月まで、あと四日。




