↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
66/102

世界樹の声

扉を閉めると、リーネは窓際の椅子へ腰を下ろした。


「それで?」


湊は向かいへ座り、広場で見たことを話した。ドワーフの荷車へ向けた一瞬の目。人間の行商人が去ったあと、衣の裾を払った指。そして、妖精へ手を差し伸べた直後の低い呟き。


最後に、クロが感じ取った術式のことを伝えた。


「精神に触れてる術式があるって。外から食い込んだ痕があるらしい」


リーネはしばらく黙っていた。膝の上で組んだ指が、ゆっくりほどける。


「外せるの?」


「今のままじゃ無理だって。深く絡んでるから、無理に剥がすと本人も傷つく」


「……そっか」


それだけ言って、リーネは窓の外へ目を向けた。葉の隙間を抜けた夕方の光が、銀髪の端に揺れている。


やがて立ち上がった。


「明日、世界樹の方を見よう。北西へ流れてるマナのこともある」


「妖精族の長に?」


「うん。父上から話を通してもらう」


リーネは扉へ向かい、そこで一度だけ振り返った。


「湊。教えてくれてありがと」


「うん」


扉が静かに閉じた。



翌朝、面会の許しが下りた。


湊はリーネと一緒に世界樹へ向かった。クロは肩の上、シロは足元を歩き、アカは反対側の肩で羽根を畳んでいる。


根元へ近づくにつれて、肌に触れるマナが濃くなった。湿った土と苔の匂いの中に、あの甘い空気が混じっていく。


巨大な根が幾重にも地面を走る場所で、数匹の妖精が待っていた。リーネを見ると、そのうちの一匹が身を翻す。


「案内してくれるみたい」


妖精の後を追い、世界樹の幹に沿って伸びる枝の道を登った。


高くなるほど森の地面が遠ざかる。枝葉の間から落ちる光は白く、足元の木肌には淡い金色がゆっくり流れていた。


「子供の頃、ここに来たことがある」


前を歩くリーネが言った。


「レーア姉さまと。オウル兄さまも一緒だった」


足取りは止まらない。


湊も何も聞かなかった。


しばらく登ると、大きな洞が見えた。内側から柔らかな光が漏れている。


案内の妖精が先に入り、湊たちも続いた。


洞の中は静かだった。壁には木肌がそのまま露出し、幾重にも重なる筋の奥を淡い光が流れている。苔に覆われた床は足音をほとんど返さない。


奥に、一人の妖精がいた。


ほかの妖精とは大きさが違う。人間の子供ほどの背丈があり、背には透き通った翅。長い髪の周りで、金色の光が細かく揺れていた。


リーネが頭を下げる。


「ご無沙汰しております」


深い翠色の目がリーネへ向いた。


「久しいな、リーネ」


澄んだ声だった。


「今日は、旅の仲間も一緒です」


湊も頭を下げる。


「湊です」


「聞いている。森へ入った客人だな」


長の視線がクロ、シロ、アカへ順に移り、再びリーネへ戻った。


「何を聞きに来た」


リーネが口を開く。


「世界樹のマナが、北西へ偏ってる。根元は濃いのに、森の外の結界は三十年前より薄くなってるって」


長の翅から落ちる光が、わずかに揺れた。


「気づいたか」


「何が起きてるんですか」


少しの沈黙のあと、長は洞の壁へ手を触れた。


木肌の内側を流れていた光が広がる。細い筋が枝分かれし、いくつもの流れになって浮かび上がった。


「世界樹の根は、大地とマナをやり取りしている。受け取る場所もあれば、返す場所もある。その流れで森は保たれ、さらに遠くへ続く根もある」


湊は光の筋を見る。流れの向きは一つではなかった。上へ昇るものも、下へ沈むものもある。


長の指が、その中の一本へ触れる。


北西へ伸びる太い筋だった。


そこだけ光が細い。


「この根で、流れが失われている」


「失われてる?」


「途中で持っていかれている。世界樹へ戻るはずの流れも、大地へ返るはずの流れも、そこで削られている」


肩の上でクロが身を起こした。


昨日、北西へ引かれていると言っていた方角と同じだった。


「いつからですか」


湊が聞く。


「一年ほど前からだ」


十一か月前。


最初の行方不明者が消えた時期が頭に浮かんだ。


長は続ける。


「初めは僅かだった。だが、ここ三、四か月で失われる量が増えた。森の外縁を覆う結界が弱っているのも、その影響だ」


リーネが世界樹の光を見つめる。


「このままだと?」


「森が弱る。眠る妖精も増えるだろう。長く続けば、根の先へ流すものも、戻すものも減っていく」


洞の入口近くを飛んでいた妖精が、一匹、低い枝へ降りた。翅の光は小さい。


「どこで起きているか、分かりますか」


「北西の外縁に近い主根だ」


「何があるかは?」


長は首を横に振った。


「流れの傷みは分かる。だが、根の外で何が起きているかまでは見えぬ」


湊はリーネを見る。


紫の瞳が返ってきた。


「行こうか」


「ああ」


長が二人を見る。


「気をつけろ。あの根からは、世界樹のものではない気配も混じっている」


クロの耳が伏せた。


湊は腰の無銘へ手を触れた。



洞を出ると、森の風が頬を撫でた。


枝の道を降りながら、リーネはほとんど話さなかった。しばらくして、前を向いたまま口を開く。


「一年くらい前から、か」


「ああ」


「行方不明が始まったのも、その頃だね」


湊は頷いた。


それ以上の言葉は続かなかった。


足元の枝の中を、淡い光が流れている。その一部は北西へ伸び、木々の向こうへ消えていた。


地上へ降りると、リーネが剣の位置を確かめた。


「北西へ行こう」


湊も無銘の柄を握り直す。


森の奥から吹いてきた風には、湿った土の匂いに混じって、かすかな腐臭があった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。